恋愛の理由(後篇)
「そんなことないですよ、櫻子さんは軽い人間じゃ、ありません」
「じゃあ、カウントしてくれるのね?」
「…それについては、考えておきます」
子犬や子猫のように私にくっついてくる櫻子さんは、正直言って、可愛いと思うけれど、今までとあまりにもギャップがありすぎてまだ慣れない。
本人も気づいているのかいないのか、まるっきり"カッコいい"櫻子さんじゃないことをどう考えているのだろうか。
今の彼女は、まるで高校生のようだった。
年甲斐がないといえば、それまでだけれど、私は、嫌いじゃなかった。
「あと」
「うんうん、なぁに?」
「ジャンクフードは嫌いです」
「ジャンクフード?」
「ほら、カラオケボックスで、櫻子さんがバリバリ食べていたやつですよ」
そう言うと、彼女は視線をすっとそらし、そして、もう一度視線を戻したかと思うと、へらへらっと笑う。
私もつられて、へらへらっと笑う。
「…私、普段あんなのばかり食べてたり…してね」
「え?」
「見ての通り、私、家事とか料理とかそういうの才能がなくて…それで、食事はほとんどテイクアウトで…」
「私をいいレストランに連れて行ってくれていたじゃないですか?」
「あ、あれは、仕事上、いい場所に連れて行かれることも多いし、それに、少しはかっこつけとかないと…」
だんだんと櫻子さんの言葉が小さくなっていく。
私が周りを見回すと、先ほど感じた違和感通り、やはり、部屋が荒れているのは、間違いじゃなかった。
よくよく見ると、掃除もほとんどされていないのか埃があたりを舞っている。
ごみ箱もよくよく見ると、てんこ盛りになっている。
思い出してみれば、玄関も砂だらけで、リビングも散らかり放題で。
ベッドの向かいにある、少し開いている書斎スペースの扉は、開けない方がよさそうだ。
「料理くらい、作ってあげますから」
「いいの?」
「私の実家は、江戸時代から続いてる料亭なんです」
「知らなかったわ」
「私も言っていませんからね」
「なんだか、お互い、知らないところだらけだわ」
確かにそうだった。
沢木さんに知らされるまで、彼女がいくつなのかさえ私も知らなかった。
私は櫻子さんの隣に、櫻子さんは私の隣に座り、正座して向かい合うようにして、深々とお互いに礼をした。
なんだか仰々しくて、笑えてくる。
「ええと、麻生環、19歳です。あだ名は、カンちゃんです」
「環で、カン、か…可愛いわね。朝日櫻子、39歳、独身です」
「それは知ってますよ」
「じゃあ、高校時代に…」
「小説を書くの、やめたんでしょう?」
「…沢木のやつね。じゃあ、高校時代、女の子からチョコレートを段ボール1箱もらったことは?」
「あ、それは初耳です。ええと、私は、中学校時代、いじめっ子の男の子3人とケンカして勝ったことあります」
「すごいわね…」
「空手は使わなかったんですけどね、相手が自爆したようなものです」
「じゃあ、次に私は…」
次から次へと、小さな頃の思い出からはずかしかった出来事、悲しい思い出と、たくさんの初めてがあふれてくる。
そんな事実を一つ一つお互いで確かめるたびに、櫻子さんと私は、深く結び付いていくような気がした。
そして、私は確信した。
ああ、これが、人を好きになるということなんだなあ、と。
ある晴れた夏の日。
私は、めずらしくばっちりとクールなチャイナドレスを着こんで、髪を結いあげていた。
そして、胸元には、高くはないけれどセンスがいいアクセサリーを身につけ、普段ははかない少しヒールの高いパンプスをはいて、機会をうかがっていた。
正直、恥ずかしいことこの上ない。
本当は、この場にいないはずの人間なのだが、すれ違う人間がほとんど全員振り返る。
「環ちゃんは、磨くと光るタイプなのよね」
と、先ほどまで、そんなことを言いながら、櫻子さんは、知り合いの美容師さんと笑い合って出来上がったドレス姿の私を見ていた。
窮屈で、すぐに脱いでジーパンとシャツに着替えたかったが、そうもいかない。
私は、彼女たちとは別れて、花束を持ってこの場所にいる。
ここは、結婚式会場である。
あたりには、明らかに有名人ばかりがいて、非常に肩身が狭いが、私はキチンと正式な招待状を持っている。
それは、沢木さんがしっかりと手回しして手に入れてくれたらしい招待状だった。
手渡してくれる際、沢木さんはギュッと私の手を握り、
「よろしくお願いします!!」
と力強く語ってくれた。
相当櫻子さんへの思い入れが強いのか、高幡伊織絡みの話を聞いてからの彼は、怒り狂っていた様子だった。
高幡伊織は、山の沢出版とは手を切り、別の出版社で新しくエッセイを書くことが決定したらしい。
事実上、怪盗ナンバー778シリーズは永遠に休載されることになっているが、これらのことは、まだファンには知らされていない。
ただ、著作権問題は泥沼化することが決定したらしく、山の沢出版側では、彼女に対抗するべく精鋭軍団の弁護士をかき集めている。
冬から始まることが決定していたドラマについても、山の沢出版のテロップは入れるか入れないか、もめていることだろう。
「それじゃあ、また、後で来るから」
「ええ」
やり取りが終わったのを確認し、タキシードに身を固めた男がその部屋から出て行ったのを見届けて、私はそっとその部屋の扉へと近づく。
小さくノックすると、ダルそうな女性の声が返ってきた。
「だあれえ?」
「花束のお届けにまいりました」
「花束あ?」
彼女―高幡伊織はくつろぎすぎるほどくつろいでいた。
真白なドレスに身を包んで、その姿でイスに座って膝を立て、携帯電話の画面を覗き込んでいる。
化粧はしっかりとされていて、けばけばしいほどだった。
「山の沢出版さんから、花束のお届けです」
「ああ、朝日のとこからか、捨てといて、そんなの」
彼女は、こちらを見ることなく、ただ手をひらひらさせて合図する。
もちろん、携帯の画面を覗き込んだままで、である。
「そんな、高そうな花束ですよ」
「あんなやつのとこからきた花束なんかいらな…あんた、誰?」
こちらを向いた高幡伊織の顔立ちは、思っていたよりも幼かった。
年は28歳ときいていたが、見た感じはずっと若かった。
今時の女性といった雰囲気で、小説家という雰囲気はゼロだった。
爪も、キーボードをタッチできるような爪ではなく、馬鹿長いピンクのマニキュアが施された爪に、キラキラゴテゴテと飾り付けがなされている。
「花屋です」
「花屋がチャイナドレスなんか着てくるわけないじゃない」
「あ…そうですね、ばればれでした」
「で、あんた誰?」
「麻生環と申します」
「麻生環?」
「あなたがおやめになった小説家です」
その言葉に、高幡伊織は押し黙る。
そして、立ち上がり、こちらへと歩みよってきた。
ヒールの高いパンプスを履いた私から見れば、彼女は頭一つ以上小さい。
そんな彼女が私を下から見上げ、睨みつけている状態だ。
「あんたも小説家?」
「まだ、デビューしたてですけどね」
「朝日が担当?」
「もしそうだとしたら?」