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君を待つ町

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このような濃い顔立ちを忘れるはずがない。
私は、あっと声を漏らすことなく、確信して彼を指差して言った。

「もしかして、清春(きよはる)さん?」

「そうそう、懐かしいなぁ!」

彼は、断る私を諭すようにと言うか無理やりにワゴンの助手席に乗せ、車を発進させた。
後部座席は常に倒されているのか、その上には空の段ボール箱や発泡スチロールの箱や溶けた保冷剤や新聞が散乱していた。

「すいません、後ろ散らかっていて」

信号待ちで申し訳なさそうに謝ってくる清春さんに、私は首を大きく横に振った。

「ううん。清春さん、板前なの?」

「ええ、もう8年ぐらいやってます」

この軽ワゴンの側面には、味のある文字で『小料理屋 常陸国』と書かれていた。
彼の体からも何かカツオや昆布の出汁のいい香りが香っている。

「清春さんの料理美味しかったもんね、何回か食べさせて頂いたことあるもん」

「今の方が数段上ですよ。真智さんは、里帰りですか?」

「うん、まあ、ちょっと。だけど、やっぱりあっちに帰るのは」

「じゃあ、うち泊ってくださいよ。嫁さんにも会わせたいですし」

「嫁さんって……瞳子(とうこ)?」

私は、若干それに対する清春さんの返事を恐れながら、『瞳子』という言葉を口にした。
ボストンバッグを持つ私の手は、震えている。
清春さんは、いえ、と最初にすぐ断りを入れて、別の女性ですよ、カタギの、とほほ笑んだ。
その瞬間、私の心は、妙にホッとしていた。



「キヨ君って、ヤクザ屋さんのお手伝いしてたんだぁ」

「お手伝いじゃないよ、本気でオヤジさんに憧れてたんだ」

店の下準備をしながらも、私を店のカウンターに通してくれ、その隣で奥さんが箸置き用の折り紙を折りながら私の相手をしてくれた。
出された熱燗が、冷え切った体を温めてくれて、突きだしのヒラメのコブ締めと寒ブリの刺身も美味しい。
清春さんは、板前姿で帽子をかぶり、それはそれは男前度がマックスに上がっていた。
黙々と人参の飾り切りをしている姿は渋くて、美しかった。

「あんまりキヨ君、お話してくれないから真智さんとお話できてうれしいです」

「そうかしら?」

「でも、どんな過去があっても、私はキヨ君のことが大好きよ?」

出来た折鶴の両羽を持ってをふうっと膨らませながら、奥さんは茶目っ気いっぱいに微笑んでいる。
その姿に、清春さんは季節外れのトマトやパプリカよりも真っ赤になってしまう。
手元が危うく、包丁が震えていた。

「え、お、おい、志麻(しま)…」

「アツアツね?新婚さんかな、まだ?」

「うん、2年目。夏には子供も生まれるんですよ?」

「そっかぁ、おめでとう」

まだあまり目立たないお腹を撫でながら、幸せいっぱいに志麻さんが笑っている。
志麻さんは、清春さんより5つくらい年下に思えた。
にこっと笑うとえくぼが目立って、茶色のウェーブがかった髪の毛をアップにしていても幼い印象を受けた。
しばらく話しているうちに、熱燗がだいぶ回ったのか、私の思考はふわふわと浮き始めていた。
昨日起こった全てが夢だったような気がして、ここ舞鶴で生活をしていた自分だけが自分だと勝手に思い込んでしまって。
私は、予想通り男前に成長した清春さんの、野菜を刻む音がメトロノームのように聞こえて、私は『あの頃』へと迷い込んでいた。










「あれ、先客?」

彼女は、がらりと扉を開けて私の姿を見つけるなり、そう声をかけてきた。
窓を開けてそこに腰掛けてグランドを眺めていた私は、自分以外の人間の到来に驚いていた。
当時、中学校の音楽室は第1と第2にわかれていた。
第1音楽室はグランドピアノがあり、部屋もこの第2音楽室の3倍近くあったため、吹奏楽部の部室として使われていたが、第2音楽室は先生も生徒もおらず、1人でぼんやりとするにはもってこいの場所だった。
ただ少しくたびれかけたアップライトのピアノがあり、授業でもほとんど使われておらず、余った楽器の置き場と化していた。

「ピアノ、弾く?」

ぶっきらぼうに尋ねられる。
あまり私自身には興味がなさそうな言い方だった。

「いえ、弾きませんけど」

「じゃ、借りるね」

彼女は、女の子らしくなく大股を開いてずかずかと歩いてきて、どしん、と乱暴にピアノの前の椅子に腰かけた。
別に体格がすばらしくいいとか、背が高いとかそう言うわけではなかった。
体つきは私よりは細身だし、身長も私よりずっと低いし、ボーイッシュではなく、典型的な女の子の顔立ちをしていた。
だけど、今まで会った誰よりも不良っぽくて、何より私よりも生きているという、そう、生命力にあふれたようなオーラのようなものを感じさせる女子生徒だった。
手に持った楽譜をばらっと広げて、それを一読してから、目を閉じて、一度大きく息を吸い、そして目をぱっと開いて演奏を始める。
音楽に触れるのは授業だけの私は、その曲が誰の何という曲なのかはわからなかったが、軽やかに進むその曲調に耳を傾けていた。

「…どう?」

「え?」

「どうだったって聞いてるの、入谷(いりたに)真智さん?」

ピアノ演奏を終えて少し乱れた息を押さえながら、彼女がまた訪ねてくる。
私はため息をつきながら、しょうがなく窓際から降りて、近くの椅子へと腰掛けた。
特に音楽に関心があるわけじゃない私は、刺し障りのない答えを告げた。

「綺麗だったと思いますけど」

「ありがとう。あ、同い年なんだから、敬語はいいって」

「何組?」

「3組」

さらさらと鉛筆で何かしらの記号を楽譜に書きながら、今度は彼女は近くにあるメトロノームに手を伸ばした。

「ああ、志賀埼(しがさき)の」

「そう、あの女子人気ワースト1位の志賀埼のクラス」

メトロノームのスイッチを入れると、カチーン、カッカッカッチーンとリズムが刻まれ始める。
振り子のように触れるそれを見つめていると、自然と首が動いていたのか、私を見て彼女が笑い始めた。

「大丈夫?」

「つい、気になって」

「まだ練習しちゃうけどいい?」

「どうしてここに?滅多に人来ないのに」

「それは私のセリフ。滅多に人いないから、ちょうどいい練習場所だったのに」

話が長引くと思ったのか、メトロノームのスイッチを切って、彼女は一度背伸びをした。
私は、彼女の邪魔をしてしまったような気がして、スクールバッグを手にかけた。

「ごめんね、なんだか、邪魔してるよね」

「入谷さんって、イメージ通りだった」

女の子らしさもないほどに、彼女はにへらっと緩んだ笑顔を見せる。
私はイメージ通りという言葉にカチンと来て、帰ろうとしていた足を止めた。

「イメージ通りだったの?」

「明るく活発で、人の前に立ちたがって、人をうまく使って、熱血漢で…」

「そう?ありがとう」

「ってのじゃなくて、大人しくて、夕焼けが似合って、物思いにふける深窓の姫君っていう感じ」

走って帰ろうとした私は、その足を再び止めた。
何かこみあげてくるような思いに焦がされて、私は夕焼けをバックにしていないというのに、真っ赤に染まっていたように思った。
彼女はピアノを前に、微笑んでから手招きしてくれた。
作品名:君を待つ町 作家名:奥谷紗耶