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君を待つ町

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特に関心があるわけでもなさそうに、ふうんと一言口の中でつぶやいていた。

「だから、もうそっちには行けそうにないの」

「うん、わかった。でもたまには遊びに来てね?おじいちゃん寂しがってるから」

「気が向いたらね。じゃ」

私は心を鬼にして、彼女の前から付き合い始めた男子生徒の腕を引っ張るようにして立ち去った。
特にこの男子生徒が好きだという気持ちなんて、もちろんなかった。
だけど、身を守るためには、そして、彼女を守るためにはこうするしかなかった。
好きでもない男子生徒だったけれど、彼はクラス内で唯一私に好奇の目を向けず、"憐み"の目を向けてきた人間だった。

「みんなあんなこと言ってて、入谷さんかわいそうだ」

しょうもない憐れみは、人を侮辱するのと同じだということを無知な彼は知らなかったけれど、私は中学を卒業するため彼を思う存分利用した。
おかげで、私や彼女に対する妙な噂は、ある程度払しょくされたけれど、私と彼女はその後一度も会話することなく、もちろん、彼女の家に遊びに行くこともなくなった。
卒業してから、彼とはきっぱりと別れ、私はここからバスで通うような舞鶴の中でも街中の進学校へと進学した。
進学した先でも、ほどほどにいいなと直感した男子生徒と付き合っては、妙な言いがかりが付けられない程度のサイクルでとっかえひっかえして身を守り続けた。
彼女のことは、風の噂でしか聞いたことはなかったけれど、音楽関係の高校に進んだというわけではなかったらしい。
近くの公立高校にでも通っているのだろう、歩いていてすれ違うことさえもなかった。
彼女を守りたいその一心だった。
彼女を失ってしまうことはわかりきっていた。
明るく活発で、人の前に立ちたがって人を使うのが上手な"うわべだけ取り繕った私"ではなくて、大人しくて、夕焼けが似合って、物思いにふける深窓の姫君っていう感じの"本当の私"を感じ取ってくれた彼女。
それをなくすことは、自慢の人をなくすのは、母親がいなくなったことよりも辛く、何度も目を真っ赤に泣き腫らした。










「…あ、れ?」

目の前に広がった天井がいつもと違っていて、私は目を何度も瞬かせていた。
窓の外は白い。
雪がまた降っていたのか、窓枠に雪が凍って張り付いている。
ゆっくりと体を起こすと、多少頭がずきんと痛んだ。
つっ…と顔をゆがめていたら、そっと隣から水の入ったグラスとと薬の乗ったお盆が差し出された。

「どうぞ」

「清春さん…私…」

「昨日よく飲まれていましたからね。それにお疲れだったみたいで…もうお昼ですよ」

私はグラスの水を一口含んで、薬をごくんと飲み込んだ。
水一口さえも思く、だけど胃の中身が洗われるような気持よさを覚える。
清春さんは、また今度は家庭のキッチンに立っていた。
その姿に懐かしさがこみ上げる。

「清春さんだぁ」

「え?」

「キッチンに立ってると、清春さんだなって思うの」

「そうですか?昼飯、食えますか?」

「うん、清春さんの料理食べたいから」

あの頃と同じように、はいはい、と笑いながら包丁を握る清春さんのご飯に、私は舌鼓を打った。
味噌漬けの魚におひたしに、出来たての炊き込みご飯に、生麩のお吸い物。
二日酔いの、しかも起きぬけの昼御飯だというのに、その懐かしさに負けて私はすべてをたいらげた。

「志麻さんは?」

「今日、定期健診なんです」

「そうなんだ」

「ねえ、瞳子…元気なの?」

清春さんは、食器をすべてシンクで一度洗い流しながら答えてくれる。
水が冷たいのか、清春さんの手は真っ赤だった。

「お元気ですよ。とはいえ、私ももう5年くらい会っていないんです」

「そうなの?」

「オヤジさんが組を閉められたのが8年前で。私はそのあとすぐ、オヤジさんの知る京都市内の料亭に修行に出たんです、その時は瞳子さんはもう舞鶴を出られてました」

「舞鶴にいないの?」

「高校を出られてからすぐ上京されて。就職難ですからね、このあたりは。オヤジさんも悲しがっておられました」

「上京…」

上京していたと聞かされて、私は一度もすれ違ったことないのに、と頭痛がする頭を抱えた。
私も、同じ時期に東京にいた。
東京で、大学生活を1人で始めていた。
奨学金をもらい、仕送りすら拒否して、アルバイトを目いっぱい詰め込んで、狭いアパートの中でそれでも勉強に励んでいた。
もしも、もしも東京で彼女とどこかでもう一度出会えていたならば、私はあの時のことを謝らなければならなかった。
後悔はしていない。
だけど、彼女を傷つけたことは事実だったのだから。
一瞬でもいい。
彼女が私に気付き、私が彼女に気付くことができていたら。
これは、私に対する罰だろうか。

「何度か里帰りされていますけれど、この頃はあまり。私も修行にいそしんでいまして、正直、あまりオヤジさんや瞳子さんの近況はわからないんです、申し訳ありません」

「お店、大繁盛みたいじゃない、昨日、なんだか騒いでる声が聞こえた気がする」

「ええ、おかげさまで。オヤジさんにようやく恩返しができます。何しろ、儲けが出るまで絶対に連絡してくるんじゃないと固く言われてまして」

おじいさんの照れながらそう激昂する姿を想像し、私は小さく笑った。
いつの間にか清春さんは食器を洗い終わって、手拭いで真冬の水で真っ赤になった掌を拭いながら戻って来た。
私は、時計を眺めながら、そろそろ行かないと、と立ち上がる。

「そんな、ゆっくりされてくださいよ」

「ごめんね、あんまり時間、ないんだ」

「また、いらっしゃってくださいね」

「もちろん、また来るよ。あ、あと、もしよかったらなんだけど」





清春さんに頼み込んで、私は中学校へとやってきていた。
雪空の下、土曜日の学校には活気がなかった。
ちょうど期末考査の時期だからか、部活動をしている学生の姿さえもなかった。
正面の門から入ろうとすると閉まっていたので、残念だと思い帰ろうとしたが、そこであることを思い出して裏手へと回ってみる。
あの頃、瞳子が教えてくれた抜け穴を思い出したのだ。
とはいえ、もう15年近く昔の話だから、いくらなんでももう塞がれているだろうと思ったそこは、なんとまだ塞がれてはいなかった。
雪が積もっていたのでそれを振り払い、ひょいと身体をくぐらせる。
あまり中学時代とサイズが変わっていない自分の体をほめながら、多少体に着いた土を払いながら、校舎に近づいた。
正面に回り、学校内の地図を確かめる。
全校生徒数が減ったのか、クラスが各学年ごと1クラスずつ減っていた。
私と彼女の愛した第2音楽室は、15年たっても変わらず、あの場所に位置し続けていた。
私は、靴を脱いで冷たいコンクリートとタイル張りの廊下を靴下のままでそろそろと歩きながら、2階の第2音楽室へと向かった。
『第2音楽室』という札のすすぼけ具合も変わっていない。
まさかと思ってそっとその扉を引いてみると、誰のミスなのか、扉は開いていた。
あまりに都合がよすぎる展開だな、と思いながらも中に入り、電気を勝手につけると、そこにはあの頃と同じ配置でアップライトのピアノがあった。
作品名:君を待つ町 作家名:奥谷紗耶