先輩
3
学校は、あの夜の出来ごとの後、警察が集まり、まるでドラマのように捜査が行われたそうだ。もちろんそれは一瞬にして近所中の噂になり、そこでの死亡者が新任の大和田先生と、学校の生徒である沙耶と、校長であり、同時にこの地域のヤクザの総組長だったということが、大ニュースとなった。
さらにはそれを知ったヤクザの組員たちが総出で学校に押しかけてきて、私たちが去った後の学校では、まるで合戦のように警察とヤクザの争いが行われたという。その所為でしばらく学校は休校となってしまった。私も少し体や気持ちを休ませたかったし、ちょうどよかったのかもしれない。
休校の間、警察の人が家に来て私は交番まで連れて行かれ、あの日のことについて細かく訊かれた。古いテレビドラマのような、拷問のような事情聴取を想像していたので、震えながら交番の冷たいパイプ椅子に座っていたのだが、最近はああいうやり方はまずないらしく、若い警察の人がひとつひとつ丁寧に訊いて、分からないことは分からないと言うと笑って許してくれた。下手な教師よりも話しやすく、優しかった。最初から私のことを疑っていなかったからなのかもしれないが。
ともかく事件に関しての出来事はその日だけで終わり、残りの休みは姉さんと買い物に駅前へ出掛けたり、姉さんに勉強を教わったりして過ごしていった。
結局――ヤクザの組員、主に東の組員はというと、生き残っていた組員も暴れた所為で、ほとんど刑務所送りになったりしてしまい、東のビルは、山田組長も亡くなってしまったので、もぬけの空状態になってしまったそうだ。
北のビルも、関係者――たぶん私と馨先輩なんだろうが――の証言を元に、立ち入り捜査したところ、すぐに証拠が見つかったという。
鍵で厳重に閉まっていた病室に入った途端、強烈な異臭が漂い、布団をどけると腐敗した死体が何人も寝かされていたという。
毒殺された被害者全員の遺体は、全て北のビルにて発見されたそうだ。状態は様々で、そのまま放置されて腐っていたものもあれば、ホルマリン漬けされていたり、使える部位だけ切り取られていたもの等、現実とは思えない行為がそこでは行われていたということを、それを聞いて改めて思い知った。
もちろん北の組長、というより院長の三戸は逮捕されたという。
私はあの日以来、登下校は馨先輩と二人で行く約束をした。
久々の学校というのもあったが、何より馨先輩と並んで登校できるのが、嬉しい反面すごく緊張した。今まで普通に話していたのが、夢だったんじゃないかと思った。
馨先輩はあの事件の後、ちょうど東のビルの組員がほとんどいなくなったので、ちーちゃんと一緒に、馨先輩の産みの親であった美香さんの姉――守屋真美さんに預かられることになった。
ちーちゃんは山田組長と美香さんの子供らしく、馨先輩とは異父兄妹だと聞いた。
今回をきっかけに、馨先輩も安定した生活と、幸せな家庭をもてたのだから、やっぱりあの出来事は皆の願いを叶えたんだと思う。
東のビルは私の通学路に近い位置に建っているため、いつも朝は団地の前で待ち合わせをして、二人で登校している。
今日も馨先輩はガードレールに寄りかかりながら、私のことを待っていてくれた。
「桃瀬さんは――」
馨先輩が歩きながら話してきた。久しぶりに聞く馨先輩の声は、やっぱり低くて透き通った、チェロのような音色だった。
「両性愛者ではなく、同性愛者(レズビアン)だったみたいだね」
同性愛者ということは、つまり同性である女の子だけが好意の対象になる、ということだろう。
「え、で、でもリンは、漫画の男の子を普通に好きだとか言っていましたよ?」
ハヤトくん、ハヤトくん、と口癖のように言い、部屋にポスターまで貼っていたほどだ。ハヤトは普通の男子であり、誰がどう見ても女性には見えない絵だった。
「そこがね、ちょっと複雑なんだ」
馨先輩はいつもの語り口調で話し出した。
「彼女はね、現実の世界と漫画等の創作の世界を、きっちりと分けていたんだ」
「それは……普通のことじゃないんですか?」
「まぁ、普通といっちゃ普通かもしれないが……言い換えれば、彼女は現実の世界を過ごしているのと同時に、創作の世界でも過ごしている、と言えばいいのかな。例えば――漫画に出てくる男の子のキャラクターが好きな女の子は、現実でも男子を好きになるだろう?」
「普通はそうですね」
「でも、彼女の場合は違うんだ。彼女にとって創作の世界での彼女は、異性愛者であるのに対して、現実の世界での彼女は、同性愛者なんだよ」
「……?」
私に理解出来る話なのか、少し不安になってきた。
「日記によれば、彼女は「純情宣言!」という漫画の登場人物、ハヤトという男に好意を抱いていた。しかしそれは、現実世界の桃瀬さんが彼に好意を抱いていたわけではない。その漫画の世界では、彼を好きになっている主人公の恵という女の子が、桃瀬さん自身なんだ」
「……感情移入、てことですか?」
「まぁ、そうだね。だから彼女がそのキャラクターが好き、と言ったのは、桃瀬さん自身の言葉ではなく、主人公になりきっている漫画の世界の彼女の言葉なんだ」
コスプレイヤーという人がいるだろう、と急に先輩は言い出した。
「漫画やアニメ等に出てくる、登場人物の服装や容姿を真似する人たちだ。まぁ僕は詳しくは知らないから上手く説明は出来ないんだけれど」
詳しかったら、馨先輩の印象が変わってしまうところだった。
「彼ら彼女らは、それをする理由は人それぞれなんだろうが、人によってはそのキャラクターになりたいから、そのキャラクターになりきることを目的にする人もいるらしい。極端に言えば、その人のなりたいキャラクターが犬だったら、犬になろうとするかもしれない」
それを実現するとしたら、コスプレというより、もはや役者や催眠術に近い。
「だから桃瀬さんはその例えで言えば、完全に犬になりきっていたのかもしれないね。メス犬なら、好きになるのは当然オス犬だろう? メス犬や猫を好きになったり豚を好きになったりする犬はほとんどいない。つまり――」
現実世界の彼女は、ハヤトという少年のことをなんとも思っていないんだよ、と先輩は言った。
まさか馨先輩の口から「純宣!」の話が出てくるとは思いもしなかったから、違和感を感じる。
「では、現実世界の彼女の好きな相手はというと――それは美紀さんだった。……どうやらそれは本当のようであり、現実世界の彼女自身の気持ちらしい。――しかし、彼女は途中から沙耶と付き合い始めた。だからと言って、決して美紀さんを嫌いになったわけではない。これに関しては僕も最初はさっぱり分からなかったけれど、今話したことで考えれば、そう難しいことではないんだ」
私達二人は団地から少し離れた信号を渡った。視線の先に学生の姿がちらほら見え始めてきた。
「桃瀬さんは、日記で美紀さんと僕の関係を物語として書いている。それにはちゃんと理由があるんだ。彼女の日記中で、美紀さんは僕へ好意を抱いている」
私は恥ずかしくなって、足元に視線を向けながら歩いた。