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君を待つ町

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ガタンガタンと規則よく刻まれる音を枕にして、私は眠りに落ち始めていた。
深い深い闇の中へと落ちていくように、私の意識は重く重く、塗り込められていく。
このまま、私をどうにかしてくれまいか、と私は睡魔の中でぼんやりと願っていた。

―――このまま、どうか、私をこのまま……。

だけど、その音にまぎれるようにして、コツンコツンと響いてくる靴音がすると、私は目をギンと開いて飛び起きてしまう。
バクンという、車両の中の人にも聞こえてしまうぐらい大きな心臓の鼓動が身体中を駆け巡る。
背中までべっとりと濡らす汗のおかげで体が冷えて、手先は震えていた。
靴音をたどると、禁煙だというのに、くわえ煙草をした男性が、缶やペットボトルを両手に私の隣を通る通路を歩いていただけだった。
さっきは、駅員の巡回で、その前は、学生の旅行団体の大騒ぎで、目を覚ました。
何度もそのように起こされるたび、私は、その心臓の動きを抑えるために、出てしまった汗の分の水分を補給するために、ペットボトルの水をがぶがぶと飲む。
バスなら、そんなにも人は多くないし、いざとなれば、トイレ休憩に紛れて消えることだって可能だったのだから。
しかし、一番早い東京発の高速バスはもう満席で、さらに次のバスまで待つことは私には不可能だった。
私は、早く東京からいなくならなければならなかった。
そして、早く東京から、いなくなりたかった。

できるだけ遠くへ、遠くへ、遠くへ。

『次は~○○~、△△行きのお客様は、お乗り換えです、次は~……』

人のよさそうな、だけど声がはっきりとしないアナウンスが聞こえ、私は右手にコートを持ち、空のペットボトルを小脇に抱え、右手の指先でハンドバッグを持った。
右手の指先で持てるほど、ハンドバッグは、とても、軽い。
私が東京に出てきてもう10年以上経つというのに、そこで得たものは、これほども軽いものだった。
私のしてきたことは、それと引き換え、軽かったくせに、最後の最後で、とてつもなく重くなった。
ポンポンとオレンジの灯りも人もまばらな中、私は乗り換えのため、田舎のホームへと降り立つ。
真っ暗な空からは、真っ白な雪がちらついていた。
そういえば、今日から明日にかけて、東京以西では真冬並みに冷え込むと言われていたことを思い出す。
コートを着込んでも首のあたりがすうすうと空気を通し、汗をぬぐわなかったせいで余計に冷える。
手袋もないから、掌の色はだんだんと血色が悪くなり白さを増していく。
ふいにそこに血の色がかすんだ気がして、私はゴシゴシとコートに掌を押し付ける。
実際は、何もないというのに。

だけど、確実に。
確実に、私の手は血に汚れている。

私があの町を出たのは、高校を卒業し進学が決まったその時だった。
今までの私を、そのすべてを捨てるために、私はあの日も同じように、たった1つのボストンバッグだけで家を出たことを覚えている。
その時のボストンバッグには、もっともっと心地よい重さがあった。
これから何が待っているのか、どんなところで、どんな生活があって、どんな未来があって。
私の思いや夢の全てが詰まったそのボストンバッグを抱きしめながら、1人、嬉しくて眠ることが出来ないで東京へと出てきたのだった。



私は、街中のごく普通の家庭に生まれた。
父親は、銀行の職員で、母親は、私が学校に行っているたまの午後に、ご近所の奥様たちとカラオケに通ったりするごくごく普通の専業主婦だった。
その頃の私の悩みといえば、妹か弟が欲しいという、友達の兄弟を見た時に感じる寂しさぐらいのものだった。
家は裕福で、背が高く物知りな父親に、目鼻立ちもはっきりとしてスラッと背も高い母親に、ふんだんなおやつ、巷より割高なお小遣い、高級マンション暮らしと何もかもが充実していた。
銀行の職員だった父親は、有名大学を出たキレ者で、若いうちに支店長となり、部下を家によく連れてきていたものだった。
母親はそんな父親の自慢の奥さんということですぐにリビングに呼び出されては2人の馴れ初めを繰り返し、私を呼んでは自慢の娘だということで小さな頃のアルバムを取り出していた。
父と母と娘の3人で、それなりにこのまま暮らしていくことができればそれなりに幸せだったのだと思う。
転機は、11歳の6月、雨があがって綺麗に晴れ上がった梅雨の中休みの日だった。
いきなり朝早く、私が学校に行こうと玄関のドアを開けると、そこに、母方の祖父母がいた。
母は、祖父母が年を取ってから生まれた子供で、この時にはもう70歳を過ぎていた。
そんな年を取った祖父母がわざわざ正装し、日本海も間近な舞鶴からやってくるのには、それなりに理由があったからだった。
学校から帰ってきてそうそう、父親と母親にリビングに呼び出された。
ランドセルを置いて、父親と母親の前に座ると、父親はいささかにこにことした顔で、母親はいささか苦い顔立ちで、話を切り出した。

「いいか、真智(まち)、今週中に、舞鶴のおじいちゃんの家に引っ越すことになったからな」

私は、いきなりのこの一言に、首をかしげた。
全く事態が飲み込めず、そしてどうしてか、にこにこ顔で意気込んでいる父親ではなく、困ったような顔をした母親の方をすがるように見つめた。
私が引っ越すことをあっさり飲み込むわけがない。
友達も勉強の環境も、この街で十分に整っていた。
ちょうどそのころには、私には行きたい中学校が決まっていて、そこを受験できないかどうかをその日両親に確かめようと担任からパンフレットをもらってきたぐらいだったのに。
父親はきっと引っ越しに関して良いことしか言わない、私はとっさにこう考えたのだろう。

「…いきなりだから、びっくりよね?」

母親は、少しため息交じりに呟くように言った。
それにかぶせるようにして、父親は語る、それはもう、水を得た魚のように、いや、大金を手に入れたように目を輝かせながら。

「舞鶴のおじいちゃんの家が旅館をやってるのは知ってるだろう?」

その言葉から始まって、ぺらぺらとその日の父親は、自分が知っている中で最もしゃべっていたと思う。
当時、舞鶴の旅館を経営していたのは、祖父母ではなくその息子夫婦、つまり私の叔父さん夫婦だった。
だが、その叔父さんが昨日脳梗塞で倒れ、その病状があまり良くないため、祖父母は旅館を私の両親に継いでほしいと話を持ちかけに来たのだった。
ちょうどいいことに、父親は次男坊で、母方の祖父母は、おっとりとしていて、あまり口悪く婿殿をののしるようなタイプではなかった。
そして、その旅館は舞鶴では高級旅館としてテレビでも紹介されたことがあるほどの地元でも有名な旅館だった。
銀行の支店長としてせこせこと働くよりも、高級旅館の跡取りとして自らかじ取りができる大きな何かを得られることを父親は喜び、興奮に身体をたぎらせていた。
一国一城の主になるんだ、と父親は何度も口走り、子供のようにリビングを飛び回っていた。
その一方で、私はとても憂鬱だった。
全てが変わってしまうのだから。
舞鶴の祖父母の家に遊びに行くのは夏と冬の楽しみであったけれど、それは里帰り、旅行だからだ。
住むには、きっと不自由で不便に違いない。
作品名:君を待つ町 作家名:奥谷紗耶