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熾(おき)
熾(おき)
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月のあなた 上(2/5)

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一年目 一日目



 月待日向は、赤い瞳の目を覚ました。
 だがすぐに、布団を頭の上までかぶり直した。
 そして布団の中でうつぶせに姿勢を変え、枕を抱きしめた。 

 やがて、ごつごつごつ、と窓ガラスのつつかれる音がする。
 日向は頭に布団を被ったままで、もぞもぞ体を移動させると、片手だけを出していきおいよく、カーテンの上から窓ガラスを叩き返した。
 ばさばさばさ、と二羽の鳥が逃げる音が聞こえた。

「――」

 日向は再びカメが甲羅にこもるように、手を布団の中にひっこめ、ベッドの上で饅頭状にまるくなった。
 叩かれた拍子に少し開いたカーテンから、朝の光が射しこむ。
 太陽の光は、学習机の上に届いて、開かれた儘のノートを照らしていた。

 それは『TPG』と題されたノートである。
 投げ出されたような格好で、斜めになって開かれている。
 ページ上部には『二人乗り』との章名が記され、そしてその名前の上から被さる様に、朱色でもってでかでかと、飛沫がほとばしるほど強く、長方形の印が押されていた。

『失敗』

 よくみれば、ページの下や右端に『失』の左の方だけであるとか、上の方に傾いた『敗』の右端であるとか、その他、机の上にまで『失敗』印が押されている。
 それは、少女の理性を司り印を押さんとする一方の手と、感情を司り断固阻止せんとするもう一方の手が、激突した痕であった。

 当の日向は、もろもろのダメージから回復できていないらしく、放っておけばいつまでもひきこもり饅頭と化して居そうであった。
 だが、そこへ定例にして最後の日向起動スイッチである、姉の怒号が響いた。
「くぉらひなー! いつまで寝てるつもりだ―! フレンチトースト・ア・ラ・オノカの賞味期限は三十秒だ! はいできた今できた二十九、二十八」

 この姉が三十秒と言えばそれは三十秒である。
 つまり千八百フレームだ。
 遅刻は、コンマ一秒たりとも容赦してもらえない。
 よって、カウントが二十秒を切ったところで、日向は枕を抱きしめて布団を体に巻き付けた状態のまま体を起こし、そのまま飛び跳ねるように部屋を出て廊下を渡り、階段の踊り場部分で横倒しになるとぐらり、と階段側へ傾いて、「ギュウ」「ブウ」と転がり落ちた。

 階段の下には饅頭型クッションが二つ控えており、ロールケーキ状の日向の衝突を受け止める。
 そのまましゃくとり式屈伸運動でキッチンまで行こうかと日向は考えたが、
「ごびょーう!」
 の掛け声を聞いて、あっさりと放棄した。
 さなぎを解くと、パジャマ姿で枕を抱えたままキッチンへ入って行く。

 四人掛けのテーブルには、二人分の朝食が湯気を立てていた。

「…おねえちゃん、おはよー」
 穂乃華は例によって、ワイシャツ、スラックス、人参エプロンといういでたちである。だがそんな素っ気ない姿にもかかわらず色香がにじみ出ている。 
「おー……あん? なんでおまぁはまたパジャマのまんまなの? 今日初日じゃなかったっけ?」
 それを知ってか知らずか、言葉遣いは非常におおざっぱだ。
 フライパンを洗う手を止めて振り返った穂乃華は、眉を顰めている。
「昨日が初日だよ、入学式は昨日」

 日向はいいながら席に着き、枕に顔をうずめた。
「だから今日が初日なんじゃないか。なにをいっているのかね」
「そうなの?」
 日向は枕から顔を上げて、姉を見た。
「そりゃそうよ」
 日向は枕を抛り出すと、穂乃華に飛びついて、見上げた。

「わたし、昨日、入学式最後の十分しかいられなかったの…だから、わたしでだしを、しくじったのかなって…」 
「はあぁ? 入学式なんて大人のためにやってあげてるもんでしょ。大事なのは、クラスの人間とか。担任――はどうでもいいか。とにかく、これから一年続いて行く今日が、大事なんじゃないの」
「これから、一年続いて行く今日――」
 姉の言葉に、日向はみるみる表情を明るくして行った。
「そう…そうだよね!」

 日向は両拳を胸の前で握りしめると、早速冷蔵庫を開けて、レモン水の入ったデカンタを取り出した。
 穂乃華は、それを見て静かに目を細めた。 

 
 そうして日向は、一学期初日に遅刻することなく、セカンドベストくらいの身繕いで、校門までやって来ることが出来た。
 アプローチの先にある白い塔――校舎本棟を見上げ、決意を新たにする。
 自転車を降りて前後左右を振り返り、更に上空を見上げ、袴姿の生物や、カラスに似た生物などの障害物がいない事を確認する。
「よし。進撃を開始する」
 愛機テオドール二世のハンドルを引きつつ、一歩一歩進む日向。

 桜並木のアプローチを進んで行くと、段々と学校全体の輪郭が見えてくる。
 敷地は運動場兼競技場を含めて約五平方キロという広大さ。
 八階建ての円楼である本棟の斜め後ろには、箱型四階建ての科学研究棟が立つ。更にその東に向かって、温室、日本庭園と小さな神社、さらに小規模ながら市民共用の劇場までがある。
 また、本棟から西側はスポーツエリアとでもいうべき空間で、本棟の隣から数えて体育館、武道館、駐車場と続く。その手前にあるのは、巨大な陸上用トラックとサッカーのピッチ等を含めた競技場。さらに競技場の西側に、フェンスで囲った野球場が建設されていた。

 皆美蒼穹学園は六年前に建設されたばかりであり、教育界全般にまだプレザンスは高くないが、そのユニークな教育方針と、充実した環境によって受験生からの視線は年々熱くなっている。
 従い偏差値の上でも、超難関とは云わないまでも、決して生ぬるい高校ではないのだ。とりわけ、在学中の学費と大学受験費用(又は就職活動費用)の全面援助を得られる特待生枠には、全国級の受験生がやって来ると言われている。

 日向はそんなトップレベルなどではなくむしろ逆側の枠に引っかかって入ったようなものだったが、校門をくぐった瞬間自分がその全国級と同等であるような気がしてくる。日向は桜並木を他の生徒に混じって歩きながら、新しい環境への期待感を味わっていた。
 やがて、本棟の入り口が目の前に現れた。
 聖堂のファザードを思わせる、荘重で清潔なつくりの大門。
 その下を行き交う同級生や先輩は、みな容姿端麗で眉目秀麗、品行方正で文武両道であるように見えた。
 そして自分も、人からはそう見えているに違いない。

「ふっ…翼よ。あれがパリの灯だ」
 愛機に向かって、全く関係が無い伝説の台詞を呟く。
 入口の手前を折れて自転車置き場へ至る道に差し掛かったとき、なにやら前方が妙な様子になっていた。
 自分と同じように自転車を止めに行く一、二年の生徒と、止めて校舎へと戻る生徒の流れ。その流れが一様にある地点で、一旦立ち止まって一方向を見て、ため息を吐き、囁き合い、それから少しして歩き出すのだ。

 日向とすれ違いに、何人かのコメントが聴こえる。
「……おいあれ、まっじやべえよな」
「いやっ…あれは、なんつーかショックだよな」
「あさからいいのみちゃったねー♡」
「ねー☆ すごーいきれー…」
「……」
 浮ついた空気とすれ違いながら、嫌な予感に眉を顰める。
 桜は、円形の校舎に沿ってカーブする路の左側に並んでいる。