アザーウェイズ
「いまさらかよ。そんなの量産化する以前の話だろ」
会話の間に、再び理斗の苛立ちを隠さない声が聞こえてきて、二人は再びちらと見遣った。
「どうやらそこに問題が発生したみたいだな。今日ほどじゃないが、昨日もご立腹だったよ」
「へー……」
「いくら今年中に配備したいからって、予算やたらつぎ込んで杜撰な計画だよな。こっちのF−3開発にももっと廻せよって」
「……終戦八〇周年の新体制に間に合わせるってことか」
「ああ、それに――」
隊員たちは上司の眼が気になったらしく、口をつぐんで素早く自分のモニターに向かってわざとらしく手を動かし始めた。
「整備が悪いんじゃない? 衛星通信側で伝送エラーが発生してる可能性? そんなことあるか!」
通話相手に自分の意見を否定された理斗は、斜め後方にいる通信室室長が怪訝な顔をして彼を見ているのにも気付かないほど、怒りをぶつけている。
「ならこっちに来い? なんで熊本から善通寺まで行かなきゃいけないんだ。言い訳している暇があったら今すぐ点検しろ。わかったか? 明日の試験までにちゃんと整備しておけ!」
立ち上がってヘッドセットを外し、机に投げつける。
「くそっ! 昨日だけじゃなくて今日もかよ」
そう吐き捨てると、視界が揺らいだ。ゴーグルを外した直後に襲われる3D酔いだった。足元がいやがおうにもふらついて仕方がない。理斗は転ばぬようにと、わざと床を踏み鳴らすようにして大股で通信室を出ていった。一度、休憩室へ足を向けたが、思い直して突然厚生棟へと向きを変える。
理斗は自分の行動を振り返った。昨日の遅れを取り戻そうと、朝から昼食も摂らずにずっと機兵の操作とデータ分析を繰り返し続けていた自分を……。
空腹のせいでこんなに腹立たしいんだ、そうに違いない。
廊下を早足で通り抜けながら、理斗はそう自身を納得させようとしていた。
廊下の窓から射し込む夕陽、そのオレンジ色の光が、朝からの時間の流れを実感させる。理斗はより空腹感が増してくる感覚に襲われながら歩き続けた……。
――二〇二五年。
それは日本の終戦八〇周年という節目の年、且つ、永世中立国としての憲法発布七五周年という記念の年だった。
高邁な理想に燃えて戦後を歩み始めたものの、国民の意識の中には猶もって永世中立国として真の独立国家であるとは自認し難いものがあった。
その理由は、戦後の領土が旧日本のそれの多くを失ってしまったからのなのか、それとも自衛隊と称する組織があるのみで正式な軍隊を持たないことなのか、それともいまだに敗戦という事実が戦勝国の様々な干渉や制約という形で表れているからなのか、それとも他の理由があるのか……。
どれも正鵠を射ているようであり、またどれも焦点がずれているように思われて人々はいつしか結論を先延ばしにすること以外考えなくなっていた。
しかし、政府の考え方は異なっていた。この節目の年を境に、日本は真に独立した永世中立国になるのだ、と。
自衛隊を国防軍へ再編する法案はその最たるものである。
洞見理斗は、まだ国防軍とは呼ばれていない陸上自衛隊の開発実験団隷下の機兵実験班に所属している。
現在、日本の首都は熊本であり、機兵実験班の置かれている防衛省本省庁舎も北熊本駐屯地にあった。
理斗は、その首都熊本から香川県の善通寺にわざわざ出向くよう要求されたことに腹を立てたのだった。
食堂で注文した日替わり定食の大盛りを綺麗に平らげた理斗。
腹が満たされたからなのか、温かいお茶を飲む彼の表情がやっと和やかになってくる。
食器を返却棚に戻して、くるっと向きを変える。視線の先にあるのは、食堂に隣接する売店だ。
「美緒さーん……いないかな?」
不安げに売店を覗き込む。
「はい?」
棚の陰から返事が聞こえ、若い女性が顔を覗かせた。すらっと伸びやかな体の前に菓子の箱をいくつか抱えている。商品を並べているところだったのだ。
理斗はポニーテールの揺れる彼女を見つけると、嬉しそうにすっと歩み寄る。
「あ、いたんだ、よかった……あのう、ゴールデンウィークに博多に行く件どうかな? 決めてくれた?」
美緒と呼ばれた女性は手元の菓子箱を手早く棚に並べると、近寄ってきた理斗に戸惑い気味に視線を送った。
彼女の視線の先には、理斗の緊張気味に微笑んでいる顔があった。そのいつもより垂れた両眼尻は、彼の期待の表れなのだろうか……。美緒は、徐々に伏し目がちになっていく自分が、自分でも厭に思えた。
美緒の視線の意味を感じ取ったのだろう、かすかに身構える理斗に、美緒は重たげに口を開いた。
「あの……ごめんなさい。両親が北海道に旅行に行こうと言い出して……独立三五周年記念行事が見たいそうで……」
言葉を出してみれば、案外表情は穏やかになれたと思える彼女だった。
「そっか……残念だな……あはは、ごめんごめん。そう言えばロシア連邦から独立してもうそんなになるんだな」
理斗の言葉に、美緒は眉間に小さな皺を寄せて小首をかしげる。
「あ、えと、んじゃまた今度ね」
理斗はその彼女の意外な反応を不思議に思うとともに戸惑い、とにかくすぐにその場を離れたくなった。その時だった。
「洞見、ここにいたか」
背後から聞き覚えのある声、しかも緊張をはらんだ声音に理斗は考える間もなく反射的に振り返り、気をつけの姿勢をとる。
「はい!」
返事をする理斗に近づいてくる長身の中年男性、肩章が示す階級は一尉。彼は理斗の所属する機兵実験班の班長であり、名を梅崎という。
「探したぞ。さっき通信室に戻ったら室長に呼び止められてな。ちょっと来い――」
理斗が梅崎一尉に連れられていくのを、美緒はほっと溜息をつきながら見送っている。そんな彼女に、同じ売店に勤めている年増の女性が声をかけた。先程から棚の陰で理斗と美緒のやりとりを伺っていたのだ。
「最近良く見るわねえ、あの人」
「ええ、最近ちょっと……」
美緒の困り顔に、女性は同情の表情で応じる。
「しつこいの?」
「しつこいって言うか、デートもしたことないのに会って3回目で旅行行こうって誘うんですよ? 常識ないと思いません?」
「いきなり旅行? それは酷いわね。見た感じ若いし、ま、正直女性との付き合い方もたいして知らない感じが漂ってきてたけど」
気持ちを汲んでくれた女性に、美緒の安心した表情で答える。
「わたし、ああいう軽い感じの人苦手です。それに、北海道が独立したのがロシア連邦からだなんて……ソビエト連邦じゃないですか。それくらいの常識もないなんて、自衛隊員なのに信じられませんよ」
「あらあら美緒ちゃんは男を見る眼が厳しいわね」
「はい! お嫁さんになるなら、わたし絶対常識があってしっかりした人じゃないとイヤですから!」
美緒は力強く頷きながら、理斗と梅崎一尉の去っていった方角をちらりと見遣った。
梅崎は人気のない場所まで来ると立ち止まり、理斗に向き直った。
「おい洞見。通信室で怒鳴ってたんだってな。室長が怒ってたぞ。我々は今回の試験用に通信室の一角を借りてるだけなんだから、他の隊員の邪魔になるようなことしてくれては困る」