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熾(おき)
熾(おき)
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月のあなた 上(2/5)

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円空庭園


 
 休み時間となり吉田がクラスから姿を消した後、日向と蜜柑がやったことはまったく同じだった。隣の席の子に、声を掛けたのである。
「ねえ!」
「あの!」
 まったく同じだった。声を掛けるタイミングも、その大きさも、表情も。
「――」
「――」
 目から伝えられる情報が、十の言葉を省いた。
「わたし、月待日向、ひなって呼んで!」
「わたし、大甘蜜柑、みかんでいいよ!」
 その瞬間に二人は友人になった。
 ずっと前から友人だった気がした。
 いま、やっと出会えたのだと思った。
 
 その後も授業では様々なガイダンスが行われ、やがて昼休みとなる。
 昼食の選択肢には、購買部のパン、学生食堂などもあったが、日向も蜜柑も弁当派であり、中庭のベンチで食べる事に一決した。
 見上げてみれば、不思議な光景だった。
 円筒形の建物の中庭は、当然円形である。
 一階はエントランスと、クリスタルガラス張りの柱廊と、この中庭。
 二階から四階までは順に一年、二年、三年の各教室が輪切りのパイナップル状に配置され、円い廊下を行き交う生徒が壁と手すりの向こうに見える。
 五階から七階は図書館部分であり、手すりに全て、草の蔦が絡みついているのが見えた。蔦は、葉を茂らせて、思い思いに太陽の光に掌を拡げている。
 最上階である八階が職員室であり、この手すりには一体型となった逆三角形のポットが、凡そ百を超えて接合されており、そこに季節の花が色とりどりに植えられている。それらの上には、ぽっかりと円く切り取られた青い空と、流れゆく雲。

 見上げ疲れた首を戻せば、白いプラスチックの鉢植えが並ぶ花壇と、モザイクタイルの床。だがタイル地になっているのは中庭の外周部分だけであり、円の中心部は強化ガラスによって広く覆われていた。
 ガラスの下にあるのは、宇宙に浮かぶ地球を描いた絵である。
 それは緻密で、静謐で、どこか優しい寂寥感を誘う、星の海のはずれに浮かぶ星だった。
 今も四階の廊下から、一年生の何人かが珍しげにこの絵を見下ろしている。その高さから見ると、この地球は今にも回り出しそうに見えるからだ。

「ひなちゃんのお弁当、おかずが全部手作りなんだねえ、いいなあ」
「時々失敗してるんだけどね。ウチのお姉ちゃん、弁当箱の中を実験室か何かと勘違いしてるんだ」
 そんな風景の端で日向と蜜柑は、和気あいあいと食い気に囚われていた。
「お姉ちゃんがつくってくれてるの! すごいね! 何してる人なの?」
「大学生だよ。あ、いや、今年から院生」
「えー、すごいなあ。うちなんて、お弁当は半分昨日の晩御飯だし、もう半分は冷凍食品。生意気な弟が一人いるだけ」
「うん、でも、そのお弁当もすごくおいしそう!」
 日向はあけすけな笑顔で言った。
 蜜柑は、その直球のリアクションに戸惑う。
「そ、そりゃおいしくないんじゃないけど…」

 そして事実、母親のつくってくれるお弁当はおいしいのである。
 晩御飯の残りとは言っても、パン屋の常で朝は忙しい為に、いつも夕飯を作る際に弁当のおかずまで含めてしまうだけの事だ。それに野菜やフルーツは、朝食と一緒に仕込んでくれる。
「毎日おなじものをたべてる気分っていうか…」
「毎日食べられるものをつくれるほうが偉いって」
 蜜柑は一瞬言葉を失って日向を見た。
 この子は、裏返った言葉の向きを直してくれる。 
「――うん」 
 蜜柑は、恥ずかしくなって下を向いた。
 暫く、無言で弁当箱をつつく。
 何か言わなければ。

「…日向って、いいなまえだね。ひなちゃんに…ぴったり」
 すると目の前の少女は、名前の通り明るくなった。
「ありがとう! お母さんがつけてくれたんだ。いつもお日様が当たっているようにって」
「ひなちゃんのお母さん、何してるひとなの?」
 すると日向は蜜柑から目を逸らし、弁当を見つめた。
「…お母さんは、亡くなっちゃったよ。小学校のとき。病気にかかって」
 蜜柑は息を呑んで、頭を下げた。
「ご、ごめん!」
「え、い、いいよ! そんなあやまることじゃ…」
「あの、でも…ごめんなさい」

「いいって」
 いつまでも頭を上げない相手を見て、日向は心が軽くなった。こんなにも簡単に母の死を打ち明ける事が出来たのは、初めてだった。
(みかんちゃんのお母さんも、きっといい人なんだろうな。)
「蜜柑っていう名前も素敵だよね。お母さんがつけてくれたの?」
 蜜柑は顔を上げて、微妙な顔をした。
「うーん…あの、両親二人で相談の末…」

 バカ親父が甘いものの名前にしようとか言いだして、母さんが安易に乗っかった。
 そのせいで、娘が何を言われることになるかも知らずに。
「良い名前だよね」
「そんなことないよ」
 ひなちゃんまでやめてよ、そんな社交辞令。冗談みたいな名前って思ってるんでしょ。
「冬のくだもの。わたし、大好きなんだ」
「…え?」
 問い返した蜜柑を、日向は寧ろ不思議そうに見返した。

「だって、秋にはなんでも実を付けるけどさ、夏でも。冬になったら何もなくなっちゃう。だけどミカンだけは、コタツの上に乗っかってて、冬のあいだじゅう、いつも甘くておいしいの」
 冬の果実。
 他より一歩遅れてくる。だけど、他に無いものを与えてくれる。
「……考えたことなかった」
 そんなふうに。
 この子天才だ。
 わたし、馬鹿だ。
「え…? みかんちゃんどうしたの? ごめん! なんか気に障ること言った?」
 蜜柑は頭を振ると、目を拭きはらった。
「ううん。そんなことない」

 そして、脇に置いてある紙袋を取り上げた。 
「あ、…あのさ、うちパン屋なんだけど、一個食べない?」
「ほんと? うん食べる食べる!」
 蜜柑が紙袋を開けると、中には個包装の袋が二つ入っていた。
 蜜柑は包みを開けた。三つの袋のいずれにも、虹色でペインティングされた犬のマークが入っており、口からの吹き出しに〈AMA!〉のロゴが入っている。
「かわいー」
 紙袋を開けた瞬間、甘く香ばしいパンの香りが漂った。
(こんな子供っぽいもの…)
 まるっこいパンのつぶらな瞳を見て一瞬、蜜柑は不安になった。
「あ――」
 日向はそれを見て、言葉を失った。

「あんこパンマン」
 手の中の円い物体を見つめる。まるで、きのうの夢が現実になったようだ。
「うん、そうだけど…」
「すごい…! わたしもこれ、すきなんだ」
 わたしの、お母さんも。

「そうなんだ。…ま、パン屋の定番だよね」
 意外な好感触。
 蜜柑は、そっけない表情を装いつつ、安堵と共に父親のパンにかぶりついた。

 美味い。表面の卵白のつるりとした焼け具合と、ふわふわしっとりとした中の生地、そして和菓子屋と共同開発した秘伝の餡とクリームが、瑞々しくかつしつこくなく、喉を撫でながら滑り落ちていく感じ。余韻には、桜酒のフレグランス。
「おいしー! なにこれ、ほっぺのふくらみまであんがはいってるんだけど!」
 日向がはしゃいだ。
 蜜柑は、ぼんやりそれを見ていた。
「おいしーよー、むぐむぐむぐ…」
 だが呑み込んだ直ぐ後に、日向の表情が消えた。
「ひなちゃん?」
 日向は中庭の反対方向を見ている。
 いや、睨んでいる。