月のあなた 上(3/5)
「え、そいつはなんでまた」
「気持ち悪いんだ。気づけばにやついてこっちを見てるし…。こっちはあいつに付き合ったお陰で一生のイベントに遅刻したのに。避けてるのに。絡もうとしてきてさ…きっとあいつアレだ。美人だから相手になってもらえると思ってるんだ。あー、キモいキモい」
日向は両肘をこすった。
「ナル男…という人種ですわね」
「…ま、あんな美人に生まれたら、分かるかもだけど」
二羽は必死になって主人に詰め寄り、羽根を震わせた。
「おじょうさんも十分可愛いですよ」
「そうですわよ。なんです、ナル男なんて」
「いやふたりとも…そこじゃないんだけど」
やがて西の空はオレンジから朱へ、朱から紫へと移っていった。
「落ちちゃった。かえろ」
日向がランドナーのハンドルに手を掛けた時、カラスが数羽、こちらにやってくるのが見えた。
ギャア、ギャアという、日向には理解できない鳴き声だったが、自分の連れに用事がある事はすぐに見て取れた。
「お客さんみたいね。わたし先にいってるよ」
「それではわたくしも」
「えっ、そりゃまたつれない…すぐ追いつきますんで」
なんでいなんでいおまえら、とナナエはカラスたちの停まる桜の枝へと飛び移って行った。
家に向かい丘の半ばまで登った頃に、ナナエは戻って来た。
「なんだったの?」
興味はなかったが、一応聞いてみてやる。ナナエは目を輝かせた。
「あっ、あっしが途中で抜けてさみしかったですか」
「――」
日向の右腕が動いたと見るや、ナナエは飛び去りかけたが、遅かった。
首根っこをキリキリ締め上げてやる。
「あっ、DV、PTSD、お巡りさん」
「安心して。ナナエは交番に行ったら駆除されるし、児童相談所に行ったらいじめられるから。わー、無駄口をたたくカラスだーあはは」
「そのへんで許してやってくださいましな」
「しょうがないわね」
ぱっと手を離すと、ナナエはこれ見よがしに咳き込む。
「…失礼致しやした」
「わかればいいのよ。で?」
ナナエは珍しく口をつぐんでいたが、やがてこう言った。
「おじょうさんに関して言うと、暫く夜出歩くのは避けて頂いた方がいいようですね」
「べつにそんな癖ないじゃない。母さんじゃあるまいし」
「…まあ、そうですが。…港のほうの話なんですが、ある程度目端の利く鳥や動物が…行方不明になったみたいで」
「行方不明――」
日向は、何年かごとに悪ガキの間で、そしてネットで流行る陰惨な遊びに思い至った。
「わたし、行こうか?」
「ほら! 言ってる傍から。まだ何がおこったか分からねえんですから。交通事故かもしれないし、蒸発かもしれねえ。だいたい、おじょうさんが学校ひけてから、一緒にカラスと話して回るんですか?」
ナナエは一気にまくしたてた。
日向は暫く考える風だったが、やがて納得する。
「…うん。ま、たしかに、わたしが首を突っ込む話じゃないよね」
一同は家に着いた。
すでにキッチンと居間には電気が点いており、穂乃華が夕食を用意しているものと見えた。
日向は、無垢の大木の根元にテオドール二世を寄せ、チェーンを掛ける。
それから、足元の庭に声を掛けた。
「ね、晴れて私も高校生なんだしさ、いい加減子離れして、カラスの親分としての仕事に集中してくれていいよ」
「その、やくざの親分みてえにいうのは、やめてくれませんかね」
「似たようなものじゃない」
日向は自転車の籠から鞄を取り上げて、玄関に向かう。
「日向さま」
ドアを開けようとした時、二羽は声を掛けた。
「なに? 改まって」
「いえ…なにか困ったりしましたら、いつでもあっしらに。この翼は、日向さまのものですんで」
「わかったよ。用事あったら頼むから――ともだちにばれない範囲でね」
日向は片目をつむると、ドアを閉めた。
二羽の黒い鳥は、頷き合い、木の上の巣へ戻って行く。
*
その日ベッドに入った後、日向は携帯を起動してみた。
アプリのアイコンをタップ。〈ともだち〉をタップ。
項目名の下に増えた一行――たった一行――を、まるまる一分、見つめた。
「……」
まだ十時。健全な女子高生なら起きているべき時間帯ではないか?
たとえ街の八割が九時には眠ってしまう田舎だとしても。
「たよりがないのはいいたより、たよりがないのはいいたより…」
トーク画面を起動しつつ呟きながら、スルーに対する心の準備を固める。
画面に〈もう寝ちゃった?〉と〈こんばんは〉が、同時刻で表示された。
作品名:月のあなた 上(3/5) 作家名:熾(おき)