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あなたに笑顔の花束を

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「恋人の試用期間。一緒に帰ったり、たまに出かけたり。別に、キスしたいとかセックスしたいなんて言わないから」

いろんな単語が波のように押し寄せてきて、僕は混乱していた。
彼女はあくまでも、ほほ笑んでいる。
どうして、そんな態度でいられるんだろう。
女の子って、怖い生き物なんだって初めて気がつく。
試用期間って、そんなものがある恋人関係って、どんなものなんだろう。
彼女の思惑がよくわからない。
だけど、彼女のことが、僕は気にならなくはない。
だからなのか、僕は返事を返さなかった、いや、返せなかった。

「いきなりは、返事できないよ」

「それも、そうよね」

「でも、そう言われるの、嬉しいから」

「それなら、私も嬉しい。そろそろ部活行かないとね」

「うん、有馬さんも、がんばって」

「呼び捨てでいいわ」

彼女はそう言って、バイバイと軽く手を振りながらいなくなった。
残された僕は、なぜか不完全燃焼な気持ちで、胸がいっぱいだった。





このことは、誰にも相談できなかった。
相談しようにも、そういう友達はいなかった。
篤壽に相談したら、この事実はきっとクラス中に知れ渡る。
部活の先輩に相談しても、同じ結果が訪れる、むしろ、学校全体に知れ渡るかもしれない。
高校生の恋愛は大変だって、クラスの誰か(先輩と付き合っているらしい女子)が言っていたのを思い出す。
急に終わっても学校内でどこかで会う確率があるから気まずいし、高校生活が終われば、関係が終了する確率は高いからって。
僕はそんな複雑な将来を頭で描いてはいなかったから、ただ純粋に、有馬のことが気になっていただけだ。
あの日以来、有馬とは、会えば笑いながら「おはよう」を言ってくれたり、宿題を休み時間に教えてもらったりする仲になった。
悪い気持ちじゃない。
もちろん、そのたびにクラス内は多少ざわついていた気もするけれど。

「なあ、あの有馬と何かあったわけ?」

「あのって何だよ…」

「あの真面目しか取りえないような有馬だぞ?」

学校帰り、偶然一緒になった篤壽に責められた。
あの、と篤壽が有馬に関する枕詞を使うのは、彼がサッカー部で、新体操部姿の有馬を知らないからだろう。
知ったらきっとびっくりするだろうな、と思いながら、僕は歩く。

「…部活隣だから、話をよくするようになっただけだよ。入学してもう4ヶ月くらいだし」

「ふーん…なんだか、納得できるような、できないような」

「篤壽たちが思ってるほど、彼女、とっつきにくい人間じゃないよ」

「そうかぁ?オレなんか明らかに嫌われてる気がすんだけど」

「それは篤壽が…あ」

住宅街の交差点で、右の道からやってきたのは、買い物袋を提げたケイさんだった。
背が高いので、とても目立つ。
今日は店が定休日だから、こんな夕方の時間に買い物にでも行っていたらしい。
食材は段ボールでいろんな場所から届くから、掃除道具や洗剤なんかだろうか。
そして、右手には、花束が握られていた。

「ケイさーん!」

篤壽がどうしてか叫んでいる。
ケイさんはその声に気がついて、大きく振りかえってくれた。
篤壽は、どうしてかケイさんをとても気に入っているらしい。

「あ、リュウに篤壽君。今帰り?」

「部活帰りの高校生ってやつですよ」

「うんうん、青春謳歌してるのね」

「ケイさん、買い物してたの?僕に携帯で頼んでくれたら買って帰るのに」

「ちょっと郵便局に出かける用もあったしね」

「その花束、何なんスか?」

「ああ、これは…」

「母さんの、月命日なんだ、明日」

僕のその答えに、篤壽は、聞いてはいけないことを聞いてしまった、というような雰囲気に陥る。
その雰囲気はしばらく続き、そして、ケイさんが断ち切ってくれた。

「さーて、じゃ、あたしはまだ買い物あるから、リュウ、部屋のクーラー入れといてね」

「わかったよ。キンキンにしときます」

「じゃ、篤壽君も、夏バテしないようにしっかり食べなさいよ」

僕に、花束以外の荷物をほいっと手渡して、ケイさんは、通り過ぎて行った。
その後ろ姿をしばらく見送ってから、篤壽は、苦しそうに息を吐く。

「あー…なんか、妙な雰囲気にしてしまった」

「いいよ、気にしないで大丈夫だからさ」

「でも、月命日って、ケイさん、いちいち…って言い方もあれだけど、ちゃんと花束とか買ってくるわけ?」

「毎月ね。母さん死んでから、ずっと」

「よっぽど仲が良かったんだな、リュウの母さんとケイさん」

「うん、年が離れている分、かわいがられたみたい、だね」

ウソのような本当のような事実を僕は言う。
月命日?
それどころじゃない。
ケイさんは、母さんの位牌に毎朝、毎晩話しかけているのを僕は知っている。
僕が今日はどうだった、とか、店はどうだった、とか、季節のことや、天気のことや、ニュースのことや、いろいろなことを話しているのを、僕は知っている。

家に帰ったら、ケイさんは、母さんの写真立ての隣に、その花束を飾っていた。
そして、いつも、悲しそうな、ほほ笑んでいるような、そんな、僕には何と言えばいいのかわからないような、不思議な表情をしているのだ。
そこに、僕はいつも、入り込めないな、と感じる。
僕と母さんは、親子だけれど、母さんと、ケイさんは、恋人同士だから。
彼女と母さんにしか、わからない会話だって、しているのかもしれない。
そう思うと、妙な疎外感があるような気分を得る一方、いつも思うことがある。

彼女はどうして、僕を引き取ってくれたのだろうと。





有馬との微妙な関係は、続いていた。
そして、その関係の延長線上になのか何なのか、僕の身に、妙な出来事が起こるようになった。

「おはよう、望月君」

「おはよう、有馬さん」

「だから、さん付けはいいって」

登校途中、彼女に出会えて、僕は複雑ながらも嬉しい気持ちになる。
もう1週間もすれば、終業式だ。
地獄の三者面談が終われば、宿題は大量にあるとはいえ、夏休みだからだ。

「夏休みは、どこか行く?」

「え?」

「海とか、プールとか」

「海は、いいや」

「海苦手?泳げないの?」

「いや、そうじゃないんだけど」

海に行くと、母親の顔を思い出す。
そして、もう彼女に会えないことに気をもむ自分がいる。
情けない姿を見せたくはない。

「映画とかにしようよ、暑いし」

「そうね、見たい映画考えとく」

スニーカーを脱いでシューズに履き替える。
ところが、そのシューズを履いた瞬間、僕は激痛に飛び上がった。

「ったぁ…」

「どうしたの!?」

「なんか、刺さった…」

ギャラリーが僕の声に驚いて、取り囲むように集まってくる。
痛みに耐えながら、そのシューズから足を引き抜くと、かかとに、押しピンが刺さっていた。
刺さった先から、靴下を通してじんわりと血がにじみ始めている。

「抜かない方がいいよ、そのまま保健室行こう」

「そうだね」

「ほら、肩貸すから」

有馬に支えられるようにして、僕は片足ケンケンのまま、すぐそこにある保健室へと向かう。
押しピンはかなり深く刺さっていて、抜いたときには違和感があったくらいだ。
作品名:あなたに笑顔の花束を 作家名:奥谷紗耶