小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

恋愛の理由(前篇)

INDEX|7ページ/7ページ|

前のページ
 

櫻子さんとよっぽど釣り合っていないのか、周りからものすごく視線を浴びていた。

「厳しいとかそういうのではなくて」

「そういうのではなくて?」

ガキッとオマールえびの殻と身の間にナイフを挟まれながら、私は会話していた。
櫻子さんの頬は、おいしいワインのせいでほんのり彼女の名前のように、桜色に染まっていた。
もう何杯目のワインなのやら。

「恋愛ってのが、よくわからなくて」

「なるほど」

「いろいろ勉強してはみたんですけど」

「勉強って?」

「小説を生まれて初めて読みました、恋愛小説っていうのを」

「どうして?」

「どうしてって、恋愛小説、書いたことないからですけど」

その私の一言に、櫻子さんはまた大きくため息をついた。
そして、1人で勝手に『なるほどなるほど』とつぶやいていた。
食い散らされたオマール海老の皿は下げられていく。
結局、おいしいのか、おいしくないのか、味わう好き暇さえなかった印象だ。
櫻子さんは厳しい。
その仕事に対するオーラが感じられるだけに、レベルが低い小説を書いた自分が情けない。

「他人の小説なんかで恋愛学んでどうするのよ」

「ダメでしたか?」

「自分の恋愛見つけてから他人の恋愛を覗きなさい。すごく滑稽に見えるわ、面白いくらいにね」

「十分滑稽に見えましたけど」

「それはよっぽどひどいのを読んだのね。ダメよ、帯に『泣ける』とか『清純』とか書いてるのは」

その指摘に私は黙り、そして、櫻子さんはまたため息をついていた。
私は縮こまる。
櫻子さんは、またワイングラスを空にしながら、続けた。

「恋愛小説には、2通りあるのよ」

「2通り?」

「ウソか、ホントウかっていう、2通り」

ウェイターがデザートを届けにやってくる。
私はコーヒーを、彼女はエスプレッソを頼んで、ウェイターの切り分けてくれたケーキを受け取る。
ケーキには、またまたお酒がよく効いていて、その香りに頭の芯がぐらついた。
おいしいけど、酔ってしまう。

「ウソか、ホントウか、ですか?」

「ウソの恋愛小説は、形がきれいに固まってるの、何パターンかにね。そのパターン通り、プロットに当てはめたら、イヤでも綺麗な恋愛小説が生まれるっていう寸法なわけ。たぶん、環ちゃんが読んだのは、そういうウソの恋愛小説ね」

恋愛小説にウソもホントウもあるのだろうか。
だけど、櫻子さんが言うと、妙に説得力が生まれてくる。

「ウソを出版していいんですか?」

「読者がそういうのを求めてるのよ。そういう小説読んで、気持ちのデトックスでもした気分になりたいんでしょうね。それに、ウソならではの軽さのおかげで誰にでも簡単に書けて、ブームが得られたら出版社にとってもいい小遣い稼ぎになるわけ。ドラマ化したら大儲けだしね」

「ホントウの恋愛小説は?」

「一言で言うと、血なまぐさい小説ね」

血なまぐさい。
レバーのような小説なんだろうか。
またまた、彼女の言葉の奥が見えなくなる。

「いろんな深い経験をしたなりの言葉の意味の深さや、文章の深さ、行間の味がある分、リアルすぎて、血なまぐさくなるのよね」

「そういう意味ですか」

「だから、読者も軽い気持ちで読むと、ものすごーく明るくなったり、暗くなっちゃうこともあるし、共感できるかもしれないけど、わかってもらえない部分が出てくるわね、どうして彼は彼女を捨てたのか、どうして、2人は別れを選んだのか、その理由に読者が納得できない場合もあるから、売れないって言われたら、そうね」

チーズケーキの最後の一口を食べ終えて、櫻子さんはエスプレッソを飲みながら、胸元のティファニーをいじっていた。
今まで翳り1つないプラチナのティファニーだったのに、急にそれに影が落ちたように、櫻子さんは暗くなったように思えた。
2人とも酔いすぎたのかな、そう思って私は酔い覚ましのコーヒーを飲み込んだ。

「でも私は、売れなくても、ホントウの恋愛小説の方が好きなんだけど…仕事上、そうもいかないわ」

ああ、疲れてたんだ。
仕事で上司ともめたのかな、なんて私は思いながら、フローズンヨーグルトピーチパイを口に運ぶ。

「いろいろ、厳しいんですね」

「まあね?とにかく、環ちゃんは、環ちゃんなりの何かを見つけて書いてくれたら嬉しいわ。無理して恋愛小説書かなくていいから、もっと自分のペースで書いてみなさいな。私も、ジャンルに対して少し口出ししすぎて、あなたの能力、狭めちゃったから。ごめんなさい」

「…謝られるとは思いませんでした」

「私だって、自分の非ぐらい認めるわよ。ねえ、それより」

タルト・タタンを同時に食べ始めたかと思うと、櫻子さんが目配せするようにして、私に呼びかけた。

「何ですか?」

「今日の環ちゃん、すごくいいわ」

櫻子さんの視線が変わる。
私の足元から頭の先までをじっと、これこそ、舐めるように見つめていた。
どきりとする。
その視線に釘付けになる。
ひじをついて、目を細めて、私をただただ見つめている櫻子さん。
ただただ見つめられているだけなのに、妙に恥ずかしい。
恥ずかしくて、その視線に吸い込まれそうな自分が、怖い。

「すごく、いい?」

バクバクとタルト・タタンのリンゴをかじりながら、私は平然を装って尋ねた。
私は多分、酔っている。

「ええ。だから、さっきから環ちゃん、周りから見つめられてたんじゃない」

ああ、あの視線は、借りてきたネコだったはずの、私に対してのものだったんだ。
そう思って、ちらっと左を覗くと、先ほどワインを注ぎにきた若いウェイターと目が合った。
彼はそっと目をそらして、別の客の方へと向かっていった。
そういえば、さっき、ワイングラスを持つとき、手が当たったっけ。

「ねえねえ、あの彼との間に、アバンチュールは生まれない?」

「アバンチュールって…」

死語ですよ、と棒読みでつぶやくと、『あら、そうかしら?』とお決まりの言葉が櫻子さんから飛び出す。
その辺りまでは、記憶があった。
私は、この時、酔いきっていた。
店を出てからの記憶があいまいだ。
電車に乗って、終点まで寝過ごしてしまい、見回りに来た駅員に起こされ、逆方面へ向かう終電にギリギリで飛び乗った。
いつの間にか、携帯電話にはメールが入っていた。

『もうアパートには着いたかしら?次は2週間後には会えると思うわ。今日の環ちゃん、本当にすごくよかったわ。もちろん、普段の環ちゃんも素敵よ。それじゃあ、おやすみなさい』

確認してすぐ、私はまた睡魔に襲われ、ゆっくりと眠りの中へと落ちていった。
悪い気分では、なかった。




作品名:恋愛の理由(前篇) 作家名:奥谷紗耶