先輩
「それが……山田組長のあなたに対する、気持ちなんだと思います」
女は力の抜けた手から拳銃を離して床に落とし、再び床に座り込んでしまった。
これで東も片付いた、と思って馨が彼女に近づこうとした瞬間――扉が思い切り開いた。
さすがの馨も驚いて、扉の方へ眼を向けた。
「おらぁ! あの小僧の死体はどこにある! 誰が殺した!」
ひどい罵声を吐きながら、制服姿の女――と思われる者――が入ってきた。彼女の脇には何か大きなものが抱きかかえられている。それはどうやら、山田の娘であるちいのようだった。
凶暴な顔つきの女――勝山といったか――は山田の寝ているベッドに近づき、どけ、と言って馨を軽く蹴った。抱きかかえられたちいが足をじたばたと動かす。
「こいつがここの組長か? ……なんだ、お陀仏じゃねえか」
彼女はベッドから離れると馨の方に目をやって「お前は誰だ!」と言った。
「死体になっているはずの、小僧です」
「あぁ、あのガキか。……なんでそこのじじいが死んで、お前が生きてんだ?」
「東のビルに来たぐらいで、僕は死にませんよ」
「お前がここでこうしていられるのは親のお陰だからじゃねえか。お前は単なる青臭えガキの癖に生意気なこと言うんじゃねえよ。私はお前のそういう偉そうな態度が気に食わねえんだ!」
勝山は怒鳴り散らすように言った後、ちいを下ろし床に立たせた。
「……」
ちいは黙ったまま、だらしなく床に座り込んだ女――ちいの育て親である彼女――を見詰める。ちいは何を思って、自分の親を、産んだ母親を殺した女を見ているのだろうか。
「ちゃんと、立って」
ちいは彼女に近寄り、手を差し伸べた。彼女はちいから差し伸べられた手のひらをじっと見て、戸惑いながらもその手に自分の手を重ね、そのまま立ち上がった。
「ちい……私は……」
「ちーはね、ほとんど知ってるよ。お父さんがどんなことをしていたのかも、誰がちーを産んだのかも」
思春期である中学生だ。年齢的に自分の出生の秘密に興味をもってしまうのも仕方ない。調べていくうちに血液型が違ったりすれば、すぐ異変に気付くはずだ。
「……ごめんなさい。あなたを産めなかった私は、姉さんにお願いしてあなたを引き取り、出来る限り母親に近付こうとあなたを精一杯育てようとした。――でも、山田様が亡くなった途端にこの有様だわ。結局誰が産んだなんて関係なく、私はただ山田様が好きだっただけなのよ。こんな私、母親失格ね……。もう私がここにいる意味など――」
「だから、ちーはほとんど知ってるの。小学校に入学したぐらいの頃から」
「え……?」
「ちーは憎んでも恨んでもないよ。あなたはちーだけの……立派なお母さんなの」
ちいが顔を僅かに赤めながら目の前に立つ育て親の彼女に向かって言った。それを聞いた途端、彼女は支えられていた手を振りほどき、三度床に座り込んだ。そのまま床に手のひらまでべったりとつけ、今までの自分の中に溜まっていたつらい気持ちを全て吐き出すかのように、声を出して泣き叫んだ。
「はん、あたしゃ、こんな茶番劇を見にわざわざここに乗り込んだんじゃないんだよ。ったく」
勝山は二人の親子を罵ったが、視線は二人の位置とは逆の壁の方へと向けていた。僅かだが、声も震えていた気がした。
「ちーはね、お母さんよりも、お父さんの方が許せない」
ちーは馨に顔を向ける。
「カオル先輩」
「……なんだい?」
「明日、あの人と会う約束をお父さんに任せられたんでしょう? それなら早く、この駄目な大人たちの行いを終わらせて」
「あぁ。明日で……全てを終わらせる」
「ありがと。……ちーはね、たとえ誰がどうなろうと、たとえそれがちー自身のことであっても、どうでもいいの」
「だったら今僕に言ったことの真意は?」
ちいは泣き崩れている母親を抱き起こしながら、
「この一連の出来事の一番の被害者――サヤ姉さんを救ってあげたいの。それだけ」
そう言うとちいは一瞬だけ笑みを浮かべ、母親をソファに寝かせた。
「――勝山さん」
「あ? なんだ」
「あとのことは任せます。この建物の中に、『禁断の四階』の扉を開ける鍵があると思うので」
「……ふん。分かったよ。おい、そこの寝てる女。勝手にこの建物ン中荒らさせてもらうぜ」
勝山はさっそく部屋の中に備え付けてある家具を物色し始めた。
「では失礼します」と馨は言い残して、東のビルを後にした。外には例の二人組が地べたに座り込んで勝山のものと思わしきビッグスクーターを見張っていた。あの二人を助っ人に呼ぶ必要はなかったかと思ったが、ビルの窓から勝山の罵声のような二人を呼ぶ声が聞こえたので、彼らは勝山の雑用役ということで、結果オーライだろう。
――これで準備は全て整った。
馨は拳を握り、背後に聳える学校を睨んだ。