アザーウェイズ
「あのときはほぼロシア軍と言ってもいい武装勢力がじわじわと勢力を広げ、いつの間にか議会を占拠するまでに至った。そして決定的なロシア軍の軍事介入だ。同じようなことをウクライナ東部でも繰り広げ、危うくロシア領土になりかけた。同じ頃、南沙諸島で中国軍が軍事力でフィリピンやベトナムの船を一切近づけないようにしてから、海を埋め立てて飛行場を建設している。そういった歴史を知ってれば、中国が侵入を繰り返し、そのうち四国を占領する可能性がないでもないわけだ。なにしろ何兆という額が注ぎ込まれたエイワース施設が四国にあるんだからな」
「やはりエイワース目的ですか?」
「うむ。資源のない日本は戦後技術開発に邁進し続け、一次産業ではうなぎからまぐろまでの多品種の完全養殖や野菜の屋内栽培、二次産業では自動車やロボットに代表される工業製品を経済の柱に据えて世界をリードしてきたが、、今後数十年の経済的優位を目論んだ最後の切り札が、このエイワースだ。これを奪取するためには上陸もしかねん」
「本当ですか? 信じられません」
女性隊員の言葉に、古城戸は手馴れたように言葉を返す。
「それは平和ボケの一種だな。まあ戦後八〇年戦争していなければ無理からぬことだし、わたしもそのひとりだが……水、食料、エネルギー、地下資源という世界でもっとも必要とされる要素のなかで二つが得られるんだ。侵略してでも得ようとしてもおかしくない。妄想と思うか?」
「あはは……若干……」
女性隊員は苦笑している。
「仕方がないか……」
古城戸から大きくため息が洩れる。
「あ、でも奪われたくなければ壊せばいいんじゃないですか?」
「数兆という膨大な金額をつぎ込んだのをそうやすやすと壊せるか。その前になんとしても国土に侵入させなければよい。ただそれだけの話しだし、それが我々自衛官の仕事だ」
古城戸は最後の言葉を、静かに、且つ重く発音した。
†
第四一普通科直接支援中隊、通称四一DS。
この中隊は、普通科部隊で使われる中小型の装甲車や機動車または高度に電子化された通信機能を持つ指揮通信車、最近では先進個人装備システム(ACIES)通称エイシスの整備を任務としていた。
理斗は善通寺駐屯地に着くと、真っ直ぐに四一DSの中隊本部に挨拶するべく建物に入った。そして近くにいた隊員に、
「すみません、本日四一DSに転任になった洞見一曹というものですが、中隊本部はどこでしょうか?」
と、中隊本部の部屋を訊ねたときだった。
「貴様かっ! 洞見理斗一曹というのはっ!!」
突如、怒声にも近い響きが後方からした。それも理斗の眼の前の隊員が「ひっ」と身を屈めるほどだった。
声がした建物入り口へ視線を遣れば、女性隊員が仁王立ちしている。
「はいっ! 本日第四一普通科直接支援中隊に異動となりました洞見理斗一曹でありますっ。武藤中隊長でいらっしゃいますかっ」
問わずとも一目瞭然だった。威風堂々とした雰囲気が遠くからでも漂ってくる。
「そうだっ」
萎縮させてしまった部下への気遣いからか今度は声を抑えて返事をし、理斗の立つ場所へと歩み始める。
どんな『どら女』か。
理斗は、最初の怒声で筋骨逞しいサイのような女を想像していた。
入り口の春陽に照らされ、逆光のなかを進む中隊長の姿が、廊下の照明で次第に明らかになってくる。
彼女が近寄るにつれ、理斗は眼を見張った。しなやかにかつ力強く歩を進める彼女の姿は、あまりにも均整の取れた美しさに満ちていたからだった。初めて見る人は誰でも、その無骨な迷彩服のなかにある体躯は、どれだけ女性としての魅力を湛えているのか、と想像せずにはいられないだろう。
そんな理斗の思惑とは別に眼の前で立ち止まった武藤中隊長の顔は、先日の件でまだ怒りが収まらないのか、眦が険しい。
しかし理斗は彼女に見蕩れていた。
「き、貴様っ! なんの真似だっ!」
理斗のあまりにも無礼な態度に、中隊長の一喝が飛んだ。
「あっ、いや申し訳ありません、中隊長殿。ち、着任許可をいただきたく――」
武藤は手を震わせながら敬礼する理斗の慌てぶりをひと睨みする。そして彼の顔をまじまじと見始めた。
「ふん、若いというからもっと乳臭がする若造かと思ったが」
眼を細めて尻目に見る。そして数秒何かを待っているようにしていたが、痺れを切らしたように口を開いた。
「それだけか? 先日はわたしの部下を侮辱したにもかかわらず言うことはないのか?」
「先日はやや言い過ぎたかもしません。しかし、問題点は明らかに整備側にあるとしか思えず――」
「貴様! 我々の整備結果になんら問題がなかったというのにまだ言うかっ!」
理斗は眼を白黒させる。
「しかし……え? なんら問題がなかった?」
「そうだ。貴様、まだ聞いていないのか? 昨日問題ない旨の報告書を送ってあるぞ」
「そうなんですか? 申し訳ありません、わたしも転任手続きでばたばたしておりましたので行き違いで確認できなかったのかもしれません。しかし何も問題ないなんてことは」
「ちょうどいい、いま技術者が来てるから、彼に説明してもらおう。おい、中島技研の田中さんを中隊本部に呼んできてくれ。まだ連隊本部にいるはずだ」
近くていた隊員に言いつけると、武藤は理斗を中隊本部へと連れて行った。
しばらくしてやって来た技術者は二〇代後半くらいの男だった。
「田中さん、ありがとうございます。紹介します、彼がこの二号機のパイロット、洞見一曹です――」
紹介された理斗は田中と挨拶を交わすと、整備状況についての詳細な説明を受けた。
彼によると、二号機の機体および通信機器には何ら問題がなく、通信衛星からのデータ伝送に問題があると思われるが、それは防衛省の問題で中島技研では手がつけられない範囲なので不明だという。
「あとは陸自さんで調査してもらわないことには、こちらではどうしようもありません」
ライトグレーのツナギを着た彼の言葉に、理斗は「そうですか……」と返事するしかない。
「ちょっと二号機の確認をしたいんですが……」
まだ疑いの晴れない理斗に、武藤が自信ありげに答える。
「いいだろう、倉庫にあるから行こう」
「ではわたしはこれで。本社に戻らなければならないので」
田中が帰りかけたところを、理斗は呼び止めた。
「すみません、田中さんも付き合ってください」
整備工場の片隅に、裸の機兵は厳かに置かれていた。
全高一・九メートル弱。セラミック装甲で要所要所を覆われた人間型ロボットが眼の前に直立している。全身がつや消しのダークグレーで塗られているのも迫力がある。
ひさしぶりの対面であり、理斗はかすかに懐かしい気がしていた。自分の手足となって動く機兵だからなのかもしれなかった。
しかし、無骨でいかめしい外観はやはりただの機械でしかなかった。
もし自分が敵兵側に立って、この姿のままの機兵が乱射しながら突進して向かってきたら逃げ出さずにはいられないだろう。
理斗は想像上の脅威を感じながら機兵の背後に回り、背中の上部、肩のあたりにある通信機器を見始めた。外観を確認し、小さなGPSアンテナの周囲や、取り付け状況を確認する。