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君を待つ町

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父親が眠りについた後、母親一人がリビングでコーヒーを飲んでいるところに、パジャマ姿の私はそっと歩み寄った。
喜び過ぎた父親の提案で取った寿司の出前も父親以外あまり食べることができなくて、少し眠った後、私は目を覚ましてしまったからだった。
私の姿に気づいた母は、あら、と目を走らせてから、こっちにおいで、と私を呼んでくれた。

「眠れない?」

「あんまり食べられなかったから」

「お腹すいたの?」

「ちょっとね」

「お母さんも。じゃ、一緒にお茶漬けでも食べようか?」

「私、お茶漬けって初めて」

「そうだったかしら?」

冷ごはんをレンジで温めてから、お湯を注いで一度捨てて…と、母親は妙に丁寧に2人分のお茶漬けをこしらえてくれた。
残り物のサケと、手作りの梅干しと、あぶったノリをたっぷり入れて、舌がやけどするほど熱いお茶でできたお茶漬けをすすりながら、母親はたまに箸を止めては言う。

「引っ越すの、真智は賛成?」

「賛成も何ももう決まっちゃったんでしょ?」

「残りたいなら、残ってもいいのよ?」

「あのお父さんを説得なんて不可能だよ」

私は嫌なぐらいわかりきった子供だった。
母親は、そんな私を見ながら、苦笑いを浮かべ、それさえも一気に飲み込むようにお茶漬けをすすっていた。
たぶん、まともに母親と食卓についたのは、これが最後だったと思う。
あの時食べたお茶漬けの味はもう覚えてなんかいないけれど、あの時の母親は、少し涙ぐんでいたように覚えている。



次の日からばたばたと引っ越しのための手続きや荷づくりが始まった。
荷づくりの途中で出てきた中学校のパンフレットを破り捨て、私は友達と最後の別れもほどほどのままで舞鶴へ旅立った。
舞鶴は、京都と名乗るのはやめてほしいと思えるほどのド田舎だった。
確かに、里帰りで行くならばのどかで遊ぶ場所も多くて、自然も多くてそれはそれは子供の教育にはいいかもしれない。
だけど、住むとなると別だった。
夏は暑くて、冬は雪深く、ろくに遊びにも行くことができない。
海は近いけれど、その海は崖の真下に位置していて、自殺の名所だと呼ばれていた。
触れられるところにある海は、漁船の泊まり場で、ごみも多く淀んでいた。
林や野原が多く、遊ぶのはもっぱらそこだった。
幸いにも友達はすぐにできた。
何しろ都会出身で地元の名士である旅館の跡取り娘なのだから、噂が学校内に回るのは早い。

「あ、あの子、街の出身らしいで」

「すごいなぁ、いろいろ知ってはんのかな?」

そんな声が廊下を歩いているとちらほらと聞こえた。
小学校は学年当たりの人数も少なく、自然と全員に覚えられてしまうこととなった。
学校へのアクセスは徒歩で10分ほどと街中にいた頃よりは楽にはなったけれど、その10分が長くて仕方がなかった。
旅館の隣にある我が家を出て、住宅と畑と田んぼ以外何もない中坂を駆け下り、野原と神社の横を通って学校へと向かう。
街中で通っていたころは、スーパーマーケットやコンビニ、それに横断歩道や踏切もあったというのに。
せめて塾に通いたいと言ったけれど、塾そのものがないのだからそれもかなわなかった。

一方父親は、旅館の支配人として働き過ぎと言われるほど働いていた。
都会の銀行マン出身ということでパワー関係が生まれ、頭の固い経理の人間でさえも父親の言うことをホイホイと聞いていた。
母親は、倒れた叔父さんの看病をするため退いた叔母さんの代わりに、女将として旅館を切り盛りすることとなった。
母の女将としての仕事ぶりは父親に管理されているも同然だから傀儡にすぎなかったけれども、その立ち姿や振る舞いには定評があった。
仲居連中の統率をとることが上手くいかず、夜中声を押し殺して泣いているのを何度も見たことがあるけれど、父親に関してそれは全くなかった。
ただ、私の眼に映る父親は、以前の父親とは全く違っていた。
『威厳が関わるから』と、母親のことを、人前でも私の前でも、ママではなく、静枝(しずえ)と呼び捨てにするようになった。
銀行マン時代は一度も母親にさえも部下や仕事の愚痴は言わなかったのに、私の前でも客の前でも仲居や従業員を罵るようになった。
さらに、私に完璧さを求めるようになった。
父親は、銀行マンだけれど私には『おおらかに育て』と常に言っていたように思えていたのに、舞鶴に来てからはその態度は180度変わった。
いつだったか、学校内でもめ事の仲裁をして、形だけ先生のもとに両親が呼び出されたことがあった。
先生の前では何も言うことはなかったのに、教室を出たや否や、思い切り頬を張られた。

「おまえは父さんに恥をかかせるつもりか!?」

恥も何も、私は仲裁をしただけだったのだ。
私の父親に対する不信感は、ここで頭をもたげたのだと思う。
そして、何よりも笑顔を見せるのはお客に対してだけになった。
営業スマイルを続けることは、銀行マン時代よりも多くなり、それが苦に感じていたのだろうか。
その癖に、母親を連れて授業参観には張り切って通い、いかにもいい家族を演出していた。
教室の後ろから私に手を振り、私は手を振り返す。
私にさえ、父親は営業スマイルになっていた。
その父親の笑顔が気持ち悪く、母親が困ったように笑っていたことを覚えている。



そんな父親のもとで、いや、そんな家と旅館と父親の間に挟まれた母の中の『何か』がぷつんと切れるまでには、そう時間はかからなかった。
私が中学二年生に上がって2月ほど経った、まだ梅雨入り前の5月末。
朝、目覚ましをかけ忘れた私は、制服のボタンをかけながら階段をリビングへと駆け下りてきた。
だけど、リビングはしんと静まり返っていて、ただコンロには味噌汁の鍋、電気ジャーには炊き立てのご飯。
テーブルには、卵焼きにおひたしに…と朝食が並んでいた。
私の席には、私のために作られたお弁当も置いてあった。
一番お気に入りの袋に入って、デザートにゼリーまで入っていて。
罪滅ぼしとでもいうつもりなのか、お弁当の中身は豪華に、そして、私の好きなものばかりが入っていた。
ただ、母親だけが足りなかった。
エプロンは綺麗にたたまれてイスにかかっていた。
キッチンもリビングもすべて綺麗に、綺麗すぎるほど気持ち悪いほど片付いていた。
ごっそりと自分の持ち物や衣類や化粧品だけを小さな旅行用のスーツケースに入れて、母親は、私達には何も言い残さず書き残すこともなく、消えてしまった。
父親は、捜索願を出すことはなかった。
しばらくの間、母親は病に伏せっていると言えと父親に強く圧力をかけられ、私も母親は家で寝込んでいるように友達にも、仲居さんたちにも言い続けた。
祖父母も捜索願を出そうとしたが、父親の意見には向かうことはなく、毎日ただ電話の前に立ち続けていた。
しかし、そのウソは長続きするはずもなかった。
半月ほど経って、父親はようやくそのいきさつ全てを従業員に話し、捜索願を出したその時には、もう母親の行方など誰も知る余地もなかった。
世間体ばかりを気にして、母親の行動力を甘く見ていた父親に対する母親からの最後の裏切りだった。
母親の実家の旅館だというのに、父親はそこを出ていくことはなかった。
作品名:君を待つ町 作家名:奥谷紗耶