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あなたに笑顔の花束を

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長い黒髪がふわっと舞う。
彼女と、視線がかっちりと合う。
彼女―瀬田美紗緒(せたみさお)先輩は、新体操部の部長で、その実力が認められて、体育大学への推薦話が来ているときいた。
背も僕とほぼ同じで、すらっとした体躯と純日本風な綺麗な顔立ちで、憧れている人間は多いはずだ。
新体操部は、体操部の隣で活動しているから、お互い良く見知った存在だ。
だけど、なぜ彼女が僕のシューズに画鋲を入れるのだろうか。
そこがどうしてもかみ合わない。

「はい、どうぞ」

「あ、どうも」

彼女と僕は、誰もまだ来ない校内で、自動販売機エリアにしゃがみこんでいた。
かなりエレガントでゴージャスで、しっかりとした態度しかとらないと思っていた彼女が、地面に制服のまま座り、赤い瞳のままパックジュースを飲みながら空を見上げている。
赤い瞳をしているのは、寝不足だろうか…泣いていたの、だろうか。
とにかく、その行動があまりにも意外で、僕は、同じパックジュースを飲みながらある意味見とれていた。
その視線に気がついたのか、彼女の目つきが悪くなる。

「何?」

彼女は、見た目は清楚だけれど、性格が結構きついのは知っている。
きついというよりも、気高いというのだろうか。
そんな彼女が、シューズに画鋲という古典的な嫌がらせをするまでには、どれだけのジレンマがあったのだろう。
ひっくり返して言えば、それほどまでに、追い詰められていたということなのかもしれない。

「い、いえ…それで、僕、先輩に何かしましたか?」

「…何もしてないわ」

「じゃあ、どうして、あんなことを?」

「あなたが…」

瀬田先輩が、体を丸めるように、体育座りポーズをとる。
ぎゅうっと体を自分で抱きしめるように、その姿は、なんだかとても痛々しくて、仕方がない。

「あなたが、瑞穂と、付き合っているから」

「どういうことですか?」

「それだけよ…ごめんなさい、悪かったと、思っているわ」

それだけを言うと、彼女はそれっきり、黙り込んでしまった。
ちらちらと登校し始めてきた生徒が見え始めたから、僕は、彼女を置いて、そのまま教室に向かった。





デート、というわけじゃないけれど、授業が終わってから、僕は、部活がない有馬を誘った。
有馬は少し戸惑っていた様子にも見えたけれど、OKサインを出してくれたので、有馬を連れて、僕はとりあえず、ファミレスへと入った。
本当は、もっと雰囲気のいい喫茶店なんかがいいんだろうけれど、そんな場所は知らないし、何より、シリアスな話をすることとなるのだから、場所はこんなところの方が適切だと思う。
ドリンクバーと、彼女にだけ気前よくチョコパフェを頼んだ。

「なんだか」

「何?」

「僕、こういうの初めてで」

本当に、こういう風に女の子とのツーショットが初めてで、ちょっと指先が震える。
有馬は、そんな僕を見て、笑っている。

「今度は、もっと雰囲気いいところでお願いね」

「…今日、瀬田先輩に会ったよ」

僕の言葉に、今まで笑っていた彼女が、すうっと冷めていく様子が手に取るようにわかった。
お待たせいたしました、とウェイターの手から渡されたチョコパフェにさえ、気がつかないように。

「僕のシューズにいたずらしたのは、先輩らしい」

「…そう」

「本当は、わかってたんじゃない、有馬さんには」

「何が?」

「瀬田先輩が、したっていうこと。だから、昨日…」

「いい加減にして!そんなことを話したくて、私を誘ったの?!」

店内に響いた有馬の声に、他のお客さんが驚いてこちらのボックス席を覗いてくる。
僕は、周りの客を睨みつけてから、もう一度、切り出した。

「…これは、僕の想像なんだけど。瀬田先輩、有馬さんのこと、好きだったんじゃないのかな?」

「…ずいぶん突拍子のない発想ね」

チョコパフェの溶けだした部分をスプーンですくい、崩しながら有馬は苦笑いしながらこちらを見ている。

「突拍子ない発想かな」

「やっぱり男の子はそういうのが好き?女同士がいちゃつくのを想像すると面白い?なぁんだ、望月君も普通の男の子だったってことか…」

有馬は、僕が何も言わないのに、勝手にぺらぺらとしゃべりだす。
そして、その声はだんだん上ずっていき、勝手に声だけがけたけたと笑い出していた。
彼女も自分で分かっていないのか、彼女の顔自体は笑っていないのに、声だけが笑っている。
僕は今、とてつもない決意を固めている。
とてつもない…かどうかはわからない。
しかし、僕は今、言わなければいけないと、そういう使命感を感じていた。

「昨日会ったケイさん、有馬さんは誰だと思ってた?」

自分が話す言葉のスピードに乗せるように、チョコパフェを口に運びながらしゃべる有馬はナイーブさを増している。

「望月君のお姉さんじゃないの?」

「…ケイさんは、僕の死んだ母さんの恋人なんだ」

ガシャガシャと僕はアイスコーヒーを掻きまわしながら、答えた。
このことを言うのは、初めてだった。
何か、後ろめたいものがあったのかもしれない。
ばれたら、友達に何と思われるんだろうとか、いろんなことが頭を巡っていたからだ。
いろんなことを想像されるかもしれない。
そんな親を持っているんだ、と言われるかもしれない。
こんな風に頭の中で文章化して考えたことはなかったけれど、きっと漠然とイメージしていた何かに抑え込まれていたんだろう。
有馬は、長いスプーンの柄をつかんだまま、目を見開いてとても驚いたような表情をしていた。
チョコパフェは、半分くらいとろけていた。

「…そうなの?」

「ケイさんが20くらいの時、母さんが死んで、僕を引き取ってくれたんだ」

「…どうして?」

「さあ、僕にも、それはわからないんだよね」

「変よ、そんなの」

「変?」

「そんなに、一人の人間のこと、好きでいてくれるはず、ないじゃない。…でも、好きじゃない人間の子供なんて、引き取るはず、ないわ」

押し殺したような声で、有馬がつぶやく。
そう、僕もそう思っていた。
そんなにマンガみたいに永遠に恋や愛なんてものが通じるはずがないって。
だけど。
ケイさんを見ていたら、それを信じたくなっている自分がいた。
彼女は、毎朝、毎晩、母さんの写真の前で会話をしている。
今日、リュウが自転車で転んだけど、泣かないで1人で立ち上がっていたよ、とか、嫌いだった青魚を食べられるようになったよ、とか。
ヒマワリが咲いていて綺麗だから写真を撮って来たとか、新作料理ができたから持ってきた、とか。
もう10年以上も続けられている死んだ母さんとケイさんの会話を見ていたら、自然と僕は、母さんがケイさんを好きになった理由がわかった気がしていた。
やさしいとか、面白いとかそういう次元じゃなくて、何か、ケイさんの持つ空気やそのものの包み込むような温かさを、母さんは感じ取ったのかもしれないと。
ケイさんといる時の母さんは、本当に、本当に幸せそうに、僕には見えていたのだから。
夢に出る母さんの笑顔の向こうには、ケイさんがいた。
そして、そんな笑顔の母さんが、僕は、大好きだった。

「有馬さんは、瀬田先輩のこと、嫌いなの?」
作品名:あなたに笑顔の花束を 作家名:奥谷紗耶