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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(1/4)

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☽ 古の月(齢不明) 二




「――まるで、星空を見ているような音だ」

 そう言うと、姫は閉じていた目を開けて、微笑んだ。

「よきことばだな。お前、書は好きか」
「好きだ」
「なぜか」

 姫は問いつつ目を閉じた。目を閉じると、桜色の唇が色めき立つ。
 砂利を敷き詰めた地面に頬をつけ、耳をあてている。
 艶やかな単衣の裳を着て、足元まで届く銀の髪に紅葉を照り返させる。
 髪と体の上に赤い葉を散るままにさせている様子は、この世のものとも思われない。

「天上人の戯れごとに過ぎぬ場合もあるが…命の痛みと苦しみに、それを包む自然の美しさに、しっかりと寄り添っている歌人たちも居る」
「よきことばだ」

 そう言ってまた金と赤の混じった目を開き、微笑む。
 自分の頬が鬼灯の如くなっているのを気づきながらも、言葉を重ねた。

「姫は、なぜ良人をもたない」
「何の関係がある」

「姫はうつくしい」

「どこが」
「その髪」

 くすりと自嘲気味に微笑む。

「お前の髪の方がうらやましい。その色が有れば、太陽の下を歩けるのだろう?」
「その瞳、その顔、手の指も、首も、全てだ」

 目にしているものを片端から挙げていく。

「――」

 姫は、突然歯を食いしばった様になり、両手で砂利を握りしめた。
 身体を起こして立ち上がり、そのまま暫く堪える様に目をつむっていたが、やがて薄く、冷たく開いた。

「真心で言うのはそなただけだ。他のものは、いつの間にか広まった評判があるから、今の内はそう持て囃しているにすぎぬ。世にためしの無いと、評判の娘だから、ひとつ通じてみて、己が浮名を高めようと通い出したものばかりだ」

 もっとも中に入れているのはそなた一人だがな――と、笑う。

「それもそなたが私と通じたいからでなく、物語をしにくるからだ」
「おれは」

 思わず身を起こしたが、その先がでなかった。身分が、違い過ぎた。

「その評判というのも、我が父や母が、そろいもそろって子供好きの従者どもが、私を愛するのが生きがいのあまり、毎日、幾年も繰り返した末に生じたもの」

 自分に落ち付けといい、居住まいを正す。

「あるいはそうでしょうが、あるいはそうではないでしょう」
「…私は、もう家から出たくない。誰にも仕えたくない。ずっと父上と母上の娘でいたい。家の者達を手伝ったりその子供たちと遊んだり、このままがよい」

 散って来る紅葉を両手に掬い呟く姫を見て、そうであればと心から思う。
 だが、彼女を木の葉の合間から照らしている夕日も、やがては沈む。

「この日々が、ずっと続いてくれれば良いのだ。外の世など知ったものか。そなた、私はまちがっているか」
「まちがっては、おりません。ですが翁様の心配も、まちがってはおりません」

 姫の父君は、老い先の短さを嘆き、必死でこの姫を娶わせる先を探していた。 

「陽に出れば火傷する。こうして夕闇と、やがては月に戯れるだけの我が命だ。陽にあたらずば、朽ちる事もない…このような身を、だれが背負えるか」

 何故だろう。
 その時、身を切られるような痛みと悲しみを、同じように感じていながら、自分の中には怒りが燃え上がったのは。

「背負えぬものとも限りません」
「馬鹿を申せ!」

 砂利がまき散らされ、顔に当たった。

「そなたとて、私のすべてを伝えたわけではない。そなたとて、すべてを知れば逃げ出すのに決まっている。国一つを従えるような力のある男でさえ、難しいであろう。背負えるのは、そうだな――まこと地の果て海を越え、私が見たいといえば、その物を命がけで取って来てくれるような、そういう男だけだ」

 姫は、笑っていたが、涙を流していた。
 この天性無邪気な姫に、そんな顔をさせる浮世が、呪わしかった。腹立たしかった。

「試してみればよろしい」

「なんだと?」

「誠にそういうことが出来る男がいるものかいないものか、試してもいないのになぜわかる! 何故諦める!」

「試したわ! 試した! どいつもこいつも人の話をまともに訊かず、暫く姿を消しては偽りの物語と宝を拵えて戻ってくるものばかりであった! だからもういい! わたしは自分の家族だけを大切にする。こんな星がどうなろうとしったことではない!」

 姫が何を言っているのか分からなかった。
 ただひとつわかるのは、だれかがこの涙を拭いてやらねばならないことだった。

「俺はどいつやこいつではない! 俺は俺だ…人をなめるな!」

 思わず、大声で怒鳴りつけていた。
 姫は、一瞬怯えたように肩を縮ませた。

「――そなた…おまえ…私がどれだけ…」

 そう言って暫く拳を握りしめていたが、やがて顔を上げて言った。

「でていけ。二度と来るな」
「でていくとも。わからずやの姫め」
「あ――」

 自分は踵を返す。

「…でていけっ、なんだ下人、出ていけッ」

 背中に、玉砂利が投げつけられた。

「にどとくるなぁッ! 来れば、その身に消えぬ恐怖を刻み付けてやる…!」