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フィアンセになりたい

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綺麗な黒髪は相変わらずで、薄紫色のグラデーションがかった着物を着て、ゲタを鳴らしていた。
傘をしまう時の目線が、しぐさが、体のラインが色っぽかった。

「大人っぽくなったのね、貴哉ちゃん」

「静枝さんこそ、本当に、女将さんなんですね」

「とにかく、どうしてここに来たの?」

私は、息を切らしてやって来た静枝さんに、すべてを話した。
静枝さんは、泣くことも、叫ぶことも、何も感情をあらわにすることなく、ただ、伝えてくれてありがとう、とだけ言ってくれた。

「あの、お見舞いなんて…無理、ですよね」

「…東京は、遠いわ」

「…ごめんなさい、困らせようとしたわけじゃなくて」

「それじゃあ、私、そろそろ戻らないと怪しまれちゃうわ。本当に、今日は来てくれてありがとう」

無理やり笑ったように笑顔を作って、静枝さんは私に一万円を握らせてから店を出ていった。
私は、その一万円を財布にしまいこんで、自分の財布の中の一万円札で会計を済ませ、ホテルへと戻った。

旅の目的は終わった。
結局、静枝さんに母親の容態については知らすことができたけれど、連れて帰ることは出来なかった。
中学生というのは無力だと、改めて感じさせられた。
次の日、朝早くチェックアウトした私は、まだ人もまばらどころかぽつりとしかいない舞鶴の町を抜け、駅のホームに立っていた。
まだ、通勤通学の人たちも少なく、混んでいない鈍行列車がゆっくりとホームへと入ってくる。
プシュッと扉が開く音がして、そこへ一歩踏み出そうとした時、後ろから声が聞こえた。

「貴哉ちゃん」

その声に驚いて、私は振り向いた。
そこには、階段を駆け上がってくる静枝さんがいた。
着物なんか着ていなくて、ゲタなんてはいていなくて、それこそ着の身着のままで、スーツケースとハンドバッグだけ持って、彼女は駆け上がってきた。

「どうして、ここに来たんですか?」

「私も行くわ」

「でも…」

「いいから乗るの」

彼女に強引に引っ張られ、私はピリリリッと響く駅員の笛の音を覚えながら、電車に滑り込んだ。
扉が閉まり、電車が動き出す。
景色が動き出し、私は思った。
とんでもないことをしてしまったのではないのかと。

「次の駅で乗り換えて、京都からは新幹線使いましょう」

「でも、私、新幹線なんて…」

「お金なら出してあげるわ、早く東京に帰らないと。…お母さんのそばに、いてあげて」

静枝さんは、そう、力強く、誰にも屈さないような強さを込めて言ってくれた。
私は、本当に静枝さんを連れて帰ることができるとは思ってもみなかった。
こんなことができるなんて夢にも思わなかったのだから。
だけど、私は、一つの家庭をぶち壊してしまったのだろうか。
確かに、静枝さんは、ご主人のことを冷たい人だと言い、そして、たまに結婚した事実を振り返ると不思議になることがあると言っていたのを聞いたことがある。
だけど、その反面、私よりも一つ下の女の子のお子さんのことをとても愛していて、一体どんな風に育つのか、私と一度会わせたい、なんて言うことだって何度も耳にした。
私が母を失うのは、病気のせいだ、それこそ、運命だと言えると思う。
しかし、静枝さんのお子さんや旦那さんが、静枝さんを失うのは、運命ではない。
私の故意によるものなのだ。
そう思うと、静枝さんに握られたままだった手を、私はぱっと振り払った。
静枝さんは不思議そうに私の顔を覗きこんできたけれど、私は、苦み走ったような顔で、目立ちますから、とだけしか答えられなかった。

新幹線を使って東京まで。
行きとは違って、とても快適で、そして、思っていたよりもずっとずっと早く母親に会うことができる喜びに心を躍らせた。
母親は、毎日日課の如く、点滴を隣に、相変わらずピアノを弾き続けていた。
それこそ、鬼気迫るような勢いの、誰もかれもを置いてきぼりにしたような、死に抗うかのような孤独な響きを見せていた。

「ママ」

振り返った母親は、また頬をこけさせていた。
点滴の管の繋がった腕は、筋が目立ち始めていて、肌色も悪い。
明らかに悪くなっていた。
だけど、母親はそんなことをみじんも感じさせないよう、パッと明るい顔を創り出し、私を一喝した。

「…あ、貴哉、野外学習なんていつ決まったのよ?お金だって……」

私の後ろから姿を現し、深く深く頭を下げる静枝さんを見て、母親は、押し黙った。
そして、私の顔と交互に静枝さんの姿を確認する。

「…どういうことなの、貴哉」

「舞鶴に行ってた」

「そういうことを聞きたいんじゃないわ」

「…貴哉ちゃんが悪いんじゃないんです。ついてきたのは、私の方からなんですから」

母親の声は低く、怒っていることは簡単に感じ取れた。
ぎゅうっと腕を握りしめ、鍵盤の上でうつぶせになっている。
そうっと静枝さんは母親に歩み寄る。
その差し出した手を、母親は小さく振り払った。

「あなたも何を考えてるの?こんな…残り少ない人間の所なんか来て…家族のこと考えなさいよ。あなたには子供も旦那もいるでしょう」

「いいんです」

「いいって…帰りなさい。まだ、今なら許してもらえるわ。ちょっと1人になりたかったからとか、そうやってなんとか…」

「ここに来たのは、私の意思なんです。私は、貴子さんのことが大好きですから」

うつぶせになっていた母親は、そっと顔を上げた。
静枝さんの姿を確認するなり、揺らぐ身体に鞭打つようにして、立ち上がり、肩を抱き寄せる。
抱き寄せるというよりも、静枝さんにもたれるようになってはいたけれど、抱き合うようにして2人は涙を流していた。

「…嘘。…夢かしら。もう死んでもいいわ」

「何縁起でもないことを言ってるんです」

「だって…こんなこと、あるはずないって思っていたから」

「私、貴子さんといます。ずっと、これからはそばにいます。いさせてくださいますか?」

2人の姿を後に、そっとホールの扉を閉めて、私はポケットに入っていたポータブルミュージックプレーヤーのイヤホンを耳に刺した。
そして、今から私は看護婦や他の患者たちから2人の空間を守るため、衛兵のように、ホールの前に座りこんだ。
ママ、おめでとう。
私は心の中でそう呟いた。









「夫婦以上の仲の良さですね。アツアツ過ぎて、検温に来るこっちの身にもなってほしいなぁ」

前まで少し母親に熱を上げていた看護婦の一人が、体温記録をボールペンで書き込みながら、小さく毒づいてくれる。
顔は笑顔で、静枝さんと母親を祝ってくれている。
身体を起こして、静枝さんの剥いてくれたリンゴをかじりながら、母親は機嫌よくにこにこと笑っている。

「女同士の恋は、そういうものなのよ」

紅茶を飲んでいる静枝さんは、いきなりの母親の言葉に咳き込んでいる。

「そうなんですか?」

「その代わり、喧嘩し始めたらとことんだけどね」

「そういえば、一昨日貴哉ちゃんが言ってましたよ。あの2人はしょうもないことでいい方にも悪い方にも盛り上がるって」

「…おしゃべりめ」

母親は、私の頭をガシガシと潰すように撫でながらそう囁いた。
作品名:フィアンセになりたい 作家名:奥谷紗耶