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先輩

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 馨先輩が発したのは元気のない悲しげな声だった。いつもの爽やかな笑顔も、その顔には浮かべていなかった。
「どうしたんですか…?」
「もし――僕の想像していることが全部その通り現実に起こっているとしたら、このままでは、近いうちに大変なことが起こるかもしれない」
「大変なことって……大地震とかですか?」
「いや、そういうことじゃないんだ。何者かによって仕組まれた、恐ろしい現実……」
「恐ろしい、現実……」
「美紀さん――」
 馨先輩は時と場合によって苗字と名前を呼び分ける。それはどういう基準で分けているのだろう? なんて呑気なことを考えている間に、馨先輩は言葉を繋げた。
「来週から、二人で帰るのをやめよう。しばらく僕と行動を共にはしない方がいいと思う。理由は……また一緒に帰れるようになった時に言うよ。今はまだ……言えないんだ。それまでは、前にも言ったように、大和田先生とストーカーには充分警戒しながら過ごしてほしい。本当に……ごめん」
 私にとっては、馨先輩のこの言葉こそが恐ろしい現実に思えた。

 私はただ一言、分かりました、とふて腐れたように言って頭を下げ、馨先輩の顔から視線を外して帰り道を進んでいった。
 ――胸が痛い。酸素が吸いにくくなり、眩暈で視界が揺らぐ。
 家に着くまでの間、涙が止まらなかった。俯いて歩きながら、私は泣き続けていた。
「しばらく会わない方がいい」という言葉は、「もう一生会えない」という意味にも聞こえた。きっと告白していても、同じようなことを言われていたんだろう。
 私は告白もしていない。好きだと伝えることも出来ずにふられてしまったのだ。自分の勇気のなさをはっきりと示されたようで、気分は落ち込む一方だった。
 恐ろしい現実――。
 その言葉を反復したとき、私の脳裏に今までほったらかしにしていた問題が次々と浮かびあがってきた。
 音楽室で見た謎の女生徒、不在のままの校長、薬物による何人もの死者、黒い服を着て学校の周りを徘徊するストーカー、四方に立ち並ぶヤクザのビル、不気味な大和田先生、消えたともちゃんの行方、あけみとともちゃんを襲う原因不明の病気。さらにはちーちゃんの謎の行動と、暴力的なリンの恋人。
 身近なものから現実とは思えないものまで、最近の間に私のまわりで起こったこれらの出来事に、馨先輩は関わっているのだろうか? そうだとしたら、馨先輩の私に言ったあの言葉は……。
『もし――僕の想像していることが全部その通り現実に起こっているとしたら、このままでは、近いうちに大変なことが起こるかもしれない』
 馨先輩は何かを知ってしまったのかもしれない。何か――恐ろしい現実へと繋がる真実を。
 馨先輩は、再び私の救世主になってくれるのだろうか。
『美紀さん、来週から、二人で帰るのをやめよう。しばらく僕と行動を共にはしない方がいいと思う』
 再びこの言葉が再生される。
 ……考えても無駄だ。言われてしまったことはしょうがない。やはり私は巻き起こる現実にただ流されるしかないのだ。
 家に帰ると、母に「ワイシャツはどうしたの?」と聞かれたので、「朝寝ぼけて間違って体操服着て言っちゃったの」と安易な嘘をついて誤魔化した。
 それと「キキがずっと家に帰ってこないのよ」と心配そうな顔をして母は言った。確かに今日は私が帰ってきても、向かえに来てくれていなかった。キキは元々拾ってきた猫なので、家に毎日ちゃんと帰ってくる習慣があまりない。だから今日のような日も特別珍しいわけではなかった。
 たぶんニ、三日すればもどってくるわよ、と母に言い、その日はそれ以降特に変わったことはないまま幕を閉じた。

 それから、三日が経った。
 四月二十四日。
 リンは三日間とも欠席していた。心配なのでメールで聞いてみると、「ピアノの練習が忙しくて学校に行ってる場合じゃない」とのこと。そんな忙しいのに土曜日にデートなんてして大丈夫なのだろうか、と思った。
 リンがいなかったので、一人になってしまった私はひどく不安になり、一時間目の授業すら出られなかった。一日目はほとんど放課後まで保健室で過ごした。
 部活はなんとか出席することが出来て、不安も一時的になくなった。ただ部活を無断で休んだ罰として、部活終了後、音楽準備室の掃除をするようにと言われてしまった。
 ちーちゃんは学校には来ていたみたいだったが、部活は休んでいた。低音楽器が遂に私一人だけになってしまったため、本日は合奏が中止され、またもや部活終了の時間まで個人練習になった。
 私は寂しかったので、クラリネットの生徒たちと一緒に練習していた。
 部活を終え、サボった罰である音楽準備室の掃除も、誰も見ていないにも関わらずしっかりとやっていき、やっと帰る時間になった途端、溜まっていた不安が一気に押し寄せてきた。胸が押し付けられ、貧血の時のように視界が真っ暗になる。
 なんとか学校を出て、ゆっくりとではあるが一人で帰り道の途中までは歩けたが、団地の出口のあたりで足に力が入らなくなり、そのまま地面に座り込んでしまった。
 道の真ん中に座ったままでは車に引かれてしまうので、とりあえず出せる力を振り絞って、這うようにして団地の塀に背中をつけて座った。
 しかしここにいるのはかなり危険だ。一刻も早く立ち去らなくては。不幸にもここは、ともちゃんが消えた団地前だ。
 早く動かないと。でないと何者かが、と思った瞬間――。
 目の前の陰が揺れた。
 言ってる傍から、相手は現れたのだ。
 フラフラと泥酔したように、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
 影のように黒いコート。正しくそれはストーカー本人だった。
 大和田先生の姿と重なる。
 恐怖で体の震えが止まらない。
 歯がガチガチと震え、骨を伝ってその音が頭に響く。指先が氷のように冷たくなっていき、つま先の感覚がなくなってしまった。
 
 ――殺される。
 相手は何かをつぶやいた。
「……っ」
「……さ」
 低くこもった声で唸るように声を漏らす。
「……さき……さ……?」
 一メートルぐらいまで距離を縮めた所で男は止まり、問いかけるように言った。
 さき? 相手はサキという名前の少女を捜しているのだろうか。
 そんなことより、このままでは命が危ない。
 そう気付いた瞬間、
「おぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 相手は突然下に向けていた顔を正面に向け、大声で叫んだ。顔には何か仮面をつけている。目と口の部分だけ空いた、ムンクの叫びのような、ホラー映画で見たことがある仮面だ。
 男が叫んだと同時に私は反射的に立ち上がり、残った体力で家の方に向かって必死に走った。うまく足が動かせなくて、何度も転んで頬や膝を擦り剥いてしまったが、それでもなんとか家まで逃げ切れた。
 壊れそうなぐらいぶつかるようにして玄関を開け、家の中に逃げるように入った。驚いて台所から飛び出して来る母を無視して、階段を駆け上がって部屋に入り、布団に潜った。
 泣いているのか叫んでいるのか、自分でも分からない声を出して、ひたすら喚いた。
 
 もう、何もかもが嫌だ。
 リンも馨先輩も、あけみやともちゃんも、キキにまで、もう会えなくなってしまった。
 黒衣の男。ストーカー。
作品名:先輩 作家名:みこと