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あの純白なロサのように

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 そうだ、ここは道の筈なんだ。なのに何だ、ぼこぼこと盛り上がっているこの雪の山は?
 まさか…。
 当たって欲しくない予想ほど良く当たるものだ。それらは、全て、死体だった。
 何体あるだろう。十や二十はくだらない数の人が、折り重なるように死んでいた。
 俺は呆然と立ち竦(すく)んだ。
 死体の上を歩かなければ先に進めないほどに、狭い道には死が満ちていた。
 ここで戦闘が行われていたのは明らかだった。
 松明を高く掲げても、ささやかな明かりでは、遠くまで見渡すに至らない。
 全貌を知るには夜明けを待つしか無い。幸いにも、遠くに見える地平線はもう薄っすらと白んでいる。砦で待とう。そう思って、踵を返した俺は、息を止めた。
 砦の前に、人がいた。
 人だ。
 何故気がつかなかったのか、立ったまま、ぴくりとも動かない人がいる。
 爪先から頭の先まで、白銀の鎧を全身に纏ったー…。
 全身からすっと血の気が引いた。
 俺は、どのくらい経ったのか、時間の感覚を忘れるほど、その場に棒と突っ立っていた。
 太陽がゆっくりと夜を払い地を照らしてゆく。
 それに誘われるように、俺は震える足を踏み出した。
 一歩、二歩…臆病な俺は、夢を見ようとする。この鎧は、鎧だけで中に人は入っていないんだ、きっとそうだ。
 三歩、四歩…もしくは、この見慣れた白銀の鎧も、この剥き出しの剣も、この国が嫌になって逃げた持ち主が、道道の逃走資金にと売り払った物かもしれない。
 五歩、六歩…王から下賜された物だから、それはいい素材で出来ている。みんな奪い合うように買い求めただろう。運良く手に入れられたその内のひとりが、こうしてここに立っているだけ、それだけなんだ…。
 六歩、七歩…他に、他に何か無いか?何でも良いんだ、何でも。あの中に俺の想像する人がいないとわかれば、それでいいんだ。
 八歩、九歩…なぁ、だって、これが俺の想像通りの人だとしたら…そしたらあまりにも悲しすぎるじゃないか。それならなぜ王の元から逃げ出したんだ?愛する人の求婚を受け入れ、王妃として輝く未来は、そんなにも受け入れがたかったのか?ここで、こうして舞い戻ってくるぐらいなら…誰にも知らせず、国のために、息跡絶えるまでたった一人戦い続けるぐらいなら…ずっと育ってきた城で、仮面を落として王と共に生きていく未来を選ぶことが…どうして、できなかったんだ!
 俺は、王に何と言えば良い…。
 俺は歯を食いしばって足を進めた。そうしなければ嗚咽が漏れそうだったからだ。
 馬鹿だ。ばかだばかだばかだ。みんな馬鹿だ。国民も、王も、彼女も、俺も!
 どうして心の望むままに生きられない?
 こうなってから後悔するなんて遅すぎる!
 俺は、やっと甲冑を纏う人の前に辿り着いた。
 それは大分小柄な人間だった。
 細く折れそうな鎧の拉(ひしゃ)げたあちこちに、固く冷たい矢が突き刺さっている。どれだけ激しい戦いをしたのか。もうこれは、抜けはしないだろう…。
 目の前の人は、今にも斬りかかりそうに剣を構え、足を踏ん張ったまま、凍り付いている。
 手を伸ばし、そっと兜に触れる。いつだったか、俺は武術大会でこの兜を弾き飛ばしたことがあった。その下にある、白金に靡く髪も、青い大きな瞳も、俺はもう二度と、見ることは叶わないだろうー…。
 俺は、ふと目に熱いものがこみ上げてくるのがわかった。
 そうだ、兜をとるまでもない。これは彼女だ。
 白銀の鎧を纏い、国のために無謀な賭けをし、立ったまま息絶えるまで戦うなんて、彼女以外の誰であるものか。
 俺はその時、初めて彼女の愛の大きさを、深さを、真実の意味で知った。
 彼女は、本当に、本当に心の底から王を愛していたのだろう。
 そして、その王が愛するこの国を、どうしても守りたかったのだ。例えその命にかえても。
 …対して俺は何をしていた?
 彼女を重圧から解放し、ひとりの女に戻す?
 笑顔を取り戻す?
 とんだお笑い種だ!
 彼女のため、彼女のため、と言い訳しながらも、それは全て、自分のためだった。
 ああ、今更言い訳はするまい。
 俺は彼女に惹かれていたのだ。
 ロサの泉で笑顔を一目見たその瞬間から、きっと。
 弟のため、彼女のため、王のため、国のため。いくら取り繕おうと、彼女をここまで追い詰めたのは、俺だ。
 国中から氷の魔女と後ろ指をさされながら、しかし愛する王の傍にいられるだけで、彼女は幸せだったのかもしれない。
 それを、勝手な思い込みで、俺は根こそぎ奪ってしまった。
 彼女と話をすれば良かった。もっと。そうすればこんなことにはならなかっただろう。
 俺は怯えていた。彼女の笑顔を向けられる日を想像しながらその拒絶こそを怖れた。そして、俺の考える身勝手な「彼女の幸せ」を押しつけた。
 その結果が、これだ。彼女は王も俺も知らぬところでひとり息を止め、静かな世界に逝ってしまった。
 こんなことを、決して望んでいた訳じゃない。
 俺を見て欲しかった。
 弟を見るように、王を見るように、俺を見て欲しかった。
 ただ、ただ…本当に、ただ…それだけなんだ。
 今更全てに気がつくなんて、遅すぎる…。
 俺は震える手で彼女の兜の上の雪を払い、そっとその頬のあたりを撫ぜた。
 彼女にこうして触れられるのは、これが最初で最期になるとわかっていた。
 俺には、もうこの兜は外せない。それをきっと彼女も望まないだろう。多分、王にさえ…いや愛する王だからこそ、この兜を外さないで欲しいと望むに違いない。思い出として残るのなら、美しいままの自分でありたいと、女なら誰だってそう願うことだろう。
 せめて剣を置いてやりたいが、拳は硬く握りしめられ、それすらしてやれない。
 最期まで、強く烈(はげ)しく…運命に立ち向かった女だ。
 願わくば。
 もう二度と…誰かを殺して生きていかなければいけないような世界に彼女が産まれないよう。
 今度は、俺が盾となるから。彼女がこの国の盾となったように。
 そしたら…今度は俺の傍で、笑ってくれるか。
 弟に向けたように、王に向けたように、笑ってくれるか。
 俺もあなたを愛していたと、言ってもいいか…。
 たまらず膝を折った俺の上に日が昇る。
 きらきらと、彼女の足下から広がる雪が一面旭(あさひ)に輝き出す。
 そう、あの純白なロサのように。