CBRの女
第2章 キャブレター
いつまでも自分が子供でいたいと思っていたありさは、自分の妊娠に明らかに戸惑っていた。自由奔放に遊んでいたのに、いきなり母親になるわけだから、どうこれから生きてゆけばわからなかった。急な不安には誰かがそばに居て欲しくなる。
ありさは海島の顔を一番に思い出した。海島が一番、安心できた。
海島は彼自身が思ってるほど、いい加減な男じゃないとありさは感じていた。
二人でいつも仲良くいたいからこそ、束縛しないし、お互いがお互いであろうとすることを尊重している。しかし、その中にも海島は「やさしさ」が見え隠れして気を使っているのがわかるのである。
好きだからこその距離感。この距離感を大事にしてくれるのは海島が一番だった。
ありさは海島に顔を向けると
「甘えちゃってるのかな・・海ちゃんに・・・」と言った。
「なんとも言えねぇ~な」海島は神妙なありさを見て、いつもの冗談はやめた。
「どっしようかな~、これから」ありさは海島と視線を合わせず、アスファルトの地面を見た。それからCBRを降りると、海島のバイクPCXに股がってみた。
「乗りやすそうね、これ。スクータータイプは嫌なんだけど、でも、これそうじゃない。なんかいいねっ!」
「妊娠何ヶ月なんだ?」海島が聞いた。
「3ヶ月を過ぎた所」
「大事な時じゃないのか?」
「あら、よく知ってるわね。バイク降りなきゃね」
「そのCBRより、俺のバイクのほうが体にいいんじゃないか。しばらく交換しようか?」
ありさはそういう海島の優しいとこが気に入ってる。
「またまた、そう言っちゃて私のバイクに乗りたいんでしょ」
「馬鹿言うなよ、せっかく気を使ってあげてんのに。さっきの話、考えさせてくれ。いきなりで面喰らったから、よ~く考えてみるわ」
「あら、冗談よ。考えこまなくてもいいわ」
「無理すんなよ。子供の父親が欲しんだろ」
「まあ、ちょびっとね・・・」
「早く決めなきゃいけないな、どうするか」
「だから、無理しなくっていいって」
「・・・・」海島はありさに近寄り、スロットルに置いたありさの手に自分の手を重ねた。それから聞いた。
「なんで、俺だったんだ」
「知らないよ」と、とボケたふりをして、ありさは言った。
「・・・、気が強い女だな。嫌いじゃないけど」
そう言うと、海島はありさのバイクCBRに股がってみた。
「お~、この感覚久しぶり。前傾姿勢を強いられるとこなんかバリバリだな」
そう言いながら、スターターを回しエンジンの回転数を上げてみた。甲高い音が響く。
それからクラッチをつなぐとノーヘルで海島は埠頭の広い道を急発進させた。
爆音を残して、あっという間に100mほどすっ飛んでいった。それからバイクを傾けさせ後輪から白煙をあげUターンすると、また猛スピードでありさの所に戻ってきた。
「相変わらずかっこいいね、海ちゃん。私のバイクじゃないみたい」ありさは言った。
「いいんじゃない、このパワー。とても250じゃないな」
「あげないわよ」
「じゃ、ケッテェー!バイクと交換に父親決定だっ!」
「はっ?そんなに簡単でいいの?」
「馬鹿、冗談だよ。とりあえず考えるわ父親のこと」
「無理しなくていいからね」
「期待すんなよ、チャランポランだから」
「そうだったわね、じゃ、期待しない」そう言うと、ようやくありさは笑った。
「んじゃ、その俺のバイク乗ってけ。交換したかったらいつでも聞いてやる」
「何よ、その上から目線。あたしが貸してあげるんだからね」
「はい、はい、身体大事にしろよ。ちゃんと生むんだぞ。生むのは賛成だからな」
海島のぶっきらぼうだけど、どこか温かみのある言い方に重かった不安が少し軽くなる気がした。とりあえず、赤ん坊を産むことに共感してもらえたことで心が軽くなったありさだった。
短い時間の会話だけど、気を使わずにポイントだけを話すのは二人の長年の癖だ。聞き様によっちゃ自分の事しか話してないようだけど、呼吸をするようにごく自然に相手の心がわかる。それは愛情にも似た思いやりをお互い持てるからでこそあって、このリズムはきっと肌を合わせた時から出来たのだろう。
一緒に過ごすのは長くはないけど、空気みたいに気を使わないで済む人間関係は努力で分かり合えるというものではない。相性という、うまく表現をまとめることが出来る言葉があれば、それなんだろう。
海島もありさも、その心地よさがあるから長年、友達でいられた。
しかし、この関係がお互い夫婦になると続けられるんだろうか?どちらもその点が気になる点であるけれど、赤ちゃんが生まれるという締め切り時間が迫る中、これからどうするのか結論を出さなければならないということに、二人は身が引き締まる思いだった。
「海ちゃん・・・ごめんね」
「まだ、なんも決まってないだろ。俺こそごめんかもしれないし・・」
「・・・・いい返事待ってる」
「馬鹿だな~。いつもの強気でいろよ。安全運転で帰れよ!」