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君を待つ町

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明らかに母親の身勝手であったのも理由だったが、父親の力なしに旅館をやっていくことは祖父母には不可能だったし、父親もそれを確信していた。
父親は、母親の失踪を公開してから3日間だけ落ち込んだが、3日するとあっさりと玄関に立ち、笑顔で客のお出迎えをしていた。
現存の仲居の中から新しい女将も選び出し、せっせとまた金勘定を始めていた。

母親の失踪について父親は語ることもなく、従業員の間でもその話題は表向きではご法度となっていた。
だが、裏ではいろいろな情報が錯綜していた。
母親が失踪したその日、同じくこの舞鶴の町から消えた人間がいた、そう仲居さんたちが噂していたのを学校から帰ってきた私は耳にした。
しかも、その人間は女性だと。
その女性と母親は、同じ電車に乗り、消えてしまったのだと。
その女性と母親は、手と手を握り、はたから見ればまるで恋人同士のように見えたのだと。
その話を聞いてしまった私は、ほっとしたのと同時に、当時とても大事に思っていた人間に対し、ひどく暴力的な行為をうってしまった。

だが。
そのことを今も私は、後悔していない。





「ああ、本当に」

ホームに降り立った瞬間や飛行機から降り立った瞬間、人間がまず感じるのは温度ではなく匂いだと思う。
日本に帰ってきたら日本の匂いが、香港に行けば香港の匂いが私には感じられる。
舞鶴には、舞鶴の匂いがする。
どのような言葉で説明したらいいのかはわからないが、舞鶴の匂いは、舞鶴の匂いなのだ。
学生やサラリーマンもいない午後2時、旅行客もまず訪れない11月下旬。
ホームにいたのは、ベンチに座り缶コーヒーをすする初老の男性と、若い寒さに赤く頬を染めた駅員だけだった。
切符は、備え付けられた『切符入れ』の中に放り投げ、改札を出たところで運よくすぐタクシーが見つかった。

「はいはい、どちらまで?」

小柄で人のよさそうなキツネのような顔をした運転手が帽子をかぶり直しながらメーターに手をかける。
エアコンがよく効いた車内にほうっと息をつきながら、私は短く、「逢鶴へ」と伝えた。
あいよ、と運転手はメーターのボタンを押す。
『賃走』の赤い光が灯り、タクシーは私が10年前までいた場所へと走り出した。

「ご旅行ですか?」

「ええ、まあ」

運転手の言葉に私はあいまいに答えてしまう。
さすがに、里帰りだなんて言いたくもない。

「こう言っちゃあなんやけどなぁ、逢鶴さん、あんまり…そのぉ…」

「評判が悪いんです?」

「…ええ、まあ。泊まるんやったら、他のとこをお勧めしますわ」

こうとまで言われるようになったとは、と私は情けないというよりも笑いが出てきてしまった。
長い信号待ちになりそうだからガチッとサイドブレーキを入れながら、運転手は話を続ける。
雪は、本降りに近づいていた。

「10年ぐらい前かなぁ、女将さんが変わっちゃってからなんか雰囲気が悪うなったって話ですわ」

「そうですか」

「オーナーの人がおっかないほど金にがめついって言いますしね」

「なるほど」

「この頃は駅前に大きなホテルも出来始めて、かなりあせっとるんちゃいますかねえ?」

そうこう運転手の話に付き合っていると、忌々しいあの旅館の門構えが見え始めた。
石に刻まれた『逢鶴』の文字。
立派すぎるほどの面構え。
誰も見ていないと思っているのか、だらだらと年配の仲居と新入りらしき仲居が仲良く箒を持っておしゃべりをしていた。

「すいません、ここで止めてください」

「え?中まで行きますよ?」

「いえ、まだ降りないんで」

運転手に不思議そうに思われながらも、私は身を乗り出すこともなく淡々と『逢鶴』を眺めていた。
しばらくすると、水でもかけられたように仲居2人はしゃきっと背筋を伸ばし、せこせこと箒を使い始めた。
中から現れたのは、父親と、女将らしきしつこいほど煌びやかな着物を着た女性だった。
父親は、10年たっても多少白髪が増えてお腹のあたりが目立ち始めた程度の変化で、相変わらずまなじりがギュンと吊り上がっている。 
女将らしき女性は、父親の再婚相手だと誰か親戚の手紙か何かで聞いた気がする。
10年前、新しく女将として抜擢した女性で、いい年をしているくせに子供まで作ったのだとか。
父親の中では、私という子供は、もう子供としてカウントされてはいないだろう。
父親は、私を嫌っていた。
育つにつれてだんだんと母親そっくりになっていく私に、母親の面影を重ねていた。
今の私は、自分で言うのも驚くほど、母とそっくりになっている。
昔から父親似の部分を探すのが難しかったほど父親に似てはいなかったが、そのことが余計父親の癇に障ったのだろう。
私を見ては、意味もなく怒鳴り散らすようになり、その再婚相手の女性の元へといそしんでいたのだろう。

「おまえは本当におれの子なのか?」

と私に真剣なまなざしで、憎しみをこめたまなざしで、問いかけてきたことさえもあった。
母親が正体不明の女性と逃げた事実から、私を別の人間の子供だと疑っていたのだ。
疑いを持った子供よりも、自分の血を分けた子供だとはっきり認識できる子供の方を可愛がるのは男の性なのだろう。
まだ10歳にも満たない私の弟か妹を、父親は溺愛しているという。

「すいません、出してください」

「え?あ、はい」

メーターが2つほど上がったところで、タクシーは動き出した。
目の前を客の乗ったタクシーが通り過ぎるのだから、仲居2人も女将らしき女性も、そして父親もこちらを見つめていた。
だけど、父親は私の姿に気付くこともなく、旅館の前を通り過ぎるとすぐに中へと引っ込んでしまった。

私は、少し町中へとタクシーを戻してもらって、しばらくふらふらとシャッターが増えた商店街を歩いていた。
よく通った本屋や母親と買い物に来た肉屋はまだ営業していたけれど、店のおじさんおばさんはうんと年をとっていた。
だけど変わらない『いらっしゃい!』というよく通る声が聞こえて、私は頬を緩め、一人にやつきながら商店街を後にした。
つぶれたカメラ屋のあとに出来たらしいファストフード店でとても遅い朝食兼昼食を取る。
時間は4時を回っていた。
そろそろ今夜どこにどう泊まるかを考えなければならない。
ビジネスホテルに泊るか、漫画喫茶にでも泊まり込みで入ってしまうか、ファミリーレストランやカラオケでも。
そう悩みながら、以前と少し変わった町に道を間違え、どうしてか川沿いの道へと出てしまい空を仰いでいると、川の向こうの道路を走る軽ワゴンからクラクションを鳴らされた。
初めは私に向けられたものではないと思っていたけれど、しつこく私が振り向くまでそのクラクションは続けられていた。
軽ワゴンに乗っていたのは、私とそう変わらない年頃の男性だったように思えたが、顔はうまく確かめられない。
同級生だろうか、といろいろと各学校ごとの頭の中で卒業アルバムをめくっていく。
クラクションに振り向いた私に、軽ワゴンは走り出し、ぐるっと道路を回って私の前で停車した。

「真智さんですよね!?」

大声と共に運転席から降りてきた男性は、気持ちのいい短髪で、劇団俳優のような男前の男性だった。
作品名:君を待つ町 作家名:奥谷紗耶