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あなたに笑顔の花束を

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「あ、もうぬるくなってる…で、どうかした?」

汗をかき始めた缶ビールに文句をつけながらも、豪快にごくごくとそれを飲み干している。
物事を言うには、タイミングというものが必要だ。
今の僕は、そのタイミングというものを完全にはずしてしまっている。
真横にいる身長が僕より10センチほど高い、綺麗な年上のお姉さんに、この状態、このタイミングで、何を言うことができるのか。
ケイさんは、首を何度も傾げながら、僕が困ってうつむいたり、天井を見たり、テレビを眺めたりと奇妙にちろちろと動き回るのが気になっている様子だった。

「あ、彼女のこと?」

「か、彼女?」

「ほら、昨日来た子だって。あたしは、いい子だと思うけどなぁ」

「…彼女には…ふられた」

唐突の質問だったけど、僕はぼそっと、だけどスマートに答えてしまう。
その答えに、ケイさんは、ビールをごくりと飲み込みながら、バツが悪そうに目を泳がせて、そして何度か、今度は僕をちろちろと奇妙に覗き込んでいた。
そして、そのあとに微笑んできたので、僕は眉をひそめてしまう。

「ふったんじゃなくて、リュウがふられたの?」

なんだかまるで優しく諭すような口調だった。
切れ長の涼しげな目もとが細められて、柔らかい空気が生まれる。
そして、いつも、ケイさんは真剣に僕の顔を見つめてくれる。
どんなくだらない話だとしても、どれだけ僕が悪くない理不尽だった話をする時だとしても、そして、僕が圧倒的に悪かった時だとしても。

「そういう、感じだと思う」

「リュウは昔から、自分が好きなことよりも人が喜んでくれることを望む子だから、あたしは、そこが心配なのよね。寂しさを貯め込んでしまわないのかなって」

一体、ケイさんは何を悟ったのだろうか。
僕は、有馬について、瀬田先輩について、何も、何一つも語ってはいないのに、そのすべてを見透かしたかのように、今のケイさんは喋っている。
本当にとんでもない人だ。
だけど、それが失礼だ!とか、うるさい!なんていう風に、僕は思うことなんてなかった。
安心感がケイさんからはあふれていた。
そして。
自然と僕は、核心を突くあの発言を、ようやくケイさんに投げかけるチャンスをつかんだと思った。

「ケイさんは、どうして、僕を、引き取ってくれたの?」

その質問をした後、ケイさんは、きょとんとした目をしていた。
その後数秒経ってから、ワシワシッとケイさんは、僕の頭を掻きまわしてきた。
大きな、美味しい蕎麦やピザやパンを作り出す、分厚くて暖かい掌で、ガシガシと力いっぱい掴みかかってくるから、僕も大きく声を上げるしかない。

「い、痛い、痛いよ!!」

「なーにが、ませた質問するからに決まってるでしょ!」

感触が、ガシガシからゴリゴリという手のひらを押し付けるような痛みに変わってくる。

「ませたって何だよ!!」

「あんたはそういうこと心配しなくていいのに、無駄な心配してるからよ!」

そう言って、ケイさんは、げらげらといつもみたいに豪快に笑いながら、ぎゅうっと僕を抱きしめる。
体操をしていてもやっぱり華奢な僕の体を、細いけどたくましい女性の体であるケイさんの体が抱きしめる。
母さんに抱きしめられた感触は、もう、ほとんど覚えていないけれど、その記憶に続くように、ケイさんに抱きしめられた感触の記憶が続いていた。
お風呂上りの石鹸の匂いに混じって、体に染みついてとれないらしいデミグラスソースなんかの匂いが鼻をかすめる。

「バカねえ、そんなこと訊きたかったの?」

「うん」

「あんたみたいに可愛い男の子を育て上げられるって、幸せよ?あたしの今の夢は、立派になったリュウを直子(なおこ)さんに見せることなんだから」

そう言いながら、ケイさんは、僕の母親である立原直子(たちはらなおこ)の写真へと目を向けている。
ケイさんは、やっぱり母親が10歳以上も年上だったからか、直子さんと呼んでいた。
そう呼ばれるたびに、嬉しそうに母親が振り向いていたのを見て、僕はなんだか妙に嬉しかった覚えがある。
ちなみに、母親は、ケイちゃんと呼んでいた。
僕も、小学校の低学年ぐらいまでは、そう呼んでいたような覚えがある。
そう呼ばれるたびに、ケイさんも嬉しそうにはにかんで振り返っていた。
ケイさんの作る美味しいご飯を囲う三人の食卓は、幸せであふれていた。
たまにほほを赤くして見つめあう二人を幸せそうだなと、子供ながらに僕はあの時、思っていた。
今もそうであると、僕は信じていいのだろうか。
母親の写真と会話するケイさんを信じて、いいのだろうか。

「…後悔、してない?」

「してないしてない」

「本当に?」

「あ、信じられないわけ?」

「そうじゃないけど」

あまりにも、あっさりと『幸せ』だとか、母さんの名前を出してきたのに、僕は困惑していた。
これは、嘘をついているからあっさりと言えたのか、それとも、本当にそうだから、あっさりと言えたのか。
だけど、このあたたかさは嘘じゃないと、僕は思うのだ。

「…信じてくれる?」

「でも」

「でも?」

「もし、ケイさんに好きな人出来たら、紹介してね?僕、応援するよ」

「…可愛いこと言ってくれるじゃん」

ニマッと満面の笑顔にプラスして、ケイさんにまた、ガシガシと髪を、というよりも、頭の皮膚を押されるように掻きまわされる。
ああ、これが親子のスキンシップってやつなんだろうか。
…母さんが生きていたとしても、同じようなこと、されてただろうな、と幼いころの思い出を振り返って考える。
それも悪くなかったかもしれない。
そんなことを考えながら、僕は、なんだか4歳児だったころのように、ケイさんに抱かれていた。

ケイさんでよかった。

僕はそう、確信していた。





僕は次の日、終業式が終わってからすぐ、部活もサボって、自転車をこぎ出していた。
途中でペットボトルの水を3本飲みほした。
汗だくになって、タオルもパンツもびしゃびしゃだ。
こぎ過ぎて、途中でチェーンが外れて、道端のおじさんに直してもらうハプニングにも出会った。

そして、こぐこと3時間半。
たどり着いた先は、海だった。
あの日、母さんと僕と、ケイさんとで訪れた海だった。

まだ夏休みにはギリギリ入っていないし、ここはあまり遊泳に適していないため、人もまばらだ。
自転車にロックをかけて、砂浜へと裸足になって降りていく。
砂浜はあの頃よりも汚れているし、海の水だってあまりきれいとは言えなかった。
裸足だと、ガラスが刺さるかもしれないと思い、念のため持ってきていたサンダルへと履き替える。
だけど、目を閉じて感じる潮の匂いと波の音、そして、風に流れる砂の音から、僕は、あの日の母さんとケイさんを思い出すことができる。
夢の中には来てくれる母さんは、もう現実にはいない。
そう現実をかみしめるけれど、涙は出なかった。



僕には、ケイさんがいる。



だから、心配しないでね?

…いや、はじめから、心配なんかしていないよね。

母さんは、ケイさんのこと、とてもとても、大好きだったんだから。



そう思いながら、僕は、目を開けて、海を感じながら、ほほ笑んだ。
作品名:あなたに笑顔の花束を 作家名:奥谷紗耶