先輩
3
南と西のアジト割とすんなり行けたからよかったが、一番の問題なのは――東か。
守屋馨は、始業式に懲らしめたDクラスの二人を従えて、東のビルの前に立っていた。
――情報はだいぶ手に入った。薬物のことから四つの組のこと、そして、その全ての組の頂点に立つ組長のことまで。
母は自ら薬物に嵌まって死んだんじゃない。やはり毒殺されたのだ。美紀の知り合いの父も、元校長もきっとそうに違いない。
その殺人犯であり、この一連の事件の首謀者である人物が、ここにいる。
――この悪夢のような惨劇を食い止められるのは、僕しかいない。
馨は、目の前に建つ高さ十メートルほどの三階建ての建物へと、一歩一歩近付いていく。
「せ、先輩……! ほ、ほんとに大丈夫なんスか?」
「東って、相当やばいっすよ……。こんな俺達だって近寄りたくないッスもん……」
「嫌なら帰っていいよ。僕一人だけで入るから」
「だからマジで危ないんっすよここは! 奴らドスとかコレとか平気で使ってくるって話っすよ!」
二人組みの片方の太った男は、そう言いながら指を曲げて拳銃の形にした。
「そんな凶悪な連中のいるビルが、何故学校の近くに建っているんだい?」
「世間は何も知らないんっすよ。裏社会ってやつじゃないすかね。ポリ交もこの地域は雑魚とアホしかいないから、何にも気付いてないんっすよ」
もう片方の、太陽の光が反射するほどに剃られたスキンヘッドの男が言った。
「もしそれが本当だとしても、奴らは僕に対して何も出来ないよ。まぁ――君らは何をされるかわからないけどね」
「ひぃぃぃぃ!」
二人は顔を合わせて悲鳴を上げた。
「そんなわけだから、さすがの僕でもそれでも後についてこいとは言わない。これ以上被害者を出したくないしね。君たちはただ入口の前で待っててくれればいい。そのうち力強い助っ人が来るはずだから」
「助っ人……? まさか、先輩、あいつらと正面から戦おうとしてるんすか……?」
「それはいくらなんでも相手を舐めすぎっすよ。いくら最強の先輩でも、相手は根本的に体格とか年齢とか、そういうのが違いますから」
二人がそう言うと馨は振り返り、二人に向かって、
「僕はね、勝負事では今までに一度も負けたことのない、正真正銘の負けず嫌いなんだ。だから大丈夫だよ」
と、笑顔で言った。
二人は再び顔を向かい合わせ、首を傾けた。
「とりあえず、そこで見張っててくれ。すぐ帰ってくるから」
馨は扉の前に立つと、勢いよく開けて中へと消えていった。
「おい、あの銀髪小僧……本当に入っていったぞ。ほっといて大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけねーだろ。五分後には骸になって放り出されるに決まってる」
「だよな。……全く。命を粗末にするなっての」
「あ、あぁ……そうだな」
「馬鹿だよな。所詮はまだ中学生のガキの癖に、かっこつけやがって」
太った方は地面に唾を吐いてため息をついた。
「おはようございます!」
大声を出しながら扉を豪快に開き、馨はビルの中へと踏み込んだ。「なんだお前は」と白い背広を着た男がタバコを吹かしながら聞いた。
建物の一階に位置するこの部屋は、十二畳ほどのそこまで広くない部屋だった。外観も、ビルといってもそこまで大きくなく、東の組員はほとんどここには住まないで、別な場所に自分の家を持っているようだ。そんな狭い部屋の中で、組員は皆タバコを口に咥えている。あまりの空気の悪さに馨も大声を出した直後に思わずむせてしまった。
部屋にはソファが囲むように四方向に置かれ、四五人の見るからに悪そうな男達がどっかりと寝るように座っていた。壁には鹿の頭の剥製が掛けられている。テーブルの上には握りつぶされた無数のタバコの箱と、吸殻が大量に盛られている灰皿だけが置いてあった。部屋の空気が悪さは、タバコの煙が原因のようだ。
「僕は東の組長に会いに来たのです。あなた達に身分を明かしている時間はありません」
「てめぇ……本気でそんなこと言ってんのか?」
「ガキの癖に舐めた口聞きやがって!」
一人のサングラスを掛けた男が、眉間に皺を寄せて馨を睨みつけながら近寄った。
「おっと、乱暴はしないでくださいよ。僕はそこまで軟弱な人間ではないですけど、暴力は嫌いです。出来れば平和に解決したいのです。これ以上被害者は増やしたくないのです」
「うるせぇ黙れ!」とサングラスの男は叫んで馨の胸倉を掴み、ぐいと自分の胸へ引っ張った。馨は怖がる様子もなく、むしろこうなることを予期していたかのように唇を歪ませる。
「おやおや。こんなことをして許されるとでも思っているのですか? もう一度言ったほうがいいますか? 僕は暴りょ――」
「黙れクソガキが!」
男は拳を握り締めて腕を上げた。
「僕の、髪色が気になりませんか?」
馨がぼそりと――それでも相手にはっきりと聞こえるように――自分の頭を指差しながら言った。その何秒後かに、男はこれでもかというぐらい口を開き、「ま、まさか!?」と叫んで掴んでいた手を離し、後ろへ二歩下がった。他の男も立ち上がり、馨をじっと見てサングラスの男と同じような反応をした。相当に驚いているようだった。
「お前、いや、あ、あなたはまさか――」
「分かってもらえればいいんです。それで、偉い人はどこにいますか?」
「さ、三階にいます、や、山田組長です」
男は裏返った声で言った。
「ありがとう」と馨は言いながら堂々と男達の横を通り過ぎ、奥にある薄暗い階段を昇っていった。
三階に着くと、見るからに高い装飾がしてある大きな扉の前に、一階にいた組員とは間逆の、きっちりとした黒スーツを着た清楚な女性が立っていた。
「どなたでしょうか?」
女は、NHKのキャスターのように発音のいい声で馨に聞いた。
「守谷、馨です」
「まぁ、馨様……! すっかり大きくなられて……」
女は仮面のように硬い表情を、分からないぐらい微妙に緩ませた。
「以前に……あなたとお会いしたことありましたか?」
「ええ。馨様は覚えていないと思われますが――お父様が当ビルに来られた際に、お父様があなたをあやしている姿をここで見ていました。――十年くらい前でしょうか」
そんな事があったとは知らなかった。しかし十年前からこの仕事をしているのならば、この女も年齢的にそこまで若くはないはずだ。それでも彼女は二十代前半ぐらいに見える。
記憶になくても、彼女は何故だか過去に見覚えがあるような気がした。――いや、違う。誰かに似ているのだ。
脳裏に母の姿が浮かんだ。
「山田様に、何か御用でしょうか?」
女の発した声で馨は我に返った。
「母の生前の話を聞きたいんです」
女は目線を変えないまましばらく黙り、数秒たった後に
「……申し訳ありません。山田様は現在大変重い病を患っていまして、会話もままならない状況なのです。そのため、その様な深刻な話をされますと、ストレスで病気が悪化してしまう恐れがあります。ですので……ご遠慮して頂けないでしょうか?」
「そんなことを言っていられる状況ではないのです。重病でいつ亡くなってもおかしくない状態だからこそ、生きている今聞かなきゃいけないのですよ」