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熾(おき)
熾(おき)
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月のあなた 上(3/5)

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姉妹の朝 Ⅱ



 高い、だが不快ではない電子音が断続的に部屋に響く。
 虎斑の蜘蛛のぬいぐるみを抱きしめていた日向は、しばらく赤子のようにむずがっていたが、やがて布団の中から手を伸ばしてばしり、と時計の隣を叩いた。

「……」

 それからやっと体を起こして宮棚を確認すると、改めて右掌を振り下ろした。
 電子音が止む。
 やがて、ぼやけていた日向の視界の中で、一二宮のデザインを配した茶色の文字盤がはっきりと形を取る。
 長針に顔のある太陽がつけられた中世ヨーロッパ風の時計だが、デジタルチューナーとスヌーズ機能を内蔵したパチもんである。
 日向はしばらく無言でその文字盤を見ていたが、

「よし!」

 布団を跳ね上げ、蜘蛛に腹パンを入れて抛り出した。
 さっとカーテンを開ければ、全身を包む朝の木漏れ日。
 まだあの二羽が来ていないということは、それはつまり、そういうことである。

「うひょー」
 ひなたは文字通り飛び跳ねた。
 飛びはねながら、部屋を出て、階段をかけ下りていく。
 暫くして、

「ひなた、うるさい!」

 穂乃華の声が響き渡った。

 日向は手洗い場から部屋へ戻る。ややしょぼくれて。
 だが、机の上に開いてあった『TPG』のページに『大成功!』の判子が捺されているのを見ると、再び口角が持ち上がる。

「Hey Hey You You I can be your girl friend…」

 一世代前のナンバーを口ずさみながら、携帯を操作してその曲を部屋全体に流す。
 踊りながらパジャマを脱ぎ、

「そりゃー」

 意味なく投げ捨てる。
 そして小躍りしながらブラウスに袖を通し、立てた襟にリボンを巻く。

 なんという清々しい朝だろうか。この余裕! これが大人への一歩という奴か。

 ふと姿見の中の自分と眼があって、日向はリボンを結んでいた手を止めた。
 親指、人差し指、小指を上に立てて鏡に向き合う。

「あたし、よし!」
 パンク風に横舌をはみ出して、ウインク!

「おはようございます」
「い!」

 日向は手を下げると、とっさにスカートを取って腰下を隠し、後ろを振り返った。

「…おじょうさん、そういうことはカーテンをしめてやった方が」
 いつものように、二羽が窓のさんに留まっている。
「そのヘン顔…、しろさまを思い出しますわ…」

 鏡ごしに見えていたようであった。しみじみと語るヤエは、嬉しそうである。

「血ってやつですかねえ」
 ナナエは、残念そうに首を振った。

「――」
 日向はスカートを一旦机に置くと、無言のまま、机の陰に置いてある獲物に手を伸ばす。

「しろさまも、奇矯なふるまいを嬉々としてなさっておられました」
「りっぱな変態でいらっしゃいやしたねえ…ってうお、逃げろヤエ!」

 一気に窓を開けた半裸の日向が後ろ手に隠し持っていたのは、竹刀である。

「ごめんあそばせ!」
「亭主を踏み台にするな…げぇ!」

 突き一閃。
 ヤエは樹の梢へ逃げ、ナナエは喉が詰まったような声を出したまま、真っ逆様に落ちて行った。

  *

「今日は、随分はやいな」

 台所に入ると、エプロン姿の穂乃華が、卵二つを握ったまま言った。

「ふ、姉君。成長したのだよ、わたしは」

 日向は澄ました顔で、自分の席に通学鞄を置く。

「――」

 片手で殻を割って中身を落とすと、白身と油の接触面から水分が蒸発する。その煙を背に、姉は振り返った。
 目を眇めてまず頭のてっぺんを、それからB、W、Hと見て、

「へえ」
「ひどくない?!」

 前のめりの抗議をよそに、フライパンに振り返り、湯を差し、蓋をする。

「早起きできた時間を、洗濯にでも当ててくれれば評価のしようがあるんだがな」
「む」

 トースターにパンを入れようとしていた日向は、喉が詰まったように黙る。
 確かに、早く回せばそれだけ早く干すことができる。それは、基本的に昼夜が逆転している姉が、早く眠れるということだった。
 日向がそこまで思い至ったと知ってか、穂乃華はフォローを入れた。

「まあ夜米研ぎ、炊飯予約とポットの補充をしといてくれるのは、助かってるけどね」
「わたしだって、もっと家事したいんだよ――お姉が、だいどこに立たしてくれないんじゃない」
「だってひなは刃物だめだろ。火は、私の方が経済的だからな」

 穂乃華は言って、またフライパンに振り返った。蓋を取り、焼き加減を確かめると、フライ返しで二つに切る。
 一つずつ、既に野菜とウインナーが並んでいる皿の上に乗せる。

「さ、出来た。さっさと食べよう。今日は買い出しに行けるしな」

 日向は云われて、空が曇って来ていることに気づいた。
 姉は、母の様に極端に日光が苦手なわけではないが、ある理由から、人前に出ようとしない。

 海外大学院のカンファレンス講座を取っていることもあり、夕方から夜にかけてが、メインの活動時間だ。
 それは、いみじくも朝娘たちに「おはよう」と言ってから床に就いた、晩年の母と同じ生活パターンだった。

「あ…」

 すると姉は今日、ほぼ徹夜になるのではないか。

「ん? 何か買ってきてほしいの?」
「ううん、その、大丈夫? 大学院」

「ネットにつないでさえいれば、最悪カメラの前で寝てても単位は取れる。…ほら、お弁当」
 穂乃華は、あらかじめ準備していた弁当の包みを机に置くと、自分の席に座る。

「ありがと…」

 日向も椅子を引いて席に着く。二人は手を合わせて食事を始めた。

「あのさ…お姉、わたし、お弁当くらい自分でつくるよ。ご飯炊くのもできるし、ともだちのお弁当見たら、冷凍食品にもわりとおいしいのがあってさ…」
「私の料理が不満か?」

 真正面から聞かれて、日向は首を大きく振った。

「ううん! そんなわけじゃ」
「じゃあ高校卒業までは作らせろ」

 穂乃華はトーストにマーガリンを塗って、さくりとかじった。
 日向は胸の中を温かくしながらも、そんな瞬間が照れくさくなって、言葉を探す。
 姉の使い終わったマーガリンに手を伸ばしながら、
「……あ、あのさ、今度の担任、なんか変な人で」
 お姉ちゃんにちょっと似てるんだ。
「ふぉーん」
 穂乃華はトーストをくわえたまま、タブレット画面を白い指で触れる。

「吉田っていうんだけどさ」

 スライドさせようとした途中で、その指先が止まる。
 日向は、マーガリンを塗りながら話し続けた。

「なんかすごい意地悪なひとなんだけど、ほんとは優しいひとかもしれないんだよね」
 ね、似てるでしょ。

「――」

 穂乃華はごくりとトーストを嚥下した。その顔が厳しいものになっている。だが、
「お姉?」
 日向が顔を上げた時には、平坦な表情に戻っていた。

「ほんとは優しいだなんて、騙される女の典型的な台詞だぞ。やめとけそんな男。関わるな」

 鼻で笑いながら、さっさっ、と画面をスライドして行く。
「え、あ――うん」
「ほら、はやくたべろ。話し過ぎてると、また時間が無くなるぞ」
「あ、ほんとだ!」

  *
 
「いってきまーす」
「いってきな」
玄関を閉じた後、日向はテオドール二世のロックを外し、サドルに跨った。