月のあなた 下(2/4)
鎧の男
着地した時には、少女は気を失っていた。
(都合がいい。)
抵抗しなくなった体を、内側に抱え直す。華奢で柔らかい、小さな体の重みが腕にかかった。こういうものに泣きわめかれると、古の賢者でさえ処置をなくしたものだ。
「主は偉大なり」
少女を手に入れるまで、彼は二つの問題を抱えていた。だが、それが一挙に解決したのだ。突然現れた、この素質ある学生の少女によって。
先ほどから自分を見続けている機械の瞳に対して、抱えた少女を見せつけるようにした。
「そこで見ているものよ。求めるものはただ一つだ――この学校が祀る聖石への道を開けよ」
オレンジ色の静寂の中に、男の声だけが響いた。
「私は主に遣わされたもの。繰り返す。祀る石への道を示せ。虚言は挑戦と見なす。無視は侮辱と見なす」
数秒して、スピーカーから声が響いた。
「――示して、それでどうなるというのです」
意外なことに、機械を通して返事をしてきたのは女だった。
「それを私に施せ。この豊かな国ならば代替えはいくらでもきくだろう。主は、持つものが持たざるものに分け与えることを望んでおられる」
「その石には代替えなどききません――かけがえのないものです」
彼は牙をむき出しにして笑った。
「私の村や子供たちも、かけがえのないものだった。お前たちの国が益した愚かな男が奪った。女の長よ。不当な目に遭わされたものが、受けた損害だけの報復をすることは、お許しがでている」
「おっしゃることが分かりません。わたしたちはあなたやあなたの村に関して何も知らないい」
「ではそれが罪だ!」
建物全体を震わせるような声で、彼は叫んだ。
「知らなければそれですむと? 知ろうとさえしなければ――お前たちは、何のために、ゴミのように言葉を街に、至る所に溢れ返させているのだ。この世に悪はなく、あっても自分たちではないとお互いに魔法を掛けるためか? ――話は終わりだ。道を示せ、さもなくばこの学生を」
少女の体を持ち上げるようにした時だった。
《生徒を放せ》
後ろから鋼鉄の腕が脇の下から伸び、左肩を羽交い締めにした。少女を抱えた右腕は、外側から手首を捕まれている。
「――ほう」
その両腕も、振り返って見た頭部も白と黒に塗られた鎧甲に覆われていた。
《このまま手首と肩を外されたくなければ、降参しろ》
「まさか、私の後ろをとれるものがいるとはな」
《この子を放せ!》
両腕から、人間とは思えない力が加わった。
「面白い鎧だ」
だが関節は壊れる前に、自ら軟化し流動化し、するりと彼の体を逃していた。彼は、何事もなかったように、少女を脇に抱えた元の姿勢で、男の脇に立って見せた。
《…?》
男は、鎧の中で明らかに狼狽していた。
「銃器を装備していないのは、子供たちのためだな」
脇に抱えた少女を、少し離れた場所に横たえてやる。
「この国では滅んだのかと思っていたぞ。電気の技を用いているのはいただけないが…闘士には時代ごとの鎧が許されるものだ」
両腕に力を込めると、その部分だけコートが裂けて、巨大な獣の腕と、爪が現れる。
「来るがいい」
彼が両腕を広げて差し招くと、鎧の男は無言のまま突撃してきた。
*
日向が学園前に着くと、既に多くのパトカーが停まり、校門周りを封鎖していた。
(うそ、ほんとにうちの学校?!)
その周りには、マスコミや父兄らしき何人かの大人たちが既に群がっており、警官たちと押し合っているのが見えた。
日向が駆け寄っていくと、警官の一人が両手を広げて押しとどめてくる。
「止まりなさい! 治安警報が発令されているんだ、直ぐに帰れ!」
「どうなってるんですか。まだともだちが中にいるかもしれないんです!」
警官は一瞬口を開きかけたが、直ぐに閉じて首を振った。
「一般人に言う事は出来ない」
「そんな」
すると、マスコミらしき男が、ボイスレコーダーを警官につきつける。
「無責任でしょう! 友人が我が身を省みずに駆けつけているというのに。中には、あの拉致暴行犯、和家港を襲ったテロリストがいるんでしょう、そうですね!」
「警官隊にコメントすることはできない! 後ほど国防の方に聞いてください」
「あいつらが答えるわけないじゃないか!」
日向は直ぐに大人たちの間から弾き出された。
「あ、おい、月待やんけ」
そこへどこかで聞いた、関西弁。
「熊崎」
日向は、髪を逆立てたクラスメートに近づいて行った。
「なんやおまえ、忘れ物でもしたんか」
「そんなわけないじゃない。警報出てるのに。あんたこそ何しに来たのよ」
熊崎は虚を突かれたような顔をしたが、舌打ちすると、観念したように言った。
「蜜柑のやつが帰ってないんや」
「え」
「実家同士はやりとりがあるからな…おばちゃんに電話で聞いたんやけど。まだ帰ってないって」
「…じゃあ、蜜柑ちゃん」
「ああ、十中八九学校…たぶん図書館の中や」
「なんであんたに分かるのよ」
「あいつの行けるところなんて限られとるわ。お前みたいな奴のそばでもなく、ウチでもなかったら、図書館か本屋しかあらへん」
「……」
日向は、黙ったまま熊崎の様子を見た。
「そのくせしてあいつ、一番おったらあかんときに、おったらあかん場所におんねん。いつも、なんでそのタイミングでそこにおんねん、っていいたくなる奴なんや…」
熊崎の表情は苦く、前を向いていたが日向を見てはいなかった。
(うん。こいつは大丈夫だ。)
日向は判断すると、問いかけた。
「ねえ熊崎。ほんとに、中に犯人いるのかな」
「どうやろな…蜜柑がおるのはほぼ確定やけどな」
「警察の人って、周りを封鎖してるだけ?」
「ああ、全部の門見張ってくさる。んで、国防待ってるから、て何もせえへんねん」
税金ドロもええとこやで――と熊崎は吐き捨てた。
「一番手薄なの、どこ?」
「西門かな。パト一台に警官一人――ておい」
熊崎ははっとした顔をした。
「なんやて――その竹刀、まさかお前」
そう言って、咄嗟に日向の腕を掴む。
「べつにあんたに迷惑かけるわけじゃないわ」
「かーっ、そういえば向う見ずがここにもおったわ!」
日向は、相手の芝居がかった対応にだんだんとイライラしてきた。
「一刻をあらそうかもしれない。警察は動いてくれないんだよ」
「だからってお前が行って何すんねん。冗談もたいがいにせえ」
「冗談じゃないわ!」
日向が叫ぶと、一瞬辺りが静まり返ったが、大人たちはそれが何やらもめている高校生男女の間とみると、また自分たちの揉み合いに戻った。
「……」
熊崎が大人たちの方に目をやった一瞬、日向はその手を振り払っていた。
「あ! おま」
「これもってて」
そして鞄から取り出した木箱を熊崎に押し付けると、
「お、おい」
あっという間に西門の方へと走り去ってしまった。
「だから、なんやねんおまえら…!」
*
鎧の男の戦闘力は、瞠目に値するものだった。
作品名:月のあなた 下(2/4) 作家名:熾(おき)