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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 上(1/5)

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黄色いバスを追え!


   
 日向は必死だった。
 祇居は、それ以上に必死だった。

 前を飛ぶ黒い鳥がスピードを上げるにつれテオドール二世もスピードを上げ、黒い鳥が曲がる所で、曲がる。

 途中には、どう考えてもご近所でない限り行き止まりとしか思えないかぎ型の道や、からの一直線の芝生の下り坂、さらに坂が終わった直後現れた(よって回避不能であった)人家まる一個分の落差に、その崖からジャンプしたランドナーを何が起こったのか日向の頭が把握できない内に受け止めたラフティング用ゴムボートを満載したトラックであるとか、ボートからバウンドした先でほぼ直線上につながっていた住宅街の塀であるとか、塀の先に誰かがくっつけた滑り台、滑り台の先で衝撃を吸収した小さな砂場などが--あった。

 砂場は、児童公園の一部だった。

 ブランコやジャングルジムで遊んでいた数人の子供が、目を丸くして、突然あらわれた自転車の方を見ている。

「――」
「――」

 だが、自転車の二人がそれらに何かの感想を抱く前に、事態は展開した。

「バスが――」

 公園の入り口にあるバス停に、あの黄色いバスが見えたのだ。
 そしてそれは、二人の目の前で動き出した。

「いったん降りて! ――乗って!」
 すぐに砂場からテオドール二世を出すと向きを変え、祇居が乗るや日向は、完全に周囲の目を忘れてペダルを踏んだ。
 水のように砂が後ろに跳ね上げられ、一気に車体が前へ放たれる。

 すげー、とブランコから見ていた子供が呟いた。 

  *

 スケート選手のようにカーブを描いて、ランドナーは公園から道路へ滑り出した。
 完全に平らな幅の広い道路に出た自転車は、時速五十キロを超えている。
 この時丁度信号が〈黄〉に変わった瞬間に交差点に入ったバスの運転手は、サイドミラーを見た。

「?」

 そしてスピードメーターを見てから、サイドミラーを二度見した。
 そこには、バスを猛追してくる自転車に乗ったブレザーとリボンの女子高生、その後ろには袴姿の少女が映っていた。

「――」
 
 運転手は胸騒ぎを覚えたが、すぐ後で、その姿は消えていた。
 首をかしげ、そのままバスを走らせる。

「あーっ!」

 日向は言いながら、思い切りブレーキを掛けた。
 テオドール二世は両輪から煙を上げ、アスファルトに黒い轍を残しながら停車線ぎりぎりで止まった。

 目の前の横断歩道を、幼稚園らしき黄色い帽子の行列が歩いて行く。

「どこかで、また止まってくれればいいんですが…」

 祇居が苦しそうに言う。

「うう」

 頭を掻きむしる日向に、脇の電信柱の上から声が降ってきた。
「日向様、右に曲がりましょう。やっこさんの先はかまぼこ型のカーブになってるんで、先で掴まえられます」

「あ、またあの鳥で」

 祇居が言いかけると、
「ソウダー! このさきのみちは、Dの字に曲がってるんだったッ!」
「えっ?」

 突然日向が叫び、右にハンドルを切ってこぎ出した。

 そしてしばらく行った先で、本当に左脇の道からバスが合流して来た。

 祇居は感動で震えた。
「ほんとうだ! すごいです!」
「まかせてッ!」

 周りの風景は、駅前周辺に至る住宅街に入ろうとしていた。
 この時市営バスと、テオドール二世の車間約三十メートル。
 祇居の眼に、やっとバスの後部座席の窓が見えてきた。

「まずい――凛の姿が見えない」

 妹の性格であれば、自分の姿がもう一度見えるまで同じ場所から離れないはずだ。

(それさえもできなくなっているという事は――)

 祇居は、寒気に震えた。

  *

 信号でもあれば、今度こそ二人はバスに追い付ける筈であった。
 だが間の悪い事に、その後三分近くは直線道路で信号は青が続いた。
 
 日向の脚にも、流石に乳酸が溜まり始める。
 バスと自転車との距離は、一時よりも開き始めていた。

(息が切れたのなんて、久しぶりだな…。)

 だが、そんな日向の視界の先に、一つの可能性が開けてくる。
 駅に近づくにつれ道は本格的に拡がって、今や分離帯を挟んだ片側二車線のものとなっていた。
 その外側にあるのはアーケードの歩道と、その奥に立ち並ぶ大小の商店街だ。
 やがて道の先に、ひときわ大きな白いビルが〈MR〉のロゴを掲げてそびえ立つ。

(駅前のロータリー。)

 桜垣駅前のロータリーは、上から見れば、三本しか足がないタコの様な形をしている。
 そこへ向かう以上、バスは間違いなくタコの頭をぐるりと回って、途中で客の乗り降りを済ませた後、三本足のどれかに戻る事になる。

「つぎ逃したら間に合わない! 近づいたら大声で叫んで!」

 日向は思い切り腰を浮かせ、鳥の様に頭と腰を水平にした。そして、疲れ切った両足をもう一度ペダルに叩き付ける。
 日向のスカートが広がって首元まで来たとき、祇居は仰け反って顔を背けた。
 その頬は、少し赤くなっている。

 やがて再び、二人の視界の先に市営バスの車体が見えた。ちょうど、ロータリーにある停留所の一つで止まっていたのだった。

(間に合った!)

 そう思った時。
 テオドール二世の前輪数メートル先に、アーケード側から、小さな女の子が飛び出して来た。

「あ!」
 日向はとっさに、強く握りしめていたハンドルを右に切った。

 車道の脇を走っていたランドナーは急な軌道変更を加えられ、バランスを崩しながら車道側へほぼ四十五度折れる。
 勢いのついたまま、自転車は中央分離帯の縁石と植木に激突し――

 二人は、空中に投げ出された。 

 最後の力を振り絞っていた日向は、突然の連続になすすべなく空中に舞っていた。
 とっさに目を瞑り、身体を縮めるのが精いっぱいだった。
 暗闇の中で誰かに肩を掴まれたと思った直後、強い衝撃が全身を襲っていた。

「うー…?」

 日向が呻きつつ片目を開くと、横倒しになった道路と、その先の分離帯の植え込みが見えた。
 植え込みの向こうから、女の子のものと思しき泣き声が響いてくる。

(ぶじなんだ…よかった…)

 私は…?
 日向は恐る恐る、自分の身体を動かした。だが、意外な事に擦り傷一つ無い。

「大丈夫ですか?」

 耳の後ろで、男の子のような声がした。
「ええと…」
 背中に当たっているのは、かなりしっかりとした誰かの胸板。
「腰や頭は打っていないようですね。立てますか?」
 両肩を掴まれる感触。
 それは確かに学校を出発するときと同じもので。

 日向はアスファルトの上に起こされ、視界が九十度回転した。
 斜め上から覗き込んでくる、袴少女の微笑み。

「ケガはないみたいですね。よかった」 
「腰が抜けてる…」
 日向は上を向いたまま、正直に言った。 

「巻き込んでしまって、すみませんでした」

 袴を着たその子は、謝りながらも、素晴らしい笑顔を見せた。
 うらおもてのない、光がこぼれてくるような笑顔。

(あ――)

 だが、見惚れている間にすぐ背を向けると、道路の脇から中側へと歩いて行く。
 そして両手を拡げた。

 日向が、まだ転倒のショックが抜けきらないまま、その子の向いている方向――向かって右を見たその時。
作品名:月のあなた 上(1/5) 作家名:熾(おき)