先輩
※
「ありがとうございました――」
私の体から離れ、月明かりに裸体を照らす彼女は、微笑みながらそう言った。表面上は笑っているが、内面は嫌悪で埋め尽くされているのが見て分かる。――当たり前か。好きでもない男に抱かれて喜ぶ女なんて、いるはずがないだろう。ましてや相手は中年の男だ。商売でもなければ、とても耐えられないはずだ。
それなのに、彼女は涙のひとつも流さずにじっと私の顔を見詰める。
私が彼女を抱いてしまった理由。それは――彼女が美しすぎるからだ。
世の中に美しいと思える女性は、好みにもよるが、ただ一人だけということはまずないだろう。美しいのは顔だけの話ではない。体の美しさ、声の美しさなど、そういう意味では美しくない女性の方が少ないのかもしれない……。
そんな言い方をすると女なら誰でもいいと思われそうだが、私にも好みというものはもちろんある。逆に言えば、好きになれない女性もいる。
ならば――何故、彼女を抱いたのか。
彼女はこの世の女性とは思えないくらい、美しすぎるのだ。
言葉では表現し切れない。彼女は人形のように整った顔に、黄金比に当てて作られたような体をしている。
左右対称の顔に配置された、濡れた宝石のように輝く瞳に、日本人離れした高い鼻。薄い桃色の官能的な唇。その顔に併せて早く成長したような大人びた身体――。
彼女を見て、何も反応しない人はいないはずだ。寧ろ、あまりの美しさに自分の目を疑うかもしれない。
だから――何人もの仲間が、私と同じ過ちを犯してしまうのだ。
「どうか、しましたか……？」
「キミはどうして、そうやって何事もなかったかのように平気でいられるんだ」
「どういう……意味でしょうか？」
「私が最初じゃないんだろう？ 何人もの男に抱かれているはずなのに……どうしてだ？」
「……平気ではありません。何も考えないようにしているだけです。全ては……父への恩返しなのです。私には――この方法でしか父の支えになるようなことは出来ないのですから……。逆に聞きます。あなたはどうして、そこまでして私と寝たのですか？」
彼女はベッドの端へ座り、窓の中に閉じ込められた月を見ながら、背中を向けたまま私に聞いた。
「わからない……。惚れたのは確かだ。君を見て惚れない男なんていない。だからと言って、すぐに抱きたいなんて思うほど性悪なわけでもない。少なくとも私は、だ。しかし――、あいつに誘われた時、私は断れなかった。その先にどんな罰が待っているか分かっているのに、私はこの誘いを受けてしまったのだ……」
「どうして私に惚れたのですか？」
「キミは……美しすぎるからだ」
「皆、同じことを言うのですね」
彼女は小馬鹿にするようにくすくすと笑ってみせた。私は黙って起き上がり、ちょうど彼女の背中と向かい合わせになる位置に腰掛けると、煙草を咥えた。
「あなたたちは、私と一晩過ごすことだけに、何故、地位もお金も投げ出してしまうのですか？」
「キミが……美しすぎるからだ」
はぁ、と彼女はため息をつき、バスローブを羽織って立ち上がった。私は火をつけたばかりの煙草を灰皿に押しつけ、帰ろうとする彼女の肩を乱暴に掴んだ。
「もう一度、もう一度だけでいいから――抱かせてくれないか？」
「……嫌です」
彼女は視線だけを動かして、あせっている私の顔に冷たい視線を向けた。
「私は――顔と身体しか見ない男性は、嫌いです」
彼女は私の手を振り払い、部屋を飛び出していった。
私は、自分で自分を情けなく思ってしまった。
それに対する罰のように、私を始め、彼女を抱いた男たちはある日、一斉に薬物中毒でこの世を去った。