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朝、俺は看護師が来る時間よりも早く起き荷物をまとめていた。
「おはようございます、篠原さん。今日は早いですね」
「おはようございます」
「今日は9時からカウンセリングが入っていますので、5分前には来てくださいね」
9時からカウンセリング? まあ、退院するから最終チェックするためなんだろうけど…… 。俺はポケットから渋谷さんの住所が書かれた紙を取り出し、昨日のことを思い出した。


午前9時。俺はドアをノックし、ドアノブに手をかけた。
「おはよう、篠原君」
「おはようございます、渋谷先生」
俺はいつも通りに近くにあるソファーに座った。
「篠原君、体調は良好かな? 」
「はい。お陰様で」
「 ……そう。気分はどう? 」
「前よりは断然良くなりました。ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
「篠原君、今日退院だね。 ……おめでとう」
「はい。ありがとうございました」
俺は立ち上がりドアの方へ向かい、ドアノブに手をかけた。
「失礼しーー 」
「楓……本当に帰るのか? あの家に本当に帰るのか? 」
「失礼しました」
俺は渋谷さんの顔を見ず何も答えず、部屋を出た。渋谷さんに迷惑をかけられない。だってこれは、俺自身の問題だからだ。渋谷さんに助けてもらう筋合いはない。


俺は荷物を持って、看護師と渋谷さんに見送られながら病院を出た。さて、バスを待つか。そう思いバス停に向かおうとした時、車のクラクションの音が聞こえた。
「楓君、送るよ」
「わ、若菜さん⁉︎ 」
車窓から手を出しにっこり笑う若菜さん。俺はお言葉に甘えて、家まで送ってもらうことにした。

「ねえ、楓君」
車が走り出して数分後。若菜さんは前を向きながら話した。
「私も迅もさ、本気で楓君を心配してんだ。だから別に甘えたっていんだよ? 楓君はーー 」
「俺は渋谷さん達に迷惑をかけられない。もう俺のせいで誰かを…… 」
「楓君…… 」
俺のせいで誰かを傷つけたくない、失いたくない。頭の中で姉ちゃんの言葉が響き渡る。 ”ごめんね、楓” と。
「楓君? 」
「すみません、考えごとをしていました」
「 ……着いたよ、楓君」
久しぶりの家。大きな門の前で車は止まった。若菜さんは着いた瞬間すぐに車から降り、門番に話しかけた。何を話しているんだろう? そして若菜さんは車に戻り、運転席に座った。
「楓君、私も少し家に上がらせてもらうわね」
「はい、分かりました」
門は開き、車は走り出した。


「雪ちゃん、お帰り。あら、若菜さんいらっしゃい」
母さんは家の前で掃除をしていた。雪ちゃん、か。
「お久しぶりです」
「そろそろお昼の時間ね。雪ちゃん、若菜さんご飯の時間にしましょうか」
「はい、お母さん」
俺は姉ちゃんのように振る舞った。嘘の笑みを浮かべながら。


「あの、すみません」
「何でしょう? 」
「篠原 楓君って、どこにいますか? 」
リビングに向かう途中、若菜さんは母さんにそう聞いた。
「わ、若菜さーー 」
若菜さん、何聞いてるんだ⁉︎
「篠原 楓なんて、この家にはいませんわ。いるのは雪ちゃんと祐二だけよ。誰か違う家の方と間違えているわよ、若菜さん」
「 ……母……さん」
分かってる。分かっているんだ。母さんにとって俺はこの家には存在しないことなんて。けど、心どこかでは母さんは俺を見ていてくれているはずだ、なんて思ってたりもしたんだ。でも、こう断言されてしまった今俺はどうすればいい? 俺の名前は篠原 楓だ。篠原 雪なんかじゃない。誰か、誰か俺という存在を認めてよ。
「楓君。行こう」
「えっ? 」
「雪ちゃん⁉︎ どこに行くの! 」
若菜さんは母さんの言葉に反応せずに俺の腕を引っ張り玄関に向かい、車に乗り込んだ。
作品名:恋愛偏差値 32 作家名:時雨