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恋愛の理由(前篇)

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すっと差し出された、というよりは、半分投げつけられるように私に名刺が渡される。

「山の沢出版、朝日櫻子(あさひさくらこ)、さん…編集の方、なんですね」

「一応これでも、売れっ子小説家抱えてる出版社なのよ、知ってるでしょ?」

常識の如く櫻子さんから飛んできたその質問に、私は答えを詰まらせる。
それはそうだった。
私は、小説なんて、読みはしないのだから。
黙って、ゆっくりとこちら側を向いているモモ肉の串を手にとって、口に運んだ。
答えが返ってこないのが不思議なのか、櫻子さんは、ジョッキを片手に私の目を覗き込んでくる。
しっかり上がった睫毛の奥に、ビー玉のような大きな黒い瞳が印象的だった。

「知らない?」

その台詞のあと、『ビール追加お願いします』とついでのように近くを通った店員さんに告げて、もう一度覗き込まれる。

「知らない?」

さらに、せりあがるように、彼女は身を乗り出してきていた。
同じ質問に、同じような覗き込まれ方。
私は不愉快な気持ちになって、櫻子さんから目を離すようにして、ビールジョッキを傾けた。
外の通りを走るタクシーのテールランプだけを目に入れるようにして。

「高幡伊織(たかはたいおり)の、『怪盗ナンバー778』シリーズとか、知らない?」

「知りませんけど」

「そっかぁ、そうよねえ、今の子って、文芸モノ、読まない子も多いもんねえ」

櫻子さんは、勝手に自己完結して、追加で持ってきてもらったビールをゴクゴクと飲み干していく。
なんだか、その櫻子さんの『今の子』という言葉にカチンときた私は、彼女が手を伸ばそうとしていた最後の鳥モツを強引に奪い取った。
それを口にバクリとほうばり、見せ付けるようにして、ついでに、『追加、適当に持ってきてください』と、近くを通る店員を呼び止めた。

「読むのは、好きじゃないんです」

声を抑えてそう言うと、彼女は目の色を変えてまた、身を乗り出してきた。

「読むのは、ってことは、書くのが好きなのかしら?」

妙に目をキラキラさせている櫻子さんと、追加でやってきた皮をカジリながら、やっぱりタクシーのテールランプを見るように、目線を変える私。

「ね、もしよかったら、見せてもらえないかしら、環ちゃんが書いた小説ってやつ」

櫻子さんはそう言いながら、『ほらほら、もっと食べなさいな』と、ぐいぐい焼き鳥が乗った皿を差してくる。
私はちらりとカバンの方を眺めて、やっぱり目線を元に戻したり、テールランプを見たりを繰り返す。
そんな私を見つめてくる彼女の目は、キラキラ光っているように見えた。
照明のせいだろうか。
こんな鈍明るい堤燈の灯りだというのに。

「そんな、お見せできるものじゃ…それに、今、フラッシュにデータ入ってますし」

うそをついた。
本当はフラッシュじゃなく、ちゃんと校正用にプリントアウトした原稿が入っているのだ。

「いいじゃないいいじゃない、パソコンなら、私今持ってるし…ね、見~せて?」

逃げようとする私に、いい年して猫なで声で迫ってくる櫻子さん。
正直、少し、怖い。
何が彼女をこうさせるのか、わからない。

「ですけど…」

「私、新人発掘の、プロだから」

少し間を置いた言い方と、その『間』でふわっと垣間見せた櫻子さんの眉間のしわを私は見逃さなかった。
何かを思い出すような、そんな言い方に聞こえたけれど、その次の瞬間には、普通の櫻子さんに戻っていた。
明るくて、ペラペラしゃべって、自分が誘ったくせに私のことを忘れて、ガツガツ食欲旺盛に食べまくって。
見た目も美人でブランドも着こなしていて、ブラウスもパリッとしてて、首元に光るティファニーが似合ってて。
仕事も絶好調みたいで、自分の仕事にプロ意識を持っていて。
だけど。
こんな彼女が、あの日、あんな行動に出たんだ、ということを私はようやく思い出した。
ぴちょんぴちょんと水が滴り落ちる浴室か洗面台か流しで、彼女は手にカミソリか刃物を握ったのだ。
私が間違い電話をかけなければ、今、ピンクゴールドのチャームが光っている左腕には、真っ赤な血が滴り落ちて、絶命していたかもしれないのだ。
不思議だった。
とにかく、不釣合いで不思議だった。
こんなパーフェクトにしか見えないような櫻子さんが、自殺を思い立った理由は何なのだろうと。
そして私はまだ、この確信について、触れてはいなかったし、彼女も、触れようとしていないことがわかっていた。

「ね、お願い!!」

「わかりました、いいですよ」

私は根負けした。
仏やイエス様がいるかのように手をすり合わせてくる櫻子さんの、そのプライドの投げ捨て方に驚愕したからだ。
でも、『わかりました、いいですよ』って、一回りくらい年下の大学生にそう言われて、櫻子さんはどう思っているんだろう。
そう思っていたけれど、彼女が原稿を食い入るように見つめて、焼き鳥の脂まみれの指で紙をめくり始めたので、そんなこと、質問することができなかった。
真剣すぎる雰囲気で、会話を挟む事が禁じられたように思えたからだ。

「なかなか歴史考察もちゃんとしてるみたいねえ」

「西洋史を研究してる友達が文学部にいるんです」

「文章も面白いなぁ、大学の季刊誌レベルで正直これくらいのものが見られるとは思っていなかった」

「そうですか?」

こう言われると、悪い気分ではない。
彼女は、真剣なまなざしで、うなづきながら原稿を見つめていた。

「友達が文学部に、ってことは、あなた、文学部じゃないのね」

「一応…」

「理学か工学ってとこかしら、違う?」

「どうして、わかるんですか?」

「文章がね、こう、芸術じみてなくて、理系っぽいストレートな雰囲気であふれてるわ。綺麗に研がれたナイフみたい」

上目遣いに見つめられる。
綺麗に研がれたナイフ。
そんな言われ方をしたのは初めてだった。
紙の端っこが脂まみれになったまま、原稿はさし返された。

「どうもありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

「で、真剣に続ける気持ちってあるの?」

「小説を、ですか?」

「もちろん。でも、理系ってことは…趣味でしかないのかなって思って」

ああ、まただ。
また、言われた。
だけど、今回はいつもと同じような『まただ』という気分ではない。
やっぱり、プロの編集の人間に見てもらったからだろうか。
原稿をカバンにしまいながら、私は、最後に残ったハツの串へと手を伸ばした。
櫻子さんも十分満足したのか、運ばれてきた食後の緑茶をすすりながら、ふう、とやわらかい息を吐く。

「私、書くことは好きですけど、書かされるのって、嫌だから」

「なるほど」

「仕事になると、きっと、好きなことが嫌いになると思うんです」

「ふうん、単なるアマちゃんってことね」

冷え切っていて噛み砕くのが難しかったハツを喉につっかえさせるかと思うくらい、櫻子さんから飛んできた言葉はきついものだった。
そういい捨ててくれた後、にこっと何もなかったように微笑みかけてきて、お茶を飲み干す。
そして、近くを通った店員に伝票を渡した。
おごられるのは嫌だった。
作品名:恋愛の理由(前篇) 作家名:奥谷紗耶