あなたに笑顔の花束を
消毒されて、ばんそうこうと保護用の包帯を巻かれ、僕は今日、部活を休むこととなった。
クラス内で、担任から全員が注意を受ける。
あまり大袈裟にしたくなかったけれど、保健室の先生がどうやら担任に伝えたらしい。
クラス内はざわめき立ち、僕は、声をかけてくれる友達に微笑むことしかできなかった。
しかし、このクラスの中の人間が行ったとは、僕には、直感的に考えられなかった。
誰か、外部の人間の仕業じゃないか、と、どうしてか、そう思えたのだ。
大丈夫だというのに、有馬は、家まで僕を送っていくと言い張った。
もう下校時間には、痛みはほとんどなく、普通にスニーカーを履いて歩いていたが、彼女は僕の隣をついてくる。
家の方向は真反対だし、部活まで休ませてしまって申し訳がなさすぎた。
「本当にいいよ、有馬さんの家、遠いでしょ?」
「気にしないでよ」
どうしてか、彼女は機嫌が悪い。
彼女からの会話もなければ、こちらから話せるような雰囲気でもない。
僕は、女の子の顔を見て何かを察するなんていう才能を持っていないから、言葉に詰まってしまう。
だけど、彼女はまるで、何か責任を果たすかのように僕の隣にぴったりと張り付いていた。
息苦しい。
違和感を感じていた。
何か、張りつめた意識のオーラが感じられて、僕はだんだんと歩みのスピードを緩めていった。
彼女も数秒遅れて、スピードを落とす。
「どうしたの?」
「ここでいいからさ。十分だよ」
やっぱり、確信めいたことは言えない。
額から、汗がこぼれおちてくる。
暑いからなのか、それとも、緊張しているんだろうか、僕は。
彼女は、ちょっと口調が強くなった僕の言葉に瞼を震わせた。
長い睫毛が揺れる。
「……本当に、やさしいのね」
「え?」
彼女は、僕を『やさしい人』だと言う。
僕は、その意味がわからない。
やさしいから、何なのか。
やさしい=物足りないのだろうか。
よく読むマンガで、優等生な主人公はいつもそう言われて、女の子に振られているんだっけ。
…僕も同じなんだろうか。
でも、彼女はそれがわかっていながら、僕に好きだと言ってくれたんじゃないのだろうか。
ああ、女の子って、わからない。
いや、有馬瑞穂が、僕には、わからない。
「でも、送らせてちょうだい、どうせ、予備校に行くには、次の駅からでもいいんだから」
彼女は、一つ息をついて、また僕の腕を掴んで歩き始めた。
予備校に行く、とか、次の駅でいい、というのは、本当かどうかわからない。
だけど、僕にはそれを確かめるすべもない。
ずっと女性と暮らしているけれど、そういうところに、僕は本当に疎い。
ケイさんは、こんな風にわかりにくい人じゃないからかもしれない。
「リュウ、早かったじゃん、部活は?」
帰ると、ケイさんは、ぴしっとノリの効いた調理服姿で、カウンターの中から顔を出してくれた。
ケイさんの店は、和洋中なんでもありなレストランで、辺鄙な山裾にあるために、いささかリーズナブルだ。
裏に湧水が出ていて、その水で作られるケイさん特製の蕎麦やパスタ、近くの契約農家から来る新鮮な野菜や肉、卵、お米、それに港から直送の新鮮な魚介類。
そのすべてがここならば揃えられると考えたケイさんが、このレストランを開いたのは、僕が11歳の頃だった。
最初は軌道に乗らなくて、ケイさんもさんざんグロッキーになっていたようだ。
しかし今は、従業員5人を雇い、ランチタイムは主婦が、ディナータイムは家族づれやカップル・夫婦が訪れるアットホームなレストランとして近所では有名だ。
今、どうやら何か生地の仕込みをしていたのか、髪の毛が少し粉をかぶっていた。
「ええと、サボり」
「違うでしょ。竜二君、怪我しちゃって」
ごまかしたのに、有馬が見事に素直に答えてしまうので、ケイさんはカウンターを飛び出してきた。
さらに、従業員の三品さんや松前さんまで飛び出してくる。
「おいおい、竜二、大丈夫か?」
「痛くないの!?」
髭面兄貴な三品さんと、外見より実は結構年上女性な松前さんのバンダナも粉だらけだ。
粉と汗が混じって、白い汗が流れている。
クーラーなんてかけられないカウンター内だから、扇風機だけが3台、フル稼働している。
「大したことないって」
「で、あなたはリュウの彼女?」
「ケイさん!!」
「おっ、ムキになるってことは、ほんとなのか、リュウ?」
「リュウ君もそういう年ごろなのねえ…」
僕を置いて、話は勝手に進んでいく。
ケイさんと有馬はにこやかに話しているし、僕は三品さんと松前さんに質問づけにされてしまう。
ああ、なんなんだ、これは。
あれだけ不機嫌だったはずの有馬は、ケイさんとジェスチャー付きで話している。
微笑まれると、いつもの有馬だから、こちらだって笑うしかない。
僕は、どっと疲れてしまったのか、用意されていた夕食のシチューを食べてから、その食器を洗うのも忘れて、リビングで眠ってしまった。
夢の中でまで、『やさしさ』について、考えさせられながら。
朝、僕はいつもより30分以上早く学校へと向かった。
理由はただ一つだ。
僕は、誰もまだいない下駄箱の後ろで、息をひそめて待っていた。
キュッキュッと靴音が響く。
僕の下駄箱の前で、靴音は止まる。
キィと下駄箱が開けられる音。
「何してるんです?」
僕の声に、人物は走り出す。
僕はもちろん追いかける。
人物は女性だった。
しかも、制服姿。
さらに、胸元にあったバッジの色は青色だった。
僕のいる高校は、1年生が赤、2年生が黄色、3年生が、青色のバッジをつけることになっている。
つまり、僕のシューズに画鋲を入れてくれた人は、3年生の女性の先輩だということだ。
体育館裏へと先に先輩が走り、その姿を僕が追いかける。
すると、いきなり僕は先輩にドンっとぶつかった。
「おっ、君もかぁ、早起きだなあ」
校長先生だった。
そうだった。
校長先生は、朝異常に早く来て、ゴミ拾い活動をしていると聞いていた。
背広だけを脱いで、ポロシャツ姿で、チリとりとほうきを持ち、麦藁帽子をかぶっている先生は、完璧に農家のおじさんだった。
「ええ、朝練前の、朝練です。ちょうど、僕、時間空いてたので、先輩の手伝いをって思いまして」
「え?」
校長先生と僕に挟まれて身動きが取れない先輩は、一人うろたえていた。
僕は、勝手に先輩をマネージャーということにして、話を合わせて、と瞬きをする。
先輩は、コクコクとうなづく。
僕は、その時気がついた。
この先輩を僕は知っている、もちろん、先輩も、僕を知っている。
「道具出したり大変なんですよね?先輩」
「そうかそうかぁ。がんばれよぉ」
校長先生は豪快に笑うと、じゃあ、と一礼してくれて、そのまま表へと出て行った。
ちょうどこの先に、部室があったから助かった。
校長先生が見えなくなるまで見送ってから、先輩は、何もなかったかのように逃げようと駆け出す。
そんな彼女の手を掴んで、僕は引き寄せてた。
「ちょっと待って!別に、僕は学校に訴えるとか、そういうつもり、ないんですから…瀬田(せた)先輩」
彼女は、僕の言葉にゆっくりと振り返る。
作品名:あなたに笑顔の花束を 作家名:奥谷紗耶