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恋愛の理由(前篇)

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一度原稿をばさっと置いて、櫻子さんは鳴り響く携帯電話片手に外へと飛び出していった。
窓からちらりと彼女を覗く。
眉根を寄せて、腕時計とにらめっこをして、流れてきた汗を拭うことすら忘れている。
数分の電話の後、彼女は戻ってきて大急ぎで身支度を整え始めた。
私の原稿もカバンに放り込んで、両手を合わせて謝られた。

「ごめんなさい、一緒にお昼食べたかったんだけど、急に会議が入っちゃって、もう行かないといけないの」

「いえ、こっちはそんなこと…」

「この埋め合わせはまたするから。あ、今度呼び出すときはちゃんといい服着てきてね、そんなボロなナリじゃダメよ?それじゃあ!」

バタバタと足音を響かせながら、櫻子さんは喫茶店を飛び出していった。
目の前には、2人前のランチが並ぶ。
スープパスタは、まだ湯気を上げている。

「どうしよう」

「お下げしましょうか?」

ここのマスターらしい白髪交じりの頭をした男性がおずおずと尋ねてきた。
にっこりと笑うと、恵比寿様のようにまなじりが下がる男性だ。
私は少し悩んでから、

「お腹減ってるんで、両方いただきます」

と答えた。
男性は驚いたようにその目を開いて、そして、ハハハと声を上げて笑った。

「お若いですねえ、朝日さんが発掘した新人さんですか?」

「櫻子さん…朝日さんのこと、ご存知なんですか?」

「ええ、彼女の勤める山の沢出版はこの店からすぐのビルに入ってるんですよ」

男性は、櫻子さんのことをよく知っていた。
よくここでお昼ご飯を食べて、打ち合わせをして、ちょっと居眠りをして。
たまに見かけるスケジュール帳の中身は、塗りたくったみたいに真っ黒なのだという。
やはり、編集の仕事は忙しいし、不規則なんだな、と実感した。
そして、そんな中、まだ新人の卵の卵の卵のような自分に付き合ってくれてるのだ。
どうしようもないような気持ちがこみ上げ、それを打ち破るように私は2人分のランチをむさぼった。










『昨日はごめんね。とにかく、私が言いたかった事は、環ちゃんは、恋愛小説を書くとすごくグッとくるものを作れそうな気がするっていう事。ま、精進したまえ』

朝6時半きっかりに櫻子さんから送られたメールは、こんな長いような、短いような文章だった。
しかも、文末に年甲斐もなく、ハートマークのデコレーション文字を使っている。
ピョコピョコと赤とピンクに点滅するハートマークを見ていると、気分が一気にダレてしまった。
恋愛小説。
恋愛小説、ねえ。
何度も頭の中に『恋愛小説』を浮かべてみるのだが、その4文字以外に浮かんでくる人物も描写も、設定もない。
頭を何度もかき回してみるのだけど、髪の毛が数本抜けて落ちていくだけで、脳ミソは活性化してくれない。
いや。
活性化という以前の問題である。
何しろ、私には、恋愛なんて、わからないのだから。





『今世紀最大の恋愛傑作』
『泣ける恋愛小説の代名詞!!』

大学内にある生協の図書コーナーで立ち止まると、そんなタイトルが次々と目に飛び込んできた。
赤や青、黄色に緑。
彩られた帯がついた文庫本だった。
出版社は様々で、櫻子さんの勤めている山の沢出版の本も冊数は少ないが、ちらほらと置いてあった。
もしこの場に誰かホテルのコンサルジュのような人間がいたならば、悩む私にこう尋ねるだろう。

『どのような作品をご所望ですか?』

と。
だけど、私は答えられない。
特に、ご所望の小説はないからだ。
そして、コンシェルジュのような人間は、適当に自分の好みの恋愛小説を勧めてくるだろう。
私は、空想のコンシェルジュに勧められたように、適当にその辺りにあった文庫本を2冊手に取り、レジカウンターへと持っていった。
生協で購入すれば、1割引されるわけだし、財布が傷まない程度の額の買い物だと思い、食後のチョコレートを数日我慢することにした。

お腹持ちがいいように、ジャガイモとニンジンのゴロゴロ入ったカレーを弱火で煮込んでいる間、私は小さな扇風機の前で文庫本を広げた。
文字が、小さい。
新聞とあまり変わらないだろうに、小さなものに押し固められたようなこの形態が気に入らない。
多少無理してでも、単行本を買うべきだったかな、と後悔の念がよぎる。
そして、内容を読めば読むほど、コーヒーはすすむけど、チョコチップクッキーはすすむけど、ページはなかなかすすまなかった。
読めない漢字がある、とか言葉の意味がわからない、のではない。
意味がわからない、というのは当たっているが、『人物の』意味がわからないのである。
友達とのテレビドラマについての話と雰囲気が似ている。

○○が××と付き合っていたのに、△△が現れて、○○は△△と付き合うようになって、だけど、××が忘れられなくて、そんなこと言ってたら、××が病気で、もう死んじゃうって知って…。

という話で盛り上がることができるあの雰囲気。
私に言わせれば、怪奇である。
人の生き死にで盛り上がれと言われても困るし、彼女たちいわく、『感動がそこにある』らしいが、人が死んで得られる感動は感動だろうか。
この文庫本の主人公も高校生で、好きな男と別の男と結婚し、結局途中で心変わりして、前の男に乗り換える…かと思えば、シングルマザーになって終わる。
2人とも男は死んでしまった。
残されたのは空虚すぎる主人公の心情だけだった。
納得できない。
もう一冊の文庫本は、帯に『これぞ、日本の清純派ヒロイン!』とか書いてあった割に、全然清純じゃないヒロインが出てきていた。
確かに、清純=1人の人間を愛すること、かもしれないが、この話のように、1人の人間を愛すること=清純、ではないと思う。
イコールでつなげばそれらしいとは思うけど、方法や理由が重なってくると、それを許すことは常にはまかり通らないだろう。
どちらも、明日古本屋に売りに行こう。
そう思いながら、私は、カレーの鍋の火を消しに行った。
結局、今日もワードの文章は、真っ白だった。





「書けば書くほど、文章はいいのに、中身のレベルが落ちていくわね」

目の前に、メインディッシュらしいオマールえびが現れた。
私はクラクラしている。
ワインに酔ったのか、それとも、こんな格式高そうな、お財布にも厳しそうなフランス料理屋に連れてこられたからか。
おまけに、一生懸命『勉強して』仕上げてきた『恋愛小説』は、批判に批判を重ねられ、校正されることもなく笑顔で付き返された。

「そう言われても、仕方ないと思ってます」

「早くもスランプかしら…ちょっと私、厳しすぎた?」

全然そんなこと思ってないだろうに、と私はつぶやいて、目の前にあるハサミの綺麗なオマールえびとにらめっこをしていた。
どうやって、食べるのだろう。
そう思っていたから、櫻子さんが食べた後、ちらりとその食べ方を真似てナイフとフォークを持ち直す。
どうして、殻付きで出てきてるんだろうか、食べにくいといったらありゃしない。
櫻子さんは優雅にナイフとフォークを使いこなす。
一方の私は、何とか間に合わせでジーパンとシャツ以外の服を引っ張り出して着たためか、まるで借りてきたネコだった。
作品名:恋愛の理由(前篇) 作家名:奥谷紗耶