あなたに笑顔の花束を
その質問に、しばらく黙った後に、有馬は首を横に振る。
「じゃあ、好きなんでしょ?」
「…先輩、推薦の話が来ていたでしょう」
「うん」
「私と先輩がキスしているところ、他の1人の先輩に見られちゃったの。たった1人の先輩の、しかも素行も悪い先輩の言うことだから誰も信じはしなかった。でも」
「でも?」
「怖くなったのよ。私の存在が彼女の未来をつぶすんじゃないかって。それに、先輩だって、いつかきっと、私のことを嫌いになるわ」
「わからないよ、そんなの」
「わかるわ。高校を卒業して大学に行けば、世界が大きく広がるわ。そこで、今までの狭い世界の中での恋愛なんかきっと、忘れてしまう。…なのに、私が先輩を傷付けるわけには、いかないのよ」
有馬は、泣いていた。
きっと、今までにも何度も何度もいろんな目に遭ってきたんだろう。
だけど有馬は、そう思いながらも瀬田先輩のことが本当に好きなのだ。
ああ、もう…本当に、好きなんじゃないか。
よく考えれば、僕だって、有馬のことを好きだったはずなのに。
有馬と瀬田先輩の仲を、僕はどうしようもなく、応援したくなっている。
本当は、有馬のことが好きだ。
だから、有馬が泣いているのは、やっぱり、嫌なんだ…。
「…少なくとも今、瀬田先輩が好きなのは、有馬さんなんだよ?そうじゃないと、僕にあんなこと、あのプライドの高い瀬田先輩にできるわけ、ないじゃない」
僕は、笑顔でそう言えたと思う。
そうでもしなければ、僕まで、彼女と同じように、いや、彼女以上に悲惨なくらい泣いてしまいそうだった。
泣きたいのは、僕なのだ。
「もし、何か不都合なら、形だけ僕と付き合ってるってことにしたらいいと思うんだけど」
「形だけ?」
「もちろん、瀬田先輩にはちゃんとそう伝えておいてよ?もうあんな痛い目に遭うのは嫌だからね」
「…やさしいのね」
「やさしいって、有馬さんよく僕にそう言うけど、どういう意味で、やさしいの?」
ファミレスを出てから、有馬が使う駅まで、僕は彼女を送っていた。
このずっと僕の頭を悩ませていたことに関して、僕が訪ねると、彼女は思いがけないほど、スラッと答えてくれた。
「そのままよ」
「そのままって?」
「望月君、クラスの中でも学年でもちょっとした有名人よ。他の男子と違うからでしょうね」
「違うのかな」
「やさしい雰囲気があるし、何か自慢をしてきたり、むやみに女の子に階級付けているような男子とは全然違うわよ」
女の子に階級って…篤壽とかのことだろうか。
「たくさん、愛されて育ったのね、きっと」
「母さんに?」
「お母さんもだけど、ケイさんも、望月君のこと、すごく愛してくれてたんだなあって、今日のお話を聞いて実感しちゃった」
「……どうして、僕を育ててくれたんだろ」
僕は、気が付いたら橋の上で足取りを止めていた。
違う、歩けなくなっていた。
母さんが死んだのは、ケイさんと知り合ってからわずか3カ月後のことだった。
僕がケイさんと会ってから、1か月も経っていなかった。
当時、まだケイさんは20歳になったかなっていないかで、まだ他の人と恋をしたり、もしかしたら、男の人と結婚して、自分の子供だって…。
そんな、まだ未知数の未来を捨てて、どうして、僕を引き取ることを考えたのだろうか。
未知数の未来をとった方が、ずっとずっと、彼女は幸せになれたに違いないのに。
僕は、ケイさんが好きだ。
だからこそ、幸せに、なってほしいのに。
「それは、望月君といることが幸せだって、ケイさんは思ったからじゃない?」
「そんな…まだ20歳そこそこなら、他の恋愛をした方が、幸せに決まってるよ」
「幸せの定義や感じ方は人それぞれよ。ケイさんは、望月君のお母さんのこと、本当に愛してたんだわ、私には、想像ができないくらい」
このことを言ったのは、有馬に対してが初めてだった。
僕は、ずっとずっと、誰かにこのことも、言いたかったのかもしれない。
その相手は、どうしてか今、ここにいる有馬だけれど、今日、僕が失恋し、そして、応援している女の子ではあるけれど。
有馬は、ほほ笑んでくれて、そして、涙をうっすらと(本当は、ボロ泣きだったかもしれないけれど)流していた僕に、ハンカチをくれる。
「ケイさんに、聞いてみたら?望月君にだって、口はあるでしょ?」
「かっこ悪いし、どんな答え返ってくるか…」
「ああ、もう、何をボソボソ言ってんの?!さっきまでは私に散々説教してくれたのに!!」
「せ、説教なんて…!!」
橋のど真ん中で二人でいがみ合い、しかも、僕がハンカチを振り回していたため、帰宅途中のサラリーマンや学生たちの好奇の視線でさらされる。
僕も有馬も、おっと…と息を一度ついて、顔を見合わせた後、ゆっくりとまた、歩き始めた。
「……いろいろ話してくれて、ありがとう」
「…いいや、こっちこそ、ありがとう、有馬さん」
「なんだか、望月君って、弟みたい」
「どうせ、僕は童顔ですから」
「ううん、頼りがいある弟だなって思うわ」
「はいはい」
「それじゃあ、私、ここでいいから」
駅へと続く地下道の入口で、僕は、有馬に手を振って別れた。
もう一度、自分の家へと道を戻り始める。
また、あの橋へと差し掛かる。
夕日が向こうへと落ちていくのを見つめながら、僕はただ漠然と橋の上でたたずんでいた。
そして、走り出した。
ケイさんが、店を閉めて、お風呂を上がってきたのは、もう12時をとっくに回った時間だった。
まだ、リビングでテレビを眺めていた僕を見つけたケイさんは、意外そうな声を上げながら、缶ビールのプルタブを開く。
プシュッといういい音がして、僕に、『一緒に飲む?』と、にやにや笑いながら、缶ビールを投げてきた。
それは見事に僕のほほを直撃し、痛みと冷たさで僕が悶絶しているのを、げらげらと声をあげて笑っている。
「未成年だよ」
「もう明日で学校終わりなら、いいんじゃないの?」
その言葉に、僕は素直に従うことにした。
よく冷えたビールののど越しは好きだ、だけど、味はまだ、好きになれそうにない。
なんだかんだ言いながらも、まだまだ16歳な自分だ。
一口飲んではみたものの、次の一口までが遠い。
「おーい、無理しないでいいんだぞ~?」
「…ねえ」
「ん?」
ソファで、僕の隣に座った彼女は、テレビのチャンネルをスポーツニュースへと変える。
今日は、彼女の好きな、大きな体操競技の大会の結果が放送される日だ。
実は、彼女の体操好きのおかげからか、僕は今、体操をしていたりする。
「ケイさんは…」
次の一言が出ない。
小さなころから、ずっと訊きたくて、でも訊けなかった一言を発することが、これほど緊張するものだとは思わなかった。
どう思われるのだろう、とシュミレーションを、ケイさんが現れるまで何度も何度も行っていた。
そのたびに、僕の頭の中で違う反応をケイさんが見せてくれるので、そこでまた、訊くか訊かないか迷っていた。
ケイさんは、ビールを一缶あっという間に空けてしまって、僕が握ったままになっているビールの缶をもぎ取ってきた。
作品名:あなたに笑顔の花束を 作家名:奥谷紗耶