先輩
6
予想通りだったが……まさかここまで簡単に仲間に裏切られるとは正直思わなかった。少しだけ涙が零れた。
彼女――鈴木明美は、優秀な生徒を集めたAクラスの中でも、一際頭が良い生徒の一人だ。自分より下のクラス――Bクラスの生徒の考えなんて簡単に読める。……あくまで学力だけでクラス分けをしているわけではないらしいが。
とはいっても、メンバーはみんな思考が単純だし、ごく一般的な中学生だ。あんな内容でメールを送れば気になってしょうがなくなり、絶対に図書館へ向かうだろう。全員が行かなくても、誰か一人はかならず行くはずだ。
そうなれば、誰が約束を破ろうか関係なく、ある程度時間が経てば私とリンリンを除いたあの三人で図書館に通うようになるだろう――。彼女はそう考えた。
しかし、なんとか明美に隠れて見るようにしていても、所詮はBクラス。刑事や探偵のように相手を観察することは不可能だ。結果は思った通りバレバレだった。
きっと三人は、図書館内ではバレないように色々と工夫を施していたのだろう。もちろんそれはおかしなことではない。だが三人の爪の甘いところは、図書館に入るまでの過程に、何の工夫もせずに真正面から堂々と入っていったのだ。それでは、図書館の外から見れば一目瞭然じゃないか。
正に彼女の予想通りだった。彼女は向かいにたつ三年校舎の廊下の窓から図書館の方を覗き、三人が図書館へ入っていくかどうかをじっと観察していたのだ。
そして結果、彼女は計画通りメンバー三人に約束を破らさせた。
――リンリンにはメールを送らないでよかった。
あの子はとっても不思議ちゃんだ。ちー子は無口で無表情なだけで、中身は意外と標準的な中学生だが、リンリンは何もかも予測不能であり、何をするかわからない。頭がいいわけではない。寧ろ、悪い方だろう。それが逆に読めない理由なのだ。スポーツやゲームで、プロの選手が素人相手にうっかり負けてしまう状況と似ている。
だが、リンリンを予測不能だと思っているのは私だけではない。あの子と長い付き合いでもある美紀ですら分からない面もあるようだし、他の二人にはさらに理解出来ないだろう。
だからメールの内容はリンリンに伝えないはずだ。伝えれば逆に自分達が不利になる恐れがあるからだ。
そしてそれも予想通りに、図書館に来ていたメンバーは、リンリンを除いた三人だった。
KLDを作ったと同時に、わざと約束を破らせた理由――。それは、四人を団結させることにある。
好意を抱いている側が五人に対して、その対象の相手はカヲルくん一人だけ。それでは単独行動をしようとすればごちゃごちゃとややこしい問題になり、団体行動をすればファンクラブのような、相手が手の届かないアイドル的存在に留まってしまう。
それを阻止する方法こそが、私のとった行動だ。
結果、リンリンも含めた四人は固まり、図書館に入っていない明美は裏切られた仲間はずれと見せかけて、馨先輩にノーリスクで、尚且つ単独で近付くことができる立場に立てるのだ。
三人を観察するのと同時に、カヲル先輩はある特殊な行動をすることに気付いた。
彼は、月・水・金は教室へ戻らず、そのまま学校の外へと出て行ってしまうのだ。
どういう理由かは分からない。生真面目な明美の場合、さすがに授業をサボるわけにはいかないため、学校を出た後にどこへ行っているのかまでは情報を持っていない。
しかし――。今日はチャンスが訪れた。
五時間目の社会は、教師の欠席により自習なのだ。したがって、出る必要などない。最悪六時間目に間に合わなくなっても、六時間目は体育だから問題ない。
なによりも、早急にカヲル先輩に近づかないといけない。三人がまとまっている今、何をしでかすか分からないし、あのトラブルメーカーのともちゃんがいるんだ。三人の間でトラブルを起こしたりなんかしたら、いつ解散されるか分かったもんじゃない。
五時間目開始のチャイムが鳴り終わったあたりで、銀色の髪の男子生徒が図書館から出てきた。
不思議な生徒だ。見た目も人形のようで不思議だが、彼が他の生徒と話している姿は見たことがない。当の明美ですら、彼とは一言も話したことがないのだ。
彼の姿を初めて見たのは、始業式の登校日――。
始業式に吹奏楽部の演奏があるため、彼女は少し早く学校へ登校した。桜が満開に花を開かせている正門の通りをぼーっと歩いているときに、彼女は出会った。
片手に白い手紙を持った、銀髪の生徒を――。
彼は学校とは逆の方向へと歩いていき、彼女からどんどんと遠ざかっていった。一瞬、彼女に向かって振り向いたその顔は、ビスクドールのように白くて、整った顔をしていた。
そんな彼が気になってしょうがなくなり、彼女は急いで学校の中へ入り、職員室で銀髪の生徒の名前を先生に問い質した。
彼の名は――、守屋 馨。
彼女はすぐに、アニメのキャラクターを想像した。
――カヲルくんが、現実にいたなんて。
それが彼女の、カヲル先輩を好きになるきっかけだった。
校門を出て、道路一面に広がる桃色の花びらの道を、カヲル先輩はすたすたと歩いていく。その様子を彼女はしっかりと視界の中心に捉えながら、電柱に身を隠す。
五分ほど歩き進んでいくと、急に彼は足を止めた。周りに人の気配はない。
――今こそ、カヲル先輩に気持ちを伝える瞬間なのではないだろうか?
座右の銘が「先手必勝」の彼女は、迷うことを嫌う。だから迷った時は、最初に思ったことを行動に移すのだ。
目の前を車が一台通り過ぎたところで彼女は飛び出す。しかし、彼女は目の前の建物を見た途端、再び影に隠れてしまった。そこに立っていたのは、この中学校の周り四方に建っている、ヤクザのビル――北のビルだったのだ。
――カヲル君は……何者?
疑問を感じつつも、明美は彼の死角から様子を覗き見た。すると建物の中から、白衣の男が現れた。
ヤクザが白衣……?
彼女は疑問に思いつつも、カヲル先輩と白衣の背の低い男の会話をなんとか耳に入れようと、神経を集中させる。
――だが。
「鈴木……明美さん、だね?」
背後から声がした。
誰だろうと振り返ろうとしたその瞬間に、いきなり口元を何かで覆われ――それは軍手をつけた手のひらのようだった――、右腕を掴まれた。ぐいと無理な方向に曲げられ、思わず悲鳴が出そうになるが、口に何か丸めた布のようなものまでつめられ、声を出せなかった。
そのまま彼女のワイシャツは手首から二の腕まで捲くられ、相手は口を押さえていた手を離した。
これで思い切り叫んで助けを呼べる――と思ったが、相手の手が離れた途端に口の中に麻酔を掛けられたような痺れが起き、とても声を出せる状態ではない。どうやらさっき口に無理やりつめられた布に、何か薬が塗られていたようだ。
苦しんでいる彼女をお構いなしに相手は捲くった腕に向かって――。
刺した。
腕に鋭い痛みを感じたと同時に、彼女の体には、快感のような、幸福感のような、今まで感じたことのない感覚が全身にいきわたった。