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プラタナス並木の道から

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そう思うと扉を開ける勇気がなく、まつりは暫く扉の前でうろうろしていた。
「あれ? まつりちゃん」
 背後から声をかけられ、まつりはびくりとした。振り向くと瀬川要がきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「あの、ちょっと近くに来たから……おばあちゃんどうかなって……」
 ついでに寄ったにしてはもう外は暗くて不自然だったと、言った後に気がついた。
「そう。ありがとう。でも、ばあちゃんは寝ているから。折角来てくれたけれど、また今度会ってあげてくれるかな」
「個室に移ったのはおばあちゃんの具合……だいぶ悪いの?」
「いいや、微熱があるけれど変わりないよ。夜中に起きてごそごそするから同室の患者が寝られなくて移されたらしい」
 まつりは恐る恐る訊いたのだが、瀬川要はあっさりと否定した。
「でも、家族揃って病院に行ったって……」
「ああ、頼まれて母さんたちを街まで車で送ったんだ。で、俺が代わりに婆ちゃんの所に来たというわけ」
 まつりを安心させるために嘘を言っているのではないかと一瞬思ったが、瀬川要の態度からは深刻そうなものは感じられなかった。
 ――またお母さんの人騒がせな早とちり。いや、もしかして要ちゃんに会わせようとわざと嘘を言ったのかもしれない。母ならやりかねない。
 まつりは肩の力が抜けた。
「まつりちゃん、もう暗いから家まで車で送ってあげるよ。婆ちゃんは寝ちゃったし、もう帰ろうかと思っていたところだから」
 瀬川要は小学生に語りかけるように、優等生の笑顔で言った。
 まつりはこくりと頷いた。
あの夜のぎらぎらした瀬川要。そして、昨夜の車中での冷淡な瀬川要。あれは思い違いだったのかと思えるほど、今の瀬川要は面倒見の良い優しいお兄さんという態度だった。
 ――要ちゃんは私を子ども扱いするの? あの夜はお酒に酔ったせい?
 あの時、まつりはいつもと違う態度の瀬川要から逃げたのだが、こうして何事もなかったかのように子ども扱いをされてみると、突き放されたような寂しさを感じた。
 要ちゃんは、もう、妹分としか見てくれないの? まつりは何度かその言葉が喉まで出かかったが、黙って瀬川要の後ろをついていった。
 昼間あんなに日差しが暖かかったのに、息も凍りそうなほど外は冷え込みはじめていた。屋外の駐車場は踏み固められた雪で路面が氷っており、転ばないように足元に注意を払いながら歩いた。人気がなく、静まり返った駐車場は、二人の靴音さえも暗闇に吸い込んでしまうように思えた。
「はい、お姫様どうぞ」
 以前のように、瀬川要はおどけながら車の助手席のドアを開けた。
 こわばった表情で、まつりは席に着いた。
「なんだ、腹でも痛いか?」
 車が動き出した後も、無言でいるまつりに、瀬川要は軽い調子で茶化した。
「馬鹿」
「だって、渋い顔をしているから」
 ――昨日だって気まずい状態でわかれたのに。要ちゃんは、どうして普段と変わらずに話ができるの? 私にはそんな器用なことできない。要ちゃんは何を考えているの?
 運転中、瀬川要の横顔は穏やかで、まるで何事もなかったようだ。こんな顔を見ていると、いつものように憎まれ口を叩いて二人で笑っていたい衝動に駆られてしまう。でも、それはもうできない。そんなことをしていたら励ましてくれた萩原君になんて言えばいいのか。振られるかもしれないけれど、しっかり告白しなくては。そして、萩原君にはやっぱり要ちゃんが好きだからと言わなければならない。
 まつりの気持はそう決まっていた。
 ――でも、もしかしたら少しくらいは望みがあるだろうか。
「要ちゃん……」
「なに? そんな怖い顔をするな。昨日は俺が悪かった」
「え?」
「昨日、馬鹿なこと言っただろう? 俺、あいつに可愛い妹をとられたようで癪に障ったんだ。嫌な気分にさせただろうなって、あの後からずっと気になって……」
 正面から目をそらさず、瀬川要は照れたように笑いながら言った。
 ――可愛い妹。
 まつりの頭の中はその言葉で一杯になった。他の言葉は耳に入らず、ただ、その言葉が何度も繰り返し響くのだ。
「クリスマスにあの男の子と会うんだろう? かっこいい彼氏ができて良かったな。俺も可愛い彼女を見つけるとするか」
 無言でいるまつりに、瀬川要は賑やかに話した。
 ――もう振られたも同然。
瀬川要の話に呆然とし、まつりは告白する機会をどんどん逸していった。
――要ちゃんにとって、自分は妹分でしかない。
 もしかしてと少し期待していた分、ショックは大きかった。まつりは瀬川要の顔をまともに見られなかった。その優しい笑みは妹分に向けた笑顔なのだ。
「彼氏ができたからって、俺のこと無視するなよ? 今まで通り、学校まで送ってあげるからさ」
 瀬川要はそんなまつりの気持を逆なでするように、優しい笑顔で話し続けた。
――微笑みかけないで。冷たく振られた方がまだましだ。もう勘違いさせないで。
 まつりは最後の勇気を振り絞った。
「要ちゃん、ちょっと遠回りしてくれる? 神楽岡公園の横を通ってほしいの」
 瀬川要は「オーケー」と言って、少し道を戻り、神楽橋を通ってプラタナス並木の道に入った。
「ここで車を停めて」
「こんなところで?」
「少し、一緒に歩きたい」
 瀬川要は頷いて車を路肩に止めた。午後六時。辺りはすっかり暗くなっていた。プラタナス並木のトンネルを次々と車が通り抜けていき、サーチライトが眩しかった。
二人は黙って雪道を歩き始めた。歩道は道が悪く、片方が雪深いところを歩かなくては並んで歩けない。瀬川要のスラックスの裾は雪だらけになっていた。
「まつりちゃん、手袋はめてないのか。霜焼けになるぞ」
 瀬川要は立ち止まり、まつりの冷えた片手をとって自分がはめていた黒い皮手袋をまつりの片手にはめた。
「こっちの手はこうすると暖かい」
 瀬川要はそう言ってもう片方のまつりの手を握り、自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「こういうの、一度やってみたかったんだ」
 瀬川要は照れたように笑い、
「好きな彼氏とじゃなくてごめんな」と、続けた。
 瀬川要の、大きくて暖かい手がまつりの手を握っていた。
 まつりの手から早鐘のような鼓動が瀬川要に伝わってしまうのではと思うほど、まつりはどきどきしていた。
 夢のようだった。瀬川要とこんな風に歩けるとは、まつりは思っていなかった。
 ――でも、これがきっと最初で最後だ。振られたことが今は辛くても、いつか楽しい思い出として笑って話せる日が来るのだろうか。
 まつりはそんなことを思いながら、俯いて歩いていた。
「まつりちゃん、見てみろよ。教会が綺麗だ」
 瀬川要が足を止めた。道路を挟んだ向かい側に、クリスマス用の大きなリースが取り付けられた教会が見えた。美しくライトアップされ、暖かな明かりが雪を照らしている。
「まつりちゃん、もしかして、これが見たかったのか」
 確かに、この道を瀬川要と一緒に歩いて教会を見上げ、楽しい想像をするのがまつりの夢だった。今、まさに状況はその通りになったのだが、とても楽しめる心境にはなれなかった。
 ――要ちゃんの心は私にはない。
「クリスチャンじゃないけれど、こんなところで結婚式を挙げたらいいだろうなあ」
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami