アザーウェイズ
「中国がかねてより主張していた四国の編入。それは当然国際的に暴論だ。なにしろ先の大戦中にアメリカ軍内で検討していた分割統治案を根拠に、四国を中国に編入するというのだからな。何が歴史の正常化だ! 孔主席の主張はこうだ。カイロ宣言において蒋介石はルーズベルトから敗戦後の日本の四国を統治してもらうと秘密裏に約束したのだという。滑稽じゃないか。共栄党の敵、蒋介石の約束を根拠に主張しているのだ。もう滅茶苦茶だ。そう、最早論理が滅茶苦茶なだけでなく、行動もそうなりつつある。先日の直島での工作以後、気配を消して静かにしているが、予断は許さない状況である。トカラ列島では海底資源を、瀬戸内海では日本の大規模養殖施設やエイワースなどの施設を中国が虎視眈々と狙っている。太平洋をアメリカと分割する案を強引にやり遂げようとしているのだ。南沙諸島を手中に収め、では次の目標はどこかと眼を付けたのが、この日本だ。我々はかつての一三パーセントの国土しか持たず、人口も一千万人という小国である。しかしスイスやイスラエルは更に小さいにもかかわらず、立派に国土を守り続けている。彼らに出来て、我々に出来ないことがあろうか。我々は戦後の構造改革に努め、技術、アイデアによる経済発展を成し遂げ、いまや国民一人当たり所得では世界のトップテンを常に維持し続けている。それによって、国民は自由と独立、そしてアイデンティティを維持しているのだ。決して大国の横暴を許してはならない。我々が作り、我々が守ってきたこの誇り高い永世中立国日本を守ろう!」
次第に熱を帯びていった武藤の訓示に、理斗は正直戸惑っていた。
自分は彼女ほどに果たして強靭な精神を持っているのか、この国を守る気概があるのかと。
(もしかしたら僕は何か危険を感じたら東日本に逃げ戻ろうと考えているのだろうか)
理斗は、武藤の言葉を聞き終えてからもずっと自問し続けていた。
皆はやはり武藤中隊長のもとで一致団結しているのだろうか、と周りを見渡すと、そのなかに権だけが自分と同じように妙に元気が無いように思えた。
機兵の整備で権と二人きりになったとき、理斗は思い切って訊ねてみた。
「権さん、朝礼のときちょっと元気なかったですね」
権は手を止めて、わずかに天井を見上げてから答える。
「……ああ、隊長の話のときですか? そんな元気なかったですか?……そうですね、少し複雑な気持ちでしたね」
「どうして? 隊長の考えで賛成できないところがある?」
「わたしは自衛隊員ですから隊長の考えには賛成です。自分から希望して自衛隊員になったんですから、全然反対するところなんてありません。ただ……」
「ただ?」
一瞬躊躇ったが、権は再び口を開いた。
「家族が問題なんですよ。恐らく中国軍が攻めてきても何もしないか、あるいは四国を捨てて九州に逃げると思います。八月に国民皆兵で男子の全員に小銃が配られるけど、うちの父も兄も母も絶対戦わないで逃げますよ」
「それは疎開という感覚じゃなくて?」
「全然違います。厭戦家系とでもいうのか、東日本とこの国がまだ一緒のときに一時期制定した平和憲法に憧れてるというか、とにかく戦争放棄という考え方なんです。そういう意思を表明すれば戦争を回避できるとでも考えてるみたいで。そういう考え方のくせに、今の生活はずっと確保できると考えてるんですよ。おかしいでしょう?」
「そりゃ武力を放棄すれば何をされてもされるがままだよな」
「それがわからないんですよ。とにかく平和を希求しさえすればいい。もう現実を見れない一種の宗教みたいなもんです。ちょっと前のイスラミックステートみたいなのが攻めてきても何もしないつもりなんでしょうか……まあそれだけ旧日本が戦争に負けた陰を引きずっているみたいです。だから自衛隊も信じていないんです――うちだけじゃない、悲しいことにそういう家はまだまだ沢山あります」
もうこれ以上は、自分の家族の負の側面を曝け出したくないようで、権は再び手を動かし始めた。
(なぜそんな考えになるのだ。自分の身を守るのは自分でするべきじゃないか)
理斗は自分の根底にある考えを自分に唱えた。
(戦争に一度でも負けた国民だから、そういう考えになってしまうのだろうか。わからないでもない。しかし、反省すべきはそこではないだろ。この平和な生活を守るために、全国民が同じ意思のもとに戦わねばならないときにそんな意見も一致できないなんて)
理斗は全国民が一枚岩になりえない原因となった先の敗戦の影響を、故国では殆ど感じたことのないこの感覚を、生まれて初めて身をもって感じることが出来たような気がしていた。
†
理斗は夜にパソコンで買い物をしているとき、日付を見た。
紗奈とは既に来日の日取りを決めてあり、明後日は彼女の来る日だった。
「紗奈から全然連絡がないな」
数日振りに思い出し、理斗は彼女の声を聞きたかった。そして、そこに重なるのはやはり母の面影である。
理斗はメールを送ってしばらく待った。
「まだ仕事が忙しいのかな? そんなに稼いで何をお土産に買ってくるつもりなんだろう」
理斗は紗奈の気持ちが嬉しくて、ついひとりで微笑んでしまう。
今日は連絡ないかと思い、ベッドに横になったときである。着信を告げる音に理斗は跳ね起きた。
内容は今からチャットできるというものだ。理斗は急いでパソコンを起動させる。
「久しぶりだね」
理斗は紗奈の顔が画面に映るなり話しかけた。
『ご……めんなさい……』
紗奈は斜めに腰掛け、ぎこちなく応対した。
「あ、えと……」
直感で避けられているのだろうかと察せられた。理斗はそれ以上言葉が出てこない。
『ごめんなさい……』
紗奈は俯いて決して眼を合わせようとしない。
『実は、そちらに行けなくなってしまったの。本当にごめんなさい……』
「あ、いや……気が変わったのなら仕方ないよ」
避けられているとしか思えない彼女の態度に、もうウィンドウを閉じてしまおうかと、理斗はマウスを探った。手の震えで、ポインタもかすかに震えている。
『違うの……』
「よくわからないけど、ほら、人間出会いはいつでもどこでもあるからね……僕だってそれくらいわかる――」
『違うのっ!』
画面の奥から絞り出すような声に、理斗は驚いて紗奈を見つめた。
『……あの、わたし……もう理斗さんに会えない女に……』
斜めに向いている紗奈の眼に涙が溜まっていくのがわかる。
『わたし……わたし……』
さっきから必死にこらえていたのだろうが、表情を隠すように紗奈は俯き、髪で顔を隠した。
「紗奈ちゃんどうしたのっ? 話してっ、力になるから」
紗奈の言葉と様子から予想される返事は残酷なものだった。だが、違って欲しい、自分の最悪な予想が外れて欲しいという希望を込めての問いかけだった。
『無理……無理よ。理斗さんでも……』
顔を上げて、ようやく理斗に見せてくれた眼は真っ赤で、涙がひとすじ流れていた。
「そんなことない! 人に話して気持ちが楽になることもある。それに僕だって何かしらアドバイスできるかもしれない」