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プラタナス並木の道から

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 木が生い茂る神楽岡公園を通り過ぎ、神楽橋が見えてきた。遠くに中心街の明かりも見えた。
「萩原君、もうだめだ。おばあちゃんは見つからない。おばあちゃんの足でこんなところまで来れないよ」
 まつりは立ち止まって、萩原紀のコートの裾を引っ張った。
「めそめそするな! 諦めるな! そうだ、警察が先に見つけているかもしれない」
 萩原紀が携帯電話でまつりの家に電話をかけた。
 ――もう時間が経ち過ぎている。もし見つかっていなかったら、おばあちゃんは……。
 まつりは最悪のことを考えてしまっていた。
「……見つかっていないって」
 萩原紀は携帯電話を切り、視線をそらしたまま言いづらそうに呟いた。
「萩原君、もういいよ」
 涙が滲み、遠くに見える街の明かりがぼやけて見えた。
「もういいって、どういうことだ? おまえは帰ってろ。俺が探すから。きっと見つけてやる。お前が諦めても俺は諦めないからな」
 萩原紀はまつりの言葉を待たずに、先へ進んで行った。
 このまま帰るなんてできない。
まつりもその後をついていった。
「そう簡単に死んでたまるか!」
 前を向いたまま、萩原紀は大声でそう叫んだ。
 自分が諦めてどうする。何の関係もない萩原君がこんなに一生懸命探してくれているのに。まつりは恥ずかしくなった。
「あっ! 誰かうずくまっている!」
 土手の先に黒い人影が見えた。二人は全速力で走ったが、膝まで積もっている雪が行く手を阻み、足が重くてなかなかたどり着けずにもどかしかった。
「おばあちゃん!」
 まつりが息を切らせながら叫ぶと、じっとうずくまっていた人影が動いた。
 ――おばあちゃんだ!
 全身に電気が駆け抜けるような感覚が走った。よかった。おばあちゃんが見つかった!
「ああ、咲子。迎えに来てくれたんだね」
 おばあちゃんはゼーゼーしながら立ち上がり、にっこり微笑んでまつりの頬を撫ぜた。
手袋もはめていなかったおばあちゃんの手は冷え切り、青白く氷のように冷たくなっていた。
「私はまつりだよ? おばあちゃん、家に帰ろう」
「帰ろうと思ったんだけど家が何処にもなくってね。おかしいね。敬三(けいぞう)もお腹を空かせているだろうし。咲子、母さんが悪かったね。ずっと敬三の子守をさせて。ごめんね、ごめんね」
拝むように両手を顔の前でこすり合わせて、おばあちゃんはしきりにまつりに謝った。寒さで頬を赤くさせ、真っ青な唇を震わせている。
「敬三って誰? おばあちゃん、しっかりして!」
 おばあちゃんはよろけて再びその場に座り込んでしまった。
「おばあちゃん、おばあちゃん! ごめんなさい。私が、私が……」
 まつりは気が動転してただ名前を呼ぶことしかできなかった。
 ――このままじゃ、おばあちゃんが死んでしまう!
「矢萩! しっかりしろ! カイロで婆ちゃんの体を温めるんだ! 今、救急車を呼ぶからな!」
 萩原紀が携帯電話で救急車を呼んだ。
――私のせいだ。私が、あの時気がついていれば。要ちゃんに近づこうとおばあちゃんを利用して、おばあちゃんのことを考えていなかった私が悪いんだ。
そのあと、何がどうなったかまつりは何も覚えていなかった。萩原紀が全て動いてくれたようだった。
気がついた時には、まつりは病院にいた。
「まつりちゃん!」
 車で駆けつけた瀬川のおばさんが駆け寄ってきた。
「ごめんなさい! 私……」
「おばあちゃんを見つけてくれて有難う。帰りが遅くなったおばさんが悪いの。まつりちゃんのせいじゃないわ」
 瀬川のおばさんは何度もそう言って涙ぐんでいた。
「でも、おばあちゃんに何かあったら」
「全部おばさんのせい。おばさんね、最近苛々していて……お通夜のあとにおばあちゃんのいる家に帰りたくなくて、喫茶店へ行ってただぼおっと珈琲を飲んでいたの。おばあちゃんから逃げたくて。馬鹿ね。そんなことをしても何にもならないのに……だから、まつりちゃんは悪くないの」
 瀬川のおばさんはハンカチで目頭を押さえた。
「おばさん……」
 苦しそうな瀬川のおばさん。おばさんはきっと誰にも頼れず、一人で何もかも抱え込んでいたのだろう。瀬川のおばさんの涙に誘われ、まつりも一緒に声を上げて泣いてしまった。
 それから救急室での処置が終わるまで、まつりは救急室のドアをじっと見つめてただひたすら祈っていた。
 ――どうか元気になりますように!
 一時間後、危険な状態は脱しましたと医師からの説明があり、まつりは足の力が抜けた。
おばあちゃんは軽い肺炎を起こしたうえ、心不全が悪化しており予断は許さない状況だが、今のところ大丈夫だろうとのことだった。

  困惑
「おい矢萩、大丈夫か」
少し離れた待合の椅子に座っていた萩原紀が立ち上がり、ふらふらと歩いていたまつりを見て、心配そうに声をかけてきた。
瀬川のおばさんが残っておばあちゃんに付き添い、まつりは帰るように言われたのだった。
萩原紀が救急車に同乗して一緒に付き添ってくれていたことを、まつりはすっかり忘れていた。
「萩原君」
 萩原紀の顔を見た途端、張詰めていた糸が切れたように再び涙が溢れてきて、まつりは両手で顔を覆った。
「おい、どうなんだよ。ばあちゃんは大丈夫だったのか?」
 声を出すと尚更涙が止まらなくなりそうな気がして、こくりと頷いた。
「そうか、良かったな」
 萩原紀は顔一杯の笑顔でそう言った。
「ありがとう」
 まつりはかすれた声でそう言うのが精一杯だった。
「矢萩が頑張ったから見つかったんだよ。……あのさ、こんな時だけど、俺……」
「まつりちゃん!」
 萩原紀が頭をかきながら話を切り出したとき、早足でこちらに向かってくる瀬川要の姿が見えた。
「まつりちゃん、俺のせいだろう? 俺が――」
「違うの。要ちゃんのせいじゃない」
 瀬川要は神妙な顔つきをして、低い声を絞り出すように言った。
「俺が悪かったんだ。……家まで送っていく」
 瀬川要は萩原紀のほうをちらと見た。
「クラスメイトの萩原君。一緒におばあちゃんを探してくれたの」
「そうか、ありがとう。君の家は? 送るよ」
「近所みたいなの」
 黙っている萩原紀の代わりに、まつりが答えた。
「要ちゃん、忘年会は?」
「母さんから連絡入ってすぐ抜けてきた。あれから酒は飲んでいないよ。今夜はいくら飲んでも酔えない気がしたから。飲んでいなくて丁度良かった」
 瀬川要の意味ありげな言葉。それは、付き合っていた彼女のことを想って? まつりはその言葉が気にかかった。
 三人は駐車場へと歩いた。
ぎゅっ、ぎゅっ。
酷く降っていた雪は止み、新雪を踏みしめる足音が響いた。
萩原紀は硬く口を閉ざして一言も話さない。先を歩く瀬川要の背中をじっと睨みつけて、怒っているように見えた。
「さあ、どうぞ」
 まつりは萩原紀と後部座席に座った。
「まつりちゃん、今日は横に乗らないの? ああそうか、彼氏が一緒か」
「萩原君は彼氏じゃありません!」
 まつりは即座に強く否定した。
「そうか」
 瀬川要はそれ以上訊いてこなかった。
 ――むきになって否定してしまった。要ちゃんに変に思われた? こんなにどきどきしている。
 自分の言動を瀬川要がどう思ったか、まつりは気にかかった。
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami