『人間風景』
始めたキッカケは、スーパーロックスターがこの田舎に訪れたことだ。田舎ということでチケットの売れ行きが悪く、中止も懸念されていた。しかし、ロックスターの鶴の一声によって、田舎のはずれにある文化会館でライブが敢行された。
それを見に行ったタカシは、その熱気とスターの存在感に侵された。文字通り、毒が体内に侵入したかのように、意識を持っていかれた。夢中になって腕を振り上げて、知りもしない歌を歌った。その内に不思議に思うことがあった。自分が腕を振り上げるタイミングとは何なのだろうか、というものだ。どのタイミングで自分は振り上げているのだろうか。不思議なことに、振り上げるリズムは何とも絶妙なタイミングで、決して曲調を損ねたりはしなかった。考えた時、一際高い金属音が耳をつんざいた。ドラムの、クラッシュシンバルが叩かれた音だ。
そして気がついた。ドラムだ。ドラマーが刻むリズムに合わせて自分は腕を振り上げていたのだ。
ライブが終わり、観客が次々に退場していく中、タカシは一人だけステージを見続けていた。そこにあるのは、アンプ、床に管を巻くコード(シールドと呼ばれるの知ったのは随分後のことだ)、そしてスタンドに体を預けたギターもあったが、何よりもドラムセットの存在に目を奪われていた。
あれが、あの絶妙なリズムを生んでいたのか。
その時にタカシはドラムに惚れこんだのだった。
流れていく風景を眺めながら思い出を回想をしていると、眠くなってきて欠伸を漏らした。
「少し、眠るかな」
今朝は太陽が昇る前に起き、出発した。それから時間は大分経ったが、普段ならまだ眠っていてもおかしくない時間だった。
タカシは、スティックの入った鞄をしっかりと抱いて、目を瞑った。これから行くところに、希望が待ち構えていると信じて、夢へと旅立った。
――しかしこのとき、電車が通過しようとしていた踏み切りにガス欠を起こした車が止まっていたのだ。 運転士は急いでブレーキをかけた。
しかし間に合わず電車は車に激突。勢いを殺しきれずに脱線し、
そして――
「くそっ!」
怒声とも悲鳴ともつかない叫び声が、病室に木霊した。
「タカシ……」
タカシが横になるベッドの横には、改札前まで見送りに来てくれた友人が心配そうにしていた。
タカシは実家のある田舎に逆戻りし、病院のベッドに釘付けにされていた。
右腕の複雑骨折。電車の脱線事故に巻き込まれたタカシは、大怪我を負ってしまった。しかし、死者二十名を越す大事故にも関わらず、右腕だけで済んだのは、不幸中の幸いと言えるのかもしれなかったが、タカシにとっては不幸以外の何にでもなかった。
「タカシ、落ち込むなよ」友人が言う。「お前にはまだ左腕もあれば、足だって両方あるじゃないか」
もうドラムを叩けないと落ち込むタカシを励ますために、友人は激を飛ばす。
しかし、
「うっせぇ!! お前に俺の気持ちがわかるのかよ!!」
タカシは友人の言うことに耳をかさず、泣き喚くばかり。友人はどうすることもできず、タカシのその情けない姿に落ち込むばかりだった。
「楽しみにしてたんだ……」
友人がぽつりと呟いた。
「……あ? 何だよ」
「タカシがステージの上で、スポットライトを浴びてギラギラ光るシンバル叩くの見たかったんだ」
友人は目を擦り、タカシから顔を背けて言葉を紡いだ。涙と同じように、勝手に溢れ出すかのようにも見えた。
「タカシのドラムは本当にすげえよ。友達贔屓とかじゃなくて、本当にタカシの演奏には心底惚れてんだ」
「おまえ……」
「だからいつも練習してる車庫の中じゃなくて、もっとでかいとこで、ステージがあるところでタカシの演奏が聞きたかった」
耐えられなくなったのか、わっと友人は泣き出した。泣きたいのは自分だとタカシは思いながらも、友人のその熱い涙を見て、なぜかあのロックスターのライブを思い出していた。流れる涙が、会場を舞う汗を思い出させる。
「だから、すっげえ悔しいよ!! お前だけじゃない!! 俺だって悔しいんだ!!」
「………………」
「なあ、諦ちまうのか!? なあ、タカシ!! 諦めちまうのか!? やれよ! やってくれよ!! おまえのドラムを聞かせてくれよ!! おまえのリズムを聞かせてくれよ!!」
鼻水を垂らし、涙で顔をぐちゃぐちゃのどろどろに汚しながら訴える友人に、タカシは気圧されていた。 自分は未熟者だ。ど素人で、都会に行けばこき下ろされるのではないだろうかと心配になるほどに、自分のドラムは下手糞なんじゃないかと不安に思っていた。だからこのような怪我をして、ほっとした部分もほんの一欠けらだけだが、あった。もう諦めてしまったほうがいいのかもしれない、やめてしまえば批評されることなく終われる。そう思っている部分も確かにタカシの中にはあった。
だがしかし、こんな身近なところに自分のファンがいた。自分の演奏に惚れているやつがいた。
その事実が、タカシの胸の中に火をつけた。
「わかった」
気づいた時にはそう言ってた。
「わかった。俺やるよ」
「……ひっぐ……えっ?」
タカシは枕横の棚の上に置いてあったスティックを掴むと、友人の前に突き出した。
「やってやるよ。そんなに俺のドラムを聴きたいなら、聴かせてやる」
「タ、タカシ!」
ぱあっと笑う友人に、タカシも笑顔で返した。
それから幾月と日が経ち、都会の小さなライブ会場にタカシはいた。タカシは再び上京したおりに知り合った音楽家とバンドを組み、今日始めてのライブをすることになっていた。
タカシはステージ上のドラムセットの前に腰掛けている。事故で大怪我を負った右腕は、神経が壊れてしまっていて、切断していた。つまり左腕だけの男がドラムのスティックを持って、そこに座っているのだ。会場から視線が集まる。
そしてその視線の波の中には、ステージから少し離れたところから見守る友人の視線も含まれていた。視線の先のタカシの左手には二本のスティックが握られていて、絶妙なバランスでゆらゆらと揺れていた。 タカシはあの事故の後、研究の末、片手に二本のスティックを持って演奏する方法を編み出していた。しかしタカシは、満足のいく演奏ができるまでおまえには聴かせられねえ、と友人を締め出していた。そのため、友人は片腕になったタカシの演奏を聴くのはこれが初めてだった。
不安と期待が胸の中で渦巻くのを沈めようと友人が深呼吸をしている時だった。
『えー、お集まりのみなさん。今日は俺達のライブに集まってくれてありがとう!』
ボーカルのロンゲの男がマイクを通して声をあげた。さらに心拍数が上がったのを感じた友人は、演奏が始まる前だと言うのに飛び跳ねてしまいそうだった。
『それで、ライブ始める前にコイツが言いたいことがあるらしい』
コイツとMCのロンゲが指差したのはタカシだった。マイクはタカシに渡り、タカシはその場で喋りだした。
『どうもどうも、コンバンワ! ドラムのタカシでっす! 見ての通り片腕でっす! えー、会場のほとんどのみなさんには関係ないことなんですが、どうしても言いたいことがあってマイク替ってもらいました』