君のいないBrandnewday
「どっちも変わらないだろうが。まだ19で、子持ちなんて、今度恋人作ろうとしても無理だろう?」
オーナーの言葉も、最もだった。
たぶん、どこの誰もが、私のこの状況では、そう言うだろう。
そう、オーナーの言うことは、正しいのだ。
本当に、正しいのだ。
「…竜二たち、迎えに行ってきます」
私は、言葉少なにそうとだけ告げて、店を一度出て、公園へと向かった。
公園といっても、ブランコと滑り台があって、大きな木が一本だけ立っているだけの小さな公園だった。
ため息をつきながら、そして、ちょっと曇ったちょうど私の心の中身のような空を見上げながらたどり着いたその先で、姉は竜二を肩車して、木の下で背伸びをしていた。
竜二は掌に乗せた何かを両腕を伸ばして届かせようとしている。
「ちょっと、何してるの?」
「あ、蛍子、ちょうどいいとこに来たわ、お願い、肩車代わって!」
『あー、もう、腰も肩もおかしくなりそう』と言いながら、姉は竜二を地面に下ろしてから、私の手をタッチした。
竜二の掌からは、ピーピーと何か声が聞こえている。
そうっと開いて見せてくれた竜二の掌の上には、子供の鳥がいた。
「そこの木の上に巣があるらしいのよ、でも、あたしの身長じゃ届かなくて」
「はいはい。竜二、乗って」
「うん」
姉の身長は、160センチ弱、私の身長は180センチ近い。
竜二を乗せて肩車をしてやると、簡単にその手は巣の中へと届いた。
無事に巣の中に鳥を戻してやれたのが嬉しかったのか、竜二はブランコに乗っている間も上機嫌だった。
「竜二君、大人しいし、いい子ね」
姉は、缶コーヒーを飲みながらそう言った。
「大人しいよ、それにすごくいい子」
「直子さんって人、今日初めて顔を見たけど、美人ね?」
「うん」
「私と同じくらい?」
「ううん、もう35歳手前」
「うっそぉ、まだ30歳ぐらいだと思ったわ」
と、29歳の姉は言う。
姉は、私とは違い、大学を出て、バリバリのキャリアウーマンとして働いていた。
姉には、直子さんのことをさりげなく伝えてはいたものの、お互いが顔を合わせたのは、今日が初めてだった。
「引き取るなんて、言わないわよね?」
「オーナーと同じこと言うんだから」
「こう言うと悪い言い方になるかもしれないけど、あんたが貧乏くじ引くこと、ないわよ」
「うん」
「19歳で子持ちなんて、誰からも相手にされないわよ?男だろうが、女だろうが」
「うん」
「生返事ばっかしてないで、考えろって言ってんの」
「考えてるよ…だから、辛いんじゃない」
「…ごめん」
姉は、先に竜二を連れていくから、と私を置いて、店へと引き上げていった。
オーナーも姉も、私の未来を願ってくれている。
だけど、私は、自分の未来だけを願うなんていうことは、出来ない。
自分の未来だけを、自分の幸せだけを願うなんていうことは、出来なかった。
しかし、竜二は…どう思っているのだろうか。
おとなしくて利発でいい子だと思う、だけどその反面、あの子の心の中身は、全くわからない。
いつもいい子で、覚えている限り、直子さんよりもしっかりしていた面もたくさん持っていた。
そんな子供を、私は直子さんが育てたように、育てることができるだろうか。
それ以前に、私が仮に引き取るといったところで、竜二は私に懐いてくれるのだろうか。
竜二は私といて、幸せになれるのだろうか。
全ての工程を終えて、ぐったりとしたまま、夕方、私と竜二はマンションへと帰って来た。
カギを開けてすぐの所に置いてあった食塩の瓶をとって、ふたを開ける。
どうして塩なのか、というような竜二の視線を感じたので、私は勝手に答えた。
「お葬式から帰ってきたら、こういう風にして、霊を払うんだよ」
「れいって…おかあさん?」
「うん、今日だと、そう、なるかな」
「…じゃあ、ぼく、いい」
と言って、竜二は脱ぎにくい革靴を玄関に座りこんでひっぱっている。
「どうして?」
「おかあさん、いてくれて、いいから」
「…違うよ」
竜二の体を抱き上げて、玄関の外へと戻し、さらさらっと塩を体にかけてやる。
私も同じように塩を体にふりまく。
「竜二のそばにいたら、お母さんが天国に行けなくなっちゃうでしょ?」
「…そっか」
「お母さんに、ご挨拶しようか?」
「…おかあさん、バイバイ」
私は、竜二を抱き上げ、一緒に空を見上げた。
空は、昼間とは打って変わって、きれいに雲が晴れていて、夕方から夜へと変わるうす紫色の美しい色合いを保ち、星が見え始めていた。
なんだか、2人で空を見つめていると、少し、感傷的になったのか、涙がこぼれそうになる。
そしてまた、竜二は、私の頭をなでてくれていた。
私の涙を、ぬぐってくれるかのように。
「…お腹すいた?」
部屋の中に入って電気をつけると、いつもの風景が目に入る。
もう一度言い聞かせる自分がいる。
そう、いないのだ、直子さんは、いないのだ、と。
「あのおみせ、おいしくなかったもん」
私の言葉に、テレビをつけながら竜二は露骨に嫌悪感を示しながら答えてくれる。
思った通りの答えに、私は苦笑いを浮かべながら、エプロンをつけ、冷蔵庫の中を確かめる。
「やっぱり。何食べたい?ハンバーグでも、オムライスでも…」
「ケイちゃん」
「ん?」
ちょこん、とテーブルに座り、テレビを見ている竜二は、こちらを見ることなく私を呼び掛けていた。
私は冷蔵庫の中から材料を取り出し、包丁を取り出しながら、答える。
竜二が見て分かるのか、わからないのか、ニュース番組のナレーションが静かな空間に流れている。
「ぼく、ケイちゃんがいい」
竜二のりんとした声が響く。
「え?」
玉ねぎをストン、と半分にしただけで、私は言葉を失った。
「ぼく、あのおじさん、いやだ。ケイちゃんがいい」
私は、またエプロンを外すのも忘れて、竜二の元へと駆け寄った。
竜二は、私の顔を見つめ、そして、また、同じことを繰り返す。
「ぼく、ケイちゃんがいい」
「本当に?」
「でも…」
「でも?」
竜二は、『でも』と口走ってから、ぐっと黙り込んでしまう。
私の顔色をちろちろとうかがいながら、もごもごっと口の中で言葉をつぶやくように、動かしている。
「……ケイちゃん、まだ20さいになってないんでしょ?おとなじゃないから、ぼくのことそだてるの、たいへんでしょ?」
「バカ、子供が何言ってるの?」
「ぼく、ケイちゃんのことすきだから……ケイちゃんがしあわせになれないの、やなんだ」
何言ってるの?という言葉だけが、とりあえず頭の中に浮かんできた。
こんな5つにもなっていない子供の方が、私の未来を考えていてくれただなんて。
思ってもみなかった。
私は、なんてバカだったのだろう。
この子こそが、自分の幸せを我慢して、私の幸せを考えていてくれたことに、今気がついただなんて。
きっと、本当は泣きたくても泣かずに、私の頭を撫でてくれていたに違いないのだ。
こんな小さな子供に我慢をさせていたことに、気が付いていなかったのだから。
「ケイちゃんがしあわせになれるほうが、ぼく、うれしいの」
作品名:君のいないBrandnewday 作家名:奥谷紗耶