君のいないBrandnewday
「今日、直子さんの葬儀だから」
「12時からだよね」
「うん」
食欲が特に落ちているということもなく、ただ、言葉だけは少なくなっていた。
とはいえ、いつもそんなに流ちょうに話すタイプの子供じゃないから、どう違い、どう動揺しているのかは、母親をしていない私には、わからない。
私は、ここにきてようやく気がついた。
竜二を一体、誰がこれから、育てていくのか、ということに。
喪主を務めたのは、彼女の兄だと名乗る男性だったが、私は、彼女に兄がいるなんていうことを知らなかった。
兄どころか、親類の話さえ聞いたことがなかった。
兄という人物は、警察から彼女の死を伝えられて、大急ぎで駆け付けた…という割には、非常に消極的な男だった。
葬儀は簡単に行われ、ほとんどの参列者は、ご近所さんや彼女の仕事先の病院の同僚や医師、看護婦たちだった。
その誰もが簡単にというよりも簡素で淡泊すぎるほどの葬儀にはこそこそと言葉を交わしあっていた。
兄という人物、着ている服や持ち物は洗練されていて、少なくとも毎日の生活には困っていない、むしろ非常に裕福な生活を送っているようにしか見えなかった。
同じように、葬儀だというのにブランドものを身に付けて微笑んでいる妻を隣に、葬儀屋とこそこそとまだ何やら打ち合わせを行っている。
どれだけ値切れるかの交渉だろうか、ねちねちとした言い回しがたまにこちらまで聞こえてくる。
出棺する前、彼女の身体の周りにおかれた花は数えられるほどで、あまりにもみじめでまた涙が出そうになっていた。
「ほら、竜二君、最後にご挨拶しないと」
年配の事務員の女性に促されて、竜二は、こくんとうなずいた。
後ろからさっと自分なりに用意していたらしい折り紙で出来た鶴や船なんかを彼女の耳元にそっと落とす。
じいっとただ、言葉もなく、竜二は直子さんの顔を見つめていた。
誰もが、子供と母親の最後の時を見守っていたというのに、その兄と名乗る男の指示のもと、竜二を払いのけるように葬儀屋は棺桶の蓋を閉じてしまう。
「もう時間ないんだから、ほら、出して出して」
兄と名乗る男は、竜二を見るなり冷たくそう言い放った。
私の中で何かがぶつんと切れ、思えば彼へと向かってこぶしを伸ばしていたが、そのこぶしは、私の姉と私の働いている店のオーナーに体ごと止められた。
「ちょっと蛍子、何考えてんのよ!」
「おまえはすぐにこうカッとなるから…」
そして、それと同時に兄と名乗る男は私の方を振り向いて、妙な行動をしている私たち3人を眺めていた。
「あなたが、妹と一番親しくされていたんですよね?」
「そうですけど…」
なぜこの男がこのようなことを聞いてきたのか、その理由は火葬場から戻ってきて、店で簡単な食事会をしている時、判明した。
兄と名乗る男は、その食事会の間、私たち3人と竜二のそばで夫婦で食事をとって、ビールを飲んでいた。
もちろん、料理もたいしたことがなく、私が作った方がいくつもマシだと思えるような味気ない弁当とオードブルだった。
「直子は、10年以上前に家を飛び出したきり、音沙汰がなくてねえ。僕もびっくりしたんですよ、いきなり警察から直子の名前が出てきたもんだから」
「ご両親は?」
「親父は4年前、おふくろは7年前だったかな、ガンと脳卒中でね。しっかし子供がいるとはねえ」
ああ、やっぱりか。
竜二に対する先程からの態度は、そういうことだったのだ。
直子さんがいなくなったならば、親戚が竜二を引き取る、つまり、この夫婦が竜二を引き取ることとなるのが妥当だろう。
しかし、その気は100パーセントないというのが、態度からにじみ出ている。
うちには、中学生の男の子と小学生の女の子がいるから、とか、ローンが、だとか、私立が、だとか。
竜二は、そんな中でも大人しく食事を行儀よくとり、といっても気に入らないのかあまり食べてはいない様子だった。
直子さんは、子供のしつけには厳しい方ではなかったけれど、守るべきことだけはきちんと守らせる人だった。
あまりに空気や雰囲気が悪いと感じたのか、竜二は私たちに一言告げて、隣にある公園へと走っていった。
一緒に私の姉がついて行ってくれるのを見送ってから、話へと戻る。
「で、あの子の親は?父親は?」
核心を突くように、兄と名乗る男は、私へと質問を突き付ける。
まだ未成年の私は、ビールではなくオレンジジュースを飲みながら、嫌な気持ちも一緒に飲み込み続ける。
「…さあ」
「あなたも知らないんですか?」
「ええ。知り合った時には、竜二はもうこの年でしたから」
「何も知らないんです?」
「ええ」
「なんだよ、父親もわからない私生児を産んだのか、あいつは…」
そう強く言い捨て、ビールを兄と名乗る男は一気飲みする。
いくら八つ当たりがしたいような気持ちになったとしても、私には何も本当にわからなかった。
彼女は、竜二の父親について全く語ろうとはしなかった、その理由についても、父親の存在についても、私は聞いたこともないし、訊く気持ちもなかった。
聞いたところで、何も得られるものはないと思っていたからだが、このような事態になるなんていう未来を、私は描けていなかった。
「こうなれば、探偵でも雇って探させるか…」
「竜二君、お宅が引き取らないんですか?」
オーナーが、横から口をはさむ。
兄と名乗る男は、『ええ?』と下品な声を上げた。
「無理だと言っているじゃないですか、うちには、子供が二人いて、家もせまいし、とてもとても今から育ち盛りの男の子をもう1人育てる余裕なんて…」
「じゃあ、どうするんです、もしも…この子の父親が見つからなかったら?」
「まあ、その時は…施設に預けることになりますねえ」
明らかに他人ごとな口調に、私はまたこめかみに怒りをにじませながら、オーナーに肩を押さえられながら、話を聞いていた。
大方、どころか、本当にどうでもいい、むしろ引き取ることになどなったら困るという言い方だった。
とはいえ、このような夫婦の元に預けられてしまうと、今はあんなにもいい子である竜二がどれだけ歪んだ子供になってしまうやら。
それならば、施設に預けた方が、まっとうな大人に育つかもしれない。
いや、そうじゃなくて…。
「…おい、蛍子、ちょっといいか?」
オーナーに招かれ、座敷の端の方へと移動する。
オーナーは、私と直子さんの『本当の』意味での関係を知っている、私の姉と並ぶ数少ない人間だった。
まだ35歳と若く、私はそのオーナーのもとで、もう2年ほどお世話になっている。
「まずいな、ここの料理」
「ええ」
「竜二は味がわかる子供だからなあ、何か家に帰ったら食わせてやれよ?」
「わかってます」
「…まさかおまえ、竜二のこと、引き取ろうなんて思ってないよな?」
「いけませんか?」
私がそう言うと、オーナーははあ、とため息をついて、またビールをのみ込んだ。
「おまえ、まだ19だろ?」
「年は関係ないですよ」
「で、直子さんと付き合ったの、1か月だろ?」
「付き合ったのは、2か月です」
作品名:君のいないBrandnewday 作家名:奥谷紗耶