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プラタナス並木の道から

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 まつりが黙っていると、瀬川要はそんなことを呟いた。
「男がこんなことを言ったら変か」
 そう言って苦笑した瀬川要に、まつりは何も言い返せなかった。
 ――要ちゃん、残酷すぎるよ。まつりの前でそんな話をしないで。
 まつりは無意識に、繋いでいた手に力が入っていた。
「まつりちゃん、寒いのか?」
「……違うの」
 まつりは頭を大きく横に振った。
「さっきから黙っているけれど、どうかした? 俺、何か気に障ることをしたかな。やっぱり手を繋ぎたくなかった?」
「違う、違うの」
 まつりは再び頭を横に振った。口を開くと涙が流れそうだった。声を上げて泣き出してしまいそうだった。
 ――要ちゃんが好き。どうしようもなく好き。要ちゃんの声が優しければ優しいほど、たまらなく辛い。要ちゃんは私のことを妹分としか見てくれないのだから。
「……要ちゃん、もう、私に優しくしないで!」
 要の手を振り払い、そう言うのが精一杯だった。まつりは泣いていた。涙がぽろぽろと流れた。
「まつりちゃん?」
「歩いて帰る!」
 要に背を向け、振り向かずにまつりはそのまま走った。プラタナス並木が続く道を、息が切れるまで走り続けた。
 ――もう要ちゃんと顔を合わせられない。最悪なクリスマス・イブ。
 幻想的な暖かみのある電飾の明かりも、ふわふわの真っ白な雪化粧を施したプラタナス並木のトンネルも、まつりにはただ、冷え切った寒々しい辛い景色に変わってしまったのだ。

  父と母
 冷たい涙を流し、寒さで頬を真っ赤にして帰宅したまつりは、穏やかな母の笑顔に迎えられた途端、また涙が溢れた。
「泣きたい時はね、思いっきり泣くのが一番。自分の家で格好つける必要なんてないんだから」
 何もかも分かっているかのように、まつりの母は言った。
「だいっ嫌い! お母さんなんか! なんでいっつも何でも知っているようなことを言うの? 私にかまわないでっ!」
 半分八つ当たりだった。まつりは苛々した気持を母にぶつけていた。
「うるさいといわれようがお母さんはあなたのお母さんなのよ。まつりのことを心配するのがお母さんの仕事なの。大事な娘だもの。紅茶、飲みなさい。温まるから」
八つ当たりなどまつりの母は意にも介さず、穏やかな態度は崩れなかった。   
まつりは母に肩を押され、コートを脱がずにソファに座った。
 暫くして、紅茶の香りが漂ってきた。その香りは母の香りと重なるほど母は紅茶をよく口にする。
まだ涙が枯れないまつりは、マグカップに並々と注がれたミルクティを母から受け取った。
 マグカップから手に伝わる温かさが心地よい。口に含んだ紅茶はミルクのほのかな甘みで心までも温めてくれる気がした。紅茶の香りはまつりの気持を少しずつ落ち着かせた。
「ケーキ、食べる?」
 にっこり笑った母は白いケーキをのせた皿をまつりに差し出した。
「いらない……」
「食べなさい。ケーキを食べたら、元気が出るから、ね?」
 まつりは渋々皿を受け取り、一口、口に運んだ。
母の手作りケーキ。まつりはいつの頃からかクリスマスを友人と過ごすようになっていた。それでも母は毎年ケーキを作っている。まつりの帰りが遅くなっても必ずケーキを差し出すのだ。誰のために作っているのだろう。父のため? 父はクリスマスに家にいたことがない。この数年間、母は毎年一人で過ごしてきたのだ。ずっと一人の母。そういえば、父が最後に帰ってきたのはいつだっただろうか。
 そんなことを考えながら、まつりは母を見た。
母は向かい合わせに座って、両肘をテーブルにつき、マグカップを両手で包みこむように持ち、穏やかな笑顔をたたえている。しかしまつりは、その笑顔の奥に寂しい影が隠されているような気がしていた。
今までもふと疑問が頭をもたげることがあった疑問。
なぜ父はいつもいないのだろうか。
母はその疑問に、泊りの多い仕事で忙しいから仕方がないのと答えるのが常だった。幼い頃はそれで納得していた。
でも――父と旅行した記憶が一度もない。
父と母はうまくいっていないのかも。いや、やっぱり母と父は……。
そのたびに打ち消していた現実。無意識に避けていた話題。なるべく気にしないようにしていた、父と母の関係が頭をもたげてくる。まつりの不安はじわじわと広がる。
「お母さんはいつも一人で寂しくないの?」
「寂しくないって言ったら嘘かもしれない」
母のことだから、「寂しいわけがないでしょ。お父さんがいなくてせいせいするわ」などと、笑って返すと思ったのだが、予想外に真顔でそう答えたので、まつりは戸惑った。
でも、そんな真顔は一瞬で、母はもう笑顔に戻っていた。
まつりを見つめる穏やかで謎めいた母の笑顔。その仮面の下にはどんな表情を隠しているのだろう。
今だったら、母は誤魔化さずに答えてくれるかもしれない。この時を逃すと訊けないかもしれない。
瀬川要のことで頭が一杯だったはずのまつりは、それどころではなくなっていた。
母はまつりの真向かいに座り、まだじっとまつりを見ていたが、笑顔は消えていた。
「あのね、まつり」
 嫌な予感がした。いつもと違う母の緊張した表情。何か嫌なことを聞かされる。でも逃げるわけにはいかない。母も話す時がきたのだと思ったのだろう。まつりは身構えた。
「あなたに話さなければならないことがあるの」
 まつりがどんな反応を示すのか一瞬も見逃さないようにと思っているのか、母は瞬きもせず、まつりをみつめていた。
 丸顔にどんぐり眼。くせ毛の長い髪をまとめて後ろで緩く留めている。
父のDNAが半分関わっているはずなのに、自分の未来の姿を見ていると錯覚してしまうほど似た顔立ち。
母は何を告げようとしているのだろう。
不意に母の口が動いた。
「お父さんはよそのうちのお父さんなの」
 言葉が出なかった。
 今なんて言った? よそのうちって? お母さん、何を言っているの?
 まつりは混乱した頭の中、そう訊きたくても声にならなかった。
「まつりにはお父さんがいないの」
「嘘……」
 そう呟くのがやっとだった。
「お父さんには別のところに本当の家族がいるの」
 本当の家族って何? じゃあ、まつりやお母さんは嘘の家族だというの?
 母の言葉を受け入れられない気持とは裏腹に、まつりは今までの疑問が、最後のパズルをはめたようにすんなりと合点がいったのだった。
出張が多い仕事とはいえ、父は家に二日と続けて泊まったことがないのは、いくらなんでもおかしい。父の職業が何であるかを訊いても、冗談交じりに『何でも屋』としか答えてくれなかった。それでもまつりは現実を認めたくなくて、心の中でその事実をずっと否定してきたのだ。
すべて、これで納得がいく。
「まつり、普通の家庭とは違うと感じていたでしょう」
 すまなさそうにまつりの顔色を伺っている母。
母を責めたくはない。母がどんな恋愛をしていたとしても、母の生き方を否定したくない。ちょっとおしゃべりでおせっかいだけれど、大切な母。母を悲しませたくない。でも、どんな顔をしたらいい? 
まつりは笑顔を作ってみようとしたが、顔が引きつって別の生き物の顔のように言うことをきかない。
「そんなこと分かってたわよ」
「まつり……」
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami