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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 上(2/5)

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 前に出るのだって、先生に従う意思を見せるため。
 それで隣の席の紅い瞳の女の子のことを、みんなが忘れる。
 それが普通。
 あたりまえのことを、普通にやるんだ。
 普通の。

 その、羽根が付いているかのように、真っ直ぐ伸びた、前へすすむ背中。

(ふつうの――)
 蜜柑の手はチョークを掴んでいた。
 小学校以来の、石灰の手触りだ。
 太古の海の生き物の骨と殻だ。
 人はきっと地球上ではじめて、壁に石で描いた動物だ。
 蜜柑は、中学の教科書に載っていた壁画を思い出した。
 何を言おうとして?

  僕たちには手があった。
  僕たちには声があった。
  ぼくたちは
  ぼくは ここにいるよ

 わたしはどこにいるの? 
 心の中に昨日の、今朝の、両親との会話が甦った。
 本当に必要な重要なことは何一つ言わなかった。
 その前の日も、その前の前の日も。
 その前の日もずっと。
 声があるのに。
 言葉が話せるのに。
 いやだともやめてとも言わないかわりに、ありがとうとごめんなさいも忘れていた。
 わたしはここにいるのに。
 普通の。
 素通りして
(知るか。)
 知るか知るか知るか知るか知るか―――!
 手首は自然に上がり、かっと小さな欠片を零して、チョークは滑り始めた。

 そして筆記具は、世界に文字が生まれた時、家族に子供が生まれた時、そして己の誇りを込めた仕事を終えた人間によって、必ず行われた行為の助けとなった。
 四文字を背に負って、蜜柑はクラスを振り向く。
「大甘、蜜柑です! 実家はパン屋です! 本が好きです、どうぞよろしく!」 
 それだけの事を言い切るのに、まるで何分も息継ぎなしで、泳ぎ切った様な苦しさを感じていた。

 頭は熱く、肩で息をしていた。
 教室を見渡すと、クラスメートは全員又呆然としている。
 日向もまた、驚いた顔で自分を見ている。
(だめ、かな――)
 時が止まったようなクラスの雰囲気で頭が真っ白になったとき、

「ええ名前やなあ! いい自己紹介やったなあ! 二人とも、ええぞ!」
 ぱんぱんぱん、と拍手の音が響いた。
「健吾君」
 蜜柑はやっとそこで息が吐けた。
 健吾は大げさな拍手を続ける。
 それに合わせて、その前の席の祇居も拍手を始めた。
 やがて、最前列のベリーショートの少女と、その後ろに座っている長髪の少女。
「あ」
 クラスのそこかしこから、ぱらぱらと拍手が起こる中、蜜柑は小走りに席に戻って行った。
 隣の席の日向と目が合うと、瞳が潤んでいたようで、でもすぐに顔をそっぽを向いてしまって、ここで、拍手が大きくなった。

 蜜柑と日向が照れていると、吉田が立ち上がり、とりわけ大きな拍手を三回叩いた。
「はい、はい…。なんだか知らんがよかったよかった。次の人ー、どうぞ」
「は、はい」
 次の男子はそのまま席に立って自己紹介をしたが、その声は落ち着いていて、聞く側の拍手も自然なものになっていた。
 もうちょっとゆるくやったって、いいじゃん?
 空気自体を閉じ込めていた何かは、壊れていた。 

 そして健吾の番となると、中学のころから磨いてきたお笑いのワザで、クラスの雰囲気はさらに暖まった。蜜柑は自分の幼なじみが目立ちすぎているのを見て、次の人に迷惑じゃないかと自分を棚に上げて思ったが、それは気の回し過ぎであった。次の自己紹介者は前が誰であろうと持って行っただろうと、クラスの誰もが思った。

 その生徒は持っていくもいかないも、元々考える必要が無い人間だった。
 席を立った瞬間からあらゆる私語が収まり始め、黒板に名前を書きはじめたときには、完全な静寂が教室を支配していた。
 彼が長い髪を翻して振り向いた瞬間に、それはため息へとかわる。
「水凪、祇居です」  

 そうだ、最初のは見間違いではなかった。
 この、とんでもなく性別不明の同級生が、自分のクラスにいるのである。

「大狛犬おおこまいぬ一中から来ました。好きなものは、スポーツと自然です。前の学校では、主に武道系の部活に所属していましたが、高校では文化部に入ろうかと思っています」

 スポーツと自然ですか、そうですか。
 文武両道なんですね、わかります。
 美声のアルトに耳をくすぐられ、クラスメートは言われた内容をするりと受け入れた。
 それだけ少年の纏う雰囲気は清涼だった。

「これから三年間、どうぞ宜しくお願いします」

 お辞儀までが、美しく清楚であった。
 こちらこそ――。
 クラスの半分が、自動的に頭を下げ返す。
 祇居が静かに教卓から離れかけた時、差し迫った感情に押されて一人の女子が手を挙げた。
「あの…、水凪君って、男子、ですよね」

 その瞬間クラスに、ただならぬ緊張が走った。
 いいえと言えばこいつは嘘つきだ。
 はいといえば、それは現実の破壊だ。

「はい」
 祇居は穏やかな微笑を浮かべる。
 瞬間、女子からは黄色いため息が、男子からは怨嗟と落胆の混じった唸り声が漏れ、誰かがくやしげに机を叩いた。
 ただ一人日向だけが、
「フン」
 と鼻を鳴らしそっぽを向いていた。 

  *

 自己紹介が終わった後は、係決めとなった。
 吉田は基本的に感情を表に出さない教師らしく、淡々と議事を進めていく。
「続いて、学級委員を決める。男女一人ずつだ。立候補は挙手を」
「はい!」
 日向の手が、真っ直ぐ伸びた。もう完全に、その体のどこも震えていない。
「月待。…えー、理由は?」
「はい、わたし中学の後半は…留学もあったし、ちゃんと日本の学校に通えていなかったんです。だから、高校生活は、ちゃんとクラスのみんなと過ごしたいんです。だから、少しでもみんなの手伝いがしたいと思って」

 しっかりと用意されてきた答えだった。
 立ち上がった日向を見上げて、蜜柑はそっか、と思った。
 この子は決めて来たんだ。
 ひとりの時間で、いろんなことを考えて、決めて、そしてここに来たんだ。
 なんだかくやしかった。
(でも、いやなくやしさじゃない。)

「オーケー。月待、座ってくれ」
 この担任が今度は何をいうかとどこかで警戒していたクラスは、やや拍子抜けした。
 日向もまた、不思議そうな顔のまま座る。
「女子、他に立候補は…ないな。月待に決定。よろしく」
「は、はい。よろしくおねがいします」
 意外な展開だ、と日向は思った。
 この担任、偏屈なだけで意外と良いヒトなのかしら? お姉みたいに。
 そう思ってみると、なかなか男前に見えて来るから不思議である。
 吉田は淡々とタブレットを捜査している。そのディスプレイは共有モードになっており、各自のタブレットの上にも表示されている。
 〈クラス委員(女子)〉の役職名と並んだ空白セルに、「月待日向」の四文字が追加、保存された。

(まいっか! 結果オーライ!)
 わが『TPG』に、ついに成功の判子が捺せる!
 この〈幹事的なポジションに就く〉というワザは、『ともだちをつくろう!(MHK青年文庫)』なる啓発本から取って来たものであった。他にも『TPG』には何冊ものネタ本があり、そう、〈味方は意外と近くに居る〉というのも、そんなネタ本で見つけた一行だ。