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フィアンセになりたい

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私がいなければ、今まで付き合っていた女性の中で、一生のパートナーだと言える女性が見つかっていたのではないかと。

「…子供だと思ってたのに、結構おませに成長しているものね」

「このごろの子供、なめてもらいたくないなあ」

「何度も言ってるでしょ、彼女、人妻よ」

母親はそう言い捨てながら、少しうつらうつらと瞼を落とし始めていた。
ザルな母親が、缶ビール半分で酔ったのは、この日が最初で最後だった。








「あ!そのお好み焼きって、関西風の、上にネギが乗ってるやつですか?」

もう程よく冷めたコーヒーを含みながら、彼女が思い出したように大声を上げる。

「ええ、そうだけど」

「お母さんが、私が小学生の時、友達に習ったってしょっちゅう家でも作ってたんです、その…貴子さん風のお好み焼き。すごく美味しかったなあ、懐かしいな」

「そうやって言っていただけたら、母もうかばれるわ」

「うかばれるって?」

「亡くなったの、ちょうど、14年前」









静枝さんがぱったりと来なくなる前の夜。
閉店後、鉄板の片づけをしていたはずの母親がいないことに気がついたのは、もう10時を回ろうかという時間帯だった。
次の日の家庭科の授業でエプロンがいることを伝え忘れていたのだ。
いつもエプロンは母親が朝、ランドセルのそばに置いておいてくれるので、入っている場所さえもよくわからない。
しょうがないから、明日の朝に伝えよう、と私は戸締りだけをして眠りに就くことにした。
女性と会っているんだろうか。
とはいえ、私を夜1人置いて行くような人ではない。
だとしたら、静枝さん関係なのかな、などと小学生らしからぬさまざまな想像をしているうちに、眠りに落ちた。
そしてその次の日の朝、母親はいつものように、朝早くからエプロンを用意し、朝御飯を用意していた。
だけど、その目もとは少しどころか大きく赤く腫れ上がっていて、私は昨日母親がいなかった理由について、尋ねることはしなかった。
いや、出来なかった。
まるで、何か吹っ切れたかのように、お店では以前と同じように女性を口説き、ピアノを弾き、お好み焼き屋を繁盛させる母親に、何も言えなかった。
言ってしまえば、思い出すかもしれない。
言ってしまえば、泣いてしまうかもしれない。
もう中学生になり、少しずつ大人の世界への階段を昇り始めていた私は思ったのだ。

そんな矢先だった。
母親が、仕込みの途中で倒れたと従業員の人から学校に連絡があり、私は学校を早退して病院に駆け付けた。

「大袈裟なことしなくていいのに」

血液検査の結果から、医者に精密検査を勧められた母親は、断固として入院はしたくないの一点張りだった。
あまりの頑固さに、まだ若手の医者は苦笑いを浮かべるしかなかったようだ。

「大袈裟って、ママ、倒れたんだよ?」

「ちょっとした貧血よ、朝、あんまり食べなかったし」

「この頃食欲落ちてるでしょ?この際だからちゃんと診てもらおうよ」

「ん…」

私の強い押しが効いたのか、母親は素直に1週間の検査入院を受け入れた。
検査入院の間も、看護婦を数人、女性の医者や放射線技師を数名確保し、女性なのにハーレムを作り上げていた母親には愕然としたが、それ以上に愕然となったのは、その精密検査の結果だった。
悪性の腫瘍が見つかったのだった。
まだ、年齢は30代と若いため、転移も早く、無論、手術をしても延命には繋がらないと医師から宣告を受けた。
母親には、その事実を伝えなかったが、日に日にやせ細る自分自身の姿に何かを感じたのか、ただただ、毎日ホールにあるピアノを弾き続けていた。

「お母さん、ピアノお上手ね」

「プロだったんです」

「ピアニストだったの?」

母親のピアノのファンだという(母親自身のファンだと思うが)看護婦が、私にある日そう尋ねてきた。

「誰か、自分を妬んだ人に刃物で手首に傷を負わされたそうです。それで、知り合いのお好み焼き屋を引き継いだって」

自分を妬んだ人、というのは、母親の才能を妬んだのではなく、実は、母親に自分の恋人を奪われた男だった。
怪我をして、最高の力でピアノを弾けないとわかった時、挫折感を味わったと同時に、母親はかえってよかったと感じたという。
音楽の世界には、視野が狭く、大きな絵が描けない人ばかりだったらしい。
自分の才能をひけらかすだけで、独りよがりな人ばかりで、自分もそうだったのだと感じたと。
だからあえて母親は、お好み焼き屋になり、その店のピアニストにもなったのだ、と語っていた。
聴く人の立場を考え、最高のピアノを弾く技術を学んだのだと。
お好み焼きを食べながら聴くピアノ、どのようにしたらいいのか、と試行錯誤し、今の母親がいるのだ。
こんなに努力して、私を育ててくれていて、そして、最高のピアノとお好み焼きを提供できる母親に、どうして病魔が住み着いてしまったのか。
なにか、母親にしてあげられることはないものか。
そう思った時、私はもう、駆け出していた。

簡単に荷物をスクールバッグに詰め、JRの青春18きっぷを片手に、5月の五月晴れの東京を出発した。
仲良くなった看護婦さんには、母親には私は野外活動だからと伝えてと言い、2日ほど来れないと伝えた。
鈍行で半日以上かかり、京都という場所にやってきた時にはもう夕方をとうに過ぎていた。
宿は近くのカラオケボックスで十分と思っていたら、カラオケボックスがなくて1人で街をさまよい、結局ビジネスホテルを取ることになった。
背も高く、多少年が高く見えるように着こんできたのが幸いしたのか、チェックインは簡単だった。
ビジネスホテルの部屋で、近くのパン屋で買ったフランスパンの夕飯をかじり、ロビーにあった旅ガイドの旅館を片っ端からチェックした。
すると、探し始めて10分ほどで、小さく静枝さんが映っていた旅館を発見した。
逢鶴という名前の旅館に、公衆電話から大急ぎで電話をした。
ところが、プッシュしてから気がついたことがある。
何をどうやって静枝さんに伝えたらいいのか、ということだった。
よく考えたら、東京の矢野です、だなんて伝えたら、あとから向こうの旦那さんや従業員さんたちに不審がられてしまう。
そう思っていた矢先、電話は、つながってしまった。

『お待たせいたしました、旅館逢鶴でございます』

「え、え、ええええと、あの…その…」

『……もしかして、貴哉ちゃん?』

電話のくぐもった声でよくわからなかったが、出たのは、静枝さんだったらしい。
私は、ほっとして、話を続けることができた。

「あの、静枝さん…お母さんが、病気で、今、私、舞鶴にいて…」

『ちょっと待って、今日、旅館の女将の会合があるの、早めに切り上げてあなたに会うわ。駅裏に喫茶店があるから、そこにいてちょうだい』

それだけ告げられて、電話は切れた。
何時に会うのかもわからず、私は大急ぎでホテルを飛び出し、駅裏にあった唯一の喫茶店に飛び込んだ。
客は誰もなく、ただマスターが一人でジャズのレコードを何度も交換していた。
それから1時間後、私の注文したクリームソーダのアイスがとろけきった頃、静枝さんが現れた。
作品名:フィアンセになりたい 作家名:奥谷紗耶