アザーウェイズ
完全なる自由と独立、そして正義ある平和。
これらを実現するに選択した道は――永世中立国。
第二次世界大戦終結後、日本はサンフランシスコ講和条約調印によって正式に主権を回復すると同時に、永世中立国として歩み始める。
ただし領土は、旧日本の九州の一部、すなわち熊本、大分、宮崎、鹿児島、及び四国だけだった。
他国との軍事同盟や安全保障条約などとは一線を画した永世中立国日本。
その成果は、戦後八〇年間他国と一切交戦状態にならずに平和を維持し続けたこと。
それ故、戦死者があった記憶など、最早日本人には無いに等しい。
知りたくても、誰が過去の戦場を経験できるだろうか。
いま、この国における人命の価値は歴史上最大限に尊重され、そして臆病なまでに重い。
第一章
機兵(きへい)。
それは陸上自衛隊が開発した遠隔操作型ヒューマノイドロボット。
二〇二四年一〇月に量産型一号機がロールアウトしたのに続き、翌年一月にようやく量産型二号機がロールアウトしたが、その複雑な機構とシステムゆえに開発は引き続き行われていた。
そのため、機兵パイロット、すなわち機兵の操縦士には優れた操縦技術だけでなく、マンマシンインターフェースの開発能力までも求められることとなる。
また、その兵器としての高度な殺傷能力から、迅速的確な判断能力と常に冷静沈着な精神力も要求されている。
洞見理斗(どうみりと)が、量産型二号機のパイロットとして抜擢されたのは、これらの要件を満たしていたからだったのだが……。
†
二〇二五年四月。
爽やかな春空に向かって聳える通信塔。
灰色に塗られたトラス組みの上部には、多数のパラボラアンテナが設置され、遠目からでもよく目立つ先端は格好の目印となるものだった。
そのすぐ隣に、防衛省の衛星通信棟がある。
棟の最上階、一五階は陸海空自共同の通信室であった。一フロアを占めるほど広大な室には窓が一切ない。代わりに壁面と机上を飾っているのは、数々のモニターと様々な通信機器。
その片隅に、一風変わった格好の自衛隊員が座っている。
陸上自衛隊の洞見理斗一曹だ。
迷彩服姿なのは他の多くの隊員と同じだったが、異彩を放っているのは頭部に装着している暗視ゴーグルのような黒く厳つい筐体――軍事用の透視型ヘッドマウントディスプレイ。
ヘッドマウントディスプレイからは、数本の配線が伸び、机上の通信回線に接続されている。そのすぐ近くには、小さなレバーやジョイスティック、ボタンが複雑に配されたコントローラーと小型のキーボードが置かれ、それらも同じく通信回線に接続されていた。
理斗の十指は、それらコントローラーとキーボードを滑るように素早く操っていた。
勿論ゲームをしているのではない。彼の双眸に射し込む光の信号は、ヘッドマウントディスプレに映し出されている3D画像、即ちここ熊本から遠く離れた四国の演習場にいる機兵の立体カメラが捉えてデジタル化した光の信号である。
機兵の正式名は『遠隔操作機甲兵器二足人型二四式』。
昨年の二〇二四年に陸上自衛隊に制式化され、部隊配備され始めたばかりの兵器だ。通称は当初、機械化兵、機甲兵士、あるいは横文字好きな隊員にはヒューマノイドソルジャーやアンドロイドソルジャーなどと呼ばれたが、結局『機兵(きへい)』に落ち着いていた。
今、理斗は機兵に前進指示を出すところであった。
ヘッドマウントディスプレイ――それは簡単に機兵ゴーグル、またはゴーグルと呼ばれている――内の景色を確認しつつ注意深くコントローラーを操作。するとゴーグル内の立体視で表示された森林の景色がゆっくりと動く。まるで自分がいま四国の演習場にいるような錯覚に陥る。
さらにコントローラーを倒して速度をあげると、木々が後方に次々と流れていく。
大量の情報量に視界を圧倒されながらも、理斗は第三者的視点から機兵を脳裏に思い浮かべることを忘れない。常に複数の視点をイメージできることが、機兵パイロットの必須条件なのだ。
理斗の脳裏に浮かぶ機兵の姿。
その外見は、人間と同じく迷彩服とヘルメットを着用しているので一見生身の隊員と変わらない。だが日本人の平均的な体格からすれば、かなり大柄だ。人間並みの複雑な動きだけでなく、重装備でも高度な踏破能力を実現するために、高出力のアクチュエーターや様々な補機を備え、結果的に一・九メートル弱という全高になっていたのだ。
頭部は少々異様だった。昼間にもかかわらず、暗視ゴーグルのような照準カメラをヘルメットの下から覗かせる。先鋭かつ冷徹さ漂う面貌に、見る者は圧倒される。
そんな外見の機兵が、いま理斗の脳裏では精緻な動きで両手両足を振って快走している。速いスピードを維持したまま走り続ける機兵、それは心臓という柔らかい臓器で血を循環させる人間には不可能なレベル。
そのような素晴らしい最新兵器の操縦士――パイロット――になれたことがどれだけ誇らしいことか、コントローラーを通して機兵を自在に操り、ゴーグルに反映される景色を通して理斗はあらためて再認識する。
突然、転倒したかのように揺れる風景。
機兵が前方の大きな木を回避したのだ。まるで森の中を吹き抜ける風のように。そして何事もなかったように最初の進行方向を維持したまま走り続ける。
機兵の動き全てを人間が操作するのではなく、方向と速度を決めれば、あとは機兵が判断して動く半自立操作型ならではの動きだ。
その完璧なまでの動作に、理斗は口角の片側を上げて薄く笑いを洩らす。
と、理斗は頭をぴくと小さく震わせた。
ヘッドフォンから響く甲高い警告音。と同時にモニターに映る赤い警告表示。
『遠隔操作異常発生』
『異常動作検知』
視界の端に次々と表示される警告。
『システム強制停止』
最後にメッセージを表示すると、理斗の見るゴーグル内の画像は真っ暗となった。
「またかっ!」
理斗はゴーグルを跳ね上げて外し、卓上のスイッチを乱暴に指で弾いた。通信チャンネルが切り替わったことを示す音と表示を確認すると、ヘッドセットから伸びるマイクに叫ぶ。
「もしもし! 聞こえるか? なにやってんだ!」
眉間に皺を寄せながらヘッドフォンに耳を傾けるが、聞き終えると皺をより深くし、苛立ちを隠そうともせずに声高になった。
「整備がろくに出来てないんじゃないのか? ちゃんとやれよ!!」
その剣幕に近くにいた隊員は一瞬振り返ったものの、次の瞬間には関わりたくないとばかり完全に無視を決め込んでいる。しかし、やや離れた場所にいた空自の通信隊員数人が振り返ったままでいた。
丁度入室したばかりの空自隊員も何事かと思わずにはいられないらしい。席に着くと理斗に視線を送っている同僚に声を低めて話しかけていた。
「あの若いの誰?」
「ああ、陸自の開発実験団から来てる奴だよ。あの例の新型兵器の試験してるらしい」
ちらと白眼視してみせる。
「機兵とかいうヤツ? まだ試験してんの? 確か試験が終わって量産化が始まってるんじゃなかったっけ?」
「量産化二号機で衛星通信網を使った遠隔操縦機能を追加することになったらしい」
これらを実現するに選択した道は――永世中立国。
第二次世界大戦終結後、日本はサンフランシスコ講和条約調印によって正式に主権を回復すると同時に、永世中立国として歩み始める。
ただし領土は、旧日本の九州の一部、すなわち熊本、大分、宮崎、鹿児島、及び四国だけだった。
他国との軍事同盟や安全保障条約などとは一線を画した永世中立国日本。
その成果は、戦後八〇年間他国と一切交戦状態にならずに平和を維持し続けたこと。
それ故、戦死者があった記憶など、最早日本人には無いに等しい。
知りたくても、誰が過去の戦場を経験できるだろうか。
いま、この国における人命の価値は歴史上最大限に尊重され、そして臆病なまでに重い。
第一章
機兵(きへい)。
それは陸上自衛隊が開発した遠隔操作型ヒューマノイドロボット。
二〇二四年一〇月に量産型一号機がロールアウトしたのに続き、翌年一月にようやく量産型二号機がロールアウトしたが、その複雑な機構とシステムゆえに開発は引き続き行われていた。
そのため、機兵パイロット、すなわち機兵の操縦士には優れた操縦技術だけでなく、マンマシンインターフェースの開発能力までも求められることとなる。
また、その兵器としての高度な殺傷能力から、迅速的確な判断能力と常に冷静沈着な精神力も要求されている。
洞見理斗(どうみりと)が、量産型二号機のパイロットとして抜擢されたのは、これらの要件を満たしていたからだったのだが……。
†
二〇二五年四月。
爽やかな春空に向かって聳える通信塔。
灰色に塗られたトラス組みの上部には、多数のパラボラアンテナが設置され、遠目からでもよく目立つ先端は格好の目印となるものだった。
そのすぐ隣に、防衛省の衛星通信棟がある。
棟の最上階、一五階は陸海空自共同の通信室であった。一フロアを占めるほど広大な室には窓が一切ない。代わりに壁面と机上を飾っているのは、数々のモニターと様々な通信機器。
その片隅に、一風変わった格好の自衛隊員が座っている。
陸上自衛隊の洞見理斗一曹だ。
迷彩服姿なのは他の多くの隊員と同じだったが、異彩を放っているのは頭部に装着している暗視ゴーグルのような黒く厳つい筐体――軍事用の透視型ヘッドマウントディスプレイ。
ヘッドマウントディスプレイからは、数本の配線が伸び、机上の通信回線に接続されている。そのすぐ近くには、小さなレバーやジョイスティック、ボタンが複雑に配されたコントローラーと小型のキーボードが置かれ、それらも同じく通信回線に接続されていた。
理斗の十指は、それらコントローラーとキーボードを滑るように素早く操っていた。
勿論ゲームをしているのではない。彼の双眸に射し込む光の信号は、ヘッドマウントディスプレに映し出されている3D画像、即ちここ熊本から遠く離れた四国の演習場にいる機兵の立体カメラが捉えてデジタル化した光の信号である。
機兵の正式名は『遠隔操作機甲兵器二足人型二四式』。
昨年の二〇二四年に陸上自衛隊に制式化され、部隊配備され始めたばかりの兵器だ。通称は当初、機械化兵、機甲兵士、あるいは横文字好きな隊員にはヒューマノイドソルジャーやアンドロイドソルジャーなどと呼ばれたが、結局『機兵(きへい)』に落ち着いていた。
今、理斗は機兵に前進指示を出すところであった。
ヘッドマウントディスプレイ――それは簡単に機兵ゴーグル、またはゴーグルと呼ばれている――内の景色を確認しつつ注意深くコントローラーを操作。するとゴーグル内の立体視で表示された森林の景色がゆっくりと動く。まるで自分がいま四国の演習場にいるような錯覚に陥る。
さらにコントローラーを倒して速度をあげると、木々が後方に次々と流れていく。
大量の情報量に視界を圧倒されながらも、理斗は第三者的視点から機兵を脳裏に思い浮かべることを忘れない。常に複数の視点をイメージできることが、機兵パイロットの必須条件なのだ。
理斗の脳裏に浮かぶ機兵の姿。
その外見は、人間と同じく迷彩服とヘルメットを着用しているので一見生身の隊員と変わらない。だが日本人の平均的な体格からすれば、かなり大柄だ。人間並みの複雑な動きだけでなく、重装備でも高度な踏破能力を実現するために、高出力のアクチュエーターや様々な補機を備え、結果的に一・九メートル弱という全高になっていたのだ。
頭部は少々異様だった。昼間にもかかわらず、暗視ゴーグルのような照準カメラをヘルメットの下から覗かせる。先鋭かつ冷徹さ漂う面貌に、見る者は圧倒される。
そんな外見の機兵が、いま理斗の脳裏では精緻な動きで両手両足を振って快走している。速いスピードを維持したまま走り続ける機兵、それは心臓という柔らかい臓器で血を循環させる人間には不可能なレベル。
そのような素晴らしい最新兵器の操縦士――パイロット――になれたことがどれだけ誇らしいことか、コントローラーを通して機兵を自在に操り、ゴーグルに反映される景色を通して理斗はあらためて再認識する。
突然、転倒したかのように揺れる風景。
機兵が前方の大きな木を回避したのだ。まるで森の中を吹き抜ける風のように。そして何事もなかったように最初の進行方向を維持したまま走り続ける。
機兵の動き全てを人間が操作するのではなく、方向と速度を決めれば、あとは機兵が判断して動く半自立操作型ならではの動きだ。
その完璧なまでの動作に、理斗は口角の片側を上げて薄く笑いを洩らす。
と、理斗は頭をぴくと小さく震わせた。
ヘッドフォンから響く甲高い警告音。と同時にモニターに映る赤い警告表示。
『遠隔操作異常発生』
『異常動作検知』
視界の端に次々と表示される警告。
『システム強制停止』
最後にメッセージを表示すると、理斗の見るゴーグル内の画像は真っ暗となった。
「またかっ!」
理斗はゴーグルを跳ね上げて外し、卓上のスイッチを乱暴に指で弾いた。通信チャンネルが切り替わったことを示す音と表示を確認すると、ヘッドセットから伸びるマイクに叫ぶ。
「もしもし! 聞こえるか? なにやってんだ!」
眉間に皺を寄せながらヘッドフォンに耳を傾けるが、聞き終えると皺をより深くし、苛立ちを隠そうともせずに声高になった。
「整備がろくに出来てないんじゃないのか? ちゃんとやれよ!!」
その剣幕に近くにいた隊員は一瞬振り返ったものの、次の瞬間には関わりたくないとばかり完全に無視を決め込んでいる。しかし、やや離れた場所にいた空自の通信隊員数人が振り返ったままでいた。
丁度入室したばかりの空自隊員も何事かと思わずにはいられないらしい。席に着くと理斗に視線を送っている同僚に声を低めて話しかけていた。
「あの若いの誰?」
「ああ、陸自の開発実験団から来てる奴だよ。あの例の新型兵器の試験してるらしい」
ちらと白眼視してみせる。
「機兵とかいうヤツ? まだ試験してんの? 確か試験が終わって量産化が始まってるんじゃなかったっけ?」
「量産化二号機で衛星通信網を使った遠隔操縦機能を追加することになったらしい」