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プラタナス並木の道から

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「矢萩、俺がおまえの彼氏じゃだめか?」
 車が走り出してから、萩原要が唐突に切り出した。
「えっ、またからかわないでよ。クラスで冷やかされているのに」
まつりは横に座る萩原紀の顔を見られなかったが、その声から冗談で言っているのではないことは分かった。だが、意外なその言葉を、まつりは素直にとれなかった。
「俺は冷やかされても構わない」
 萩原紀はなおも率直な言葉を投げてきた。
「こんな時に馬鹿なことを言わないで」
 ――やだ、要ちゃんがいるのに。
 なんとかして違う話題にしたい。要ちゃんは聞こえていないかのように運転していた。萩原紀は更にはっきりとした口調で続けた。まるで、瀬川要にわざと聞こえるように。
「俺、本気なんだけれど。今日、会ってきちんと言おうと思っていたんだ。二十四日の夜に会ってほしいって。この前も言ったけれど、冗談だと思われていそうだったから」
「そんなこと言われても……」
 要ちゃんに聞かれている。もうやめて! と、まつりは叫びたかった。
 車は神楽丘の住宅街にさしかかった。
「あ、俺ここで降ります。じゃ、明日はいい返事待っているから」
 萩原紀の一言で、バス通りに車がすうっと停まり、勢いよく車を降りた萩原紀は振り返りもせずに走り去った。
 車は再びゆっくりと走り出した。瀬川要は無言のまま運転している。
「ムードも何もないんだもの。嫌になっちゃう。ね、要ちゃん」
 重たい嫌な空気。黙っているのが苦痛で、まつりは苦笑いしながらそう言った。
「ムードがあったら、オーケーしたのか」
「そんなこと、ないけれど」
「俺はまつりちゃんに振られたんだから、口出しする権利はないけれど」
 瀬川要は冷淡な口調で続けた。
 ――私が要ちゃんを振った? そういうことになってしまうの? 確かに要ちゃんから逃げ出したけれど。
 まつりは瀬川要の言葉に引っかかった。
雪化粧したプラタナス並木を、仄かに明るい街燈が照らし出している。まるで車を吸い込むように口を開いているような木々でできたトンネル。今夜は薄気味悪くさえ感じる。
萩原紀とはただのクラスメイト。好きなのは瀬川要。そう言いたかった。だが、運転席の瀬川要の後姿は冷たくて、無言の背中は会話を拒絶しているように思えた。
――言えない。また要ちゃんを怒らせてしまいそうだ。おばあちゃん、これはおばあちゃんを利用しようとした私への罰ですか。私はどうしたらいいの? おばあちゃん、教えて。
 木々さえも自分のことしか考えない自分をあざ笑っているかのように見えた。
家に着くまで二人は無言だった。

  励まし
けだるい朝。
まつりは翌日、祝日だということもあり、昼頃までベッドから出なかった。体は疲れていたのだが一晩中眠れなかったのだ。
おばあちゃんは本当にもう大丈夫なのか。瀬川要はもうこちらを向いてくれないのか。萩原紀とはどうしたらいいのか。夜通し悶々としていた。
自己嫌悪。自分が嫌になった。もう何も考えたくない。夜が明けても、布団の中でまつりはただぼんやりとして現実逃避をしていた。
「もういい加減に起きなさい!」
 母が部屋に乗り込んできてカーテンを開けた。
 眩しい日差しが差し込む。まつりは布団をかぶった。
「どうせ休みなんだから放っておいてよ」
「瀬川さんの奥さんから、おばあちゃんはもう心配ないから有難うって電話がきていたわよ」
「えっ。よかったあ」
 まつりは布団から顔を覗かせた。
「それより、萩原君から午後二時に来るって電話が来ていたわよ」
「どうして早く言ってくれないの! もう一時半だ。シャワーもできない!」
 まつりは布団を放り、急いで着替えた。
「何度も言ったけれど、生返事ばっかりしていたでしょ。困った子。それに、まつりの好きな人って瀬川のお兄ちゃんじゃなかったの? それとも、もう告白して振られたから乗り換えたの?」
 母は心配そうにこちらを見ている。
「お母さんには関係ないでしょ!」
まただ。母は何でもお見通しだ。瀬川要のことも見透かされていた。まつりは母に丸裸にされたような気がしてうんざりした。
 キッチンに行き、トーストをほおばりながら、まつりは母親に抗議した。
「どうしてお母さんはそうやってなんでも詮索するの?」
「だって心配だから……それで、まつりはどうするの? 萩原君にするの? 明日はイブでしょう?」
「娘の恋愛にまで口を挟まないで!」
「でも、一言だけ言わせて。好きという気持は妥協できないのよ。あっちがだめだったからこっちの人というわけにはいかないの。本当に好きな人でなければうまくいかないものよ。それに、中途半端な気持ちは相手を傷つけることになる」
「そんなこと、わかってる」
 口ではそう返したが、図星だった。
 瀬川要は諦めて萩原紀でもいいかもしれないなどと、自分が傷つくのが怖くてふと考えてしまっていた。気にしていないつもりだったが、友達にも彼氏がいて、ちょっと寂しく思っていたのも事実だ。
「よく、考えてね」
 鋭い母の一言が胸を突く。
 母は今までにどんな恋をしたのだろう。母の意味ありげな言葉は、まるで自分の経験を語っているような、どことなく含みを持たせるような言い回しに聞こえる。
再び好奇心が頭をもたげてきた。対面キッチン越しに、まつりは上体を乗り出して母を見た。
「ねえ、お母さん。お父さんとはどうやって知り合ったの?」
「突然、何よ。あなたの参考にはならないわよ」
 シンクを磨く手を止めないで、母が受け流した。
「だって、前にも聞いたけれど教えてくれないし。大恋愛なの? もしかして人に言えないような不倫だったりして!」
「親をからかわないの!」
 強い口調。母の手が一瞬止まった。その顔に緊張が走ったように見えた。
 ――まさか、ね。
 まつりは母の態度に何か引っかかるものがあったのだが、「もう二時になる」との母の一言で、今はそれどころではないということを思い出し、慌ててトーストの最後のひとかけらを口に放り込み、急いで洗面台の前へ立った。
 寝癖が無残なヘアスタイルを作っている。今からドライヤーで整えるには時間が足りない。まつりは仕方なく三つ編みにしてみた。
「あら、三つ編みにしたの? そうしているとお母さんの学生時代そっくりね」
 母は腕組をし、目を細めて懐かしそうにまつりを見た。さっきの顔を強張らせた表情が嘘のように、いつもの穏やかな母だった。
 母の若い頃の写真はない。家が火事になったと聞いている。今度、父が帰ってきたら母のことを色々訊いてみようとまつりは思った。
 玄関のチャイムが鳴った。
「ほら、来たわよ」
 母に言われるまでもなく、まつりは玄関に出た。
「出掛けてくる!」
「部屋に上がってもらうんじゃないの?」
 母の声を背に、まつりは外へ出た。
「行こう、萩原君」
「何処へ?」
「とりあえず歩く」
 まつりは萩原紀の顔をまともに見ないまま、先に立ってどんどん歩いた。家では母に何かと詮索されそうで嫌だった。
 青空に眩しい太陽。雪に反射して下を向いても眩しさは変わらない。昨夜降った新雪がきらきらと眩い光を放っている。
 萩原紀は無言でまつりの後をついてくる。
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami