アザーウェイズ
そう言っていたに違いないと、理斗は自分を責めた。
朝、出勤の準備をしていた理斗に、父から電話があった。葬儀社との打ち合わせが終わり、四月二八日に通夜、二九日に葬儀と決まったという。
「結構葬儀社も混んでてな」
父は小さい声で言った。
「わかった。休みの申請出すよ。最悪でも葬儀には出られると思う」
理斗は少し落ち着いた声で、父に答えていた。
†
古城戸科長は、いつものように事務室でお茶を飲んでいる。最早この行為は日課といってよかった。今日も天気がよく、向かいの建物はさわやかな陽射しを受けていた。
「科長。洞見一曹から特別休暇の申請が出ています」
「特別休暇? 理由は?」
「忌引です。母親が亡くなったとあります」
「……そうか、若いのに大変だな。特に問題はないだろう。所属長の武藤中隊長を通ってきてるんだろう?」
「はい――えっ?」
事務の女性自衛官はモニターを凝視した。
「どうした?」
「科長。中国軍と思われる高速艇が今治付近で領海侵犯したとのニュースが流れています。三時間ほど前だそうです」
「海自さんは忙しくて大変だな。こっちまで忙しくならなければいいけど」
「あそこはしまなみ海道があるのに、そこは使わずに船で領海侵犯って面白いですね」
「あの道路を使うのはさすがに目立つからってことじゃないかな? それに一度使えば二度と使えない手だろう。それに何よりも友好の橋だからね」
「日中友好の架け橋ですか」
「そうそう、友好の架け橋として両国が作って世界的に宣伝した手前、どうどうと侵略に使うにはさすがに目立って世界的な非難がでると判断しているのかもしれない。瀬戸大橋もしまなみ海道も、西日本は経済的に重宝している橋だから、中国軍には使うなってお願いしてるのかもね。加えて、日本占領後には使える橋だから、戦争で壊したくないんだろう。日本側も友好関係を自ら放棄したっていうふうに捉えられる恐れもあるから絶対に破壊しない。どっちにしろ、大規模な交戦になればそんなことは言ってられないかもしれないが」
そうこぼしていた古城戸は、隣の部署の電話応対の声に耳を澄ました。
「――で、その訓練が緊急に必要だっていうんですね。わかりました。で、いつです? 明日? 詳細はメールですね、了解です」
電話で話していた彼は、訓練や演習などを管理する担当者であった。
やや不満げに電話を置いた彼に、古城戸は気遣った。
「どうしました。また無理な注文ですか?」
「ええ、師団本部からです。何やら機兵に明日から訓練させろと」
「訓練? 彼は母親死亡で忌引休暇の申請が出てるんだが」
「そうですか。可哀想ですが無理そうです。今治での領海侵犯で、四国本土にも上陸する可能性が出たとのことで、緊急に機兵に次の訓練させろと」
「そうですか。そんなに機兵の評価高いですか」
「さあ……でも、今までは防衛大臣が国民を納得させるための手札だったに過ぎなかったんですが、先日の件で大臣がより一層やる気を出したみたいで」
「でも結果を残したわけではない。ただ洞見一曹が戦傷を負っただけだったんですが」
「彼を背負って藪の中を全速力で走って助けただけでもいいんでしょう。ともかく使いものなるらしいと判断されたらしいです。機兵が生身の人間の先頭に立って行動できるということがわかっただけで、充分なんでしょう」
「新兵器が使えるとなると、政府だってこれから強気になるのかな」
「四国が戦場と化す日が来るんですかね? 東に移住しようかなあー、あはは」
彼の笑えない冗談に、古城戸は苦笑いで応じるしかなかった。
「もしもし、斉田さん久しぶりです」
倉庫内で理斗は機兵を横にして、かかってきた電話に応対していた。
「――いやあ、歯はもう治りました。でも、突然手榴弾の試験することになって。ええ、わたしではなく勿論機兵の。え? そちらもですか?」
これから訓練場に行くべく、訓練用模擬手榴弾の入ったケースを脇に抱えていた。火薬が入っていない、純粋に投擲練習の模擬弾である。
理斗は電話の向こうにいる斉田の、やや不満そうな声を聞いていた。機兵一号機を預かる彼も突然試験を命令されていたのだった。
『こっちはミニミだよ。ミニミ軽機関銃の実装プログラムの試験に入った』
「やっとですか」
『ああ。やっとこれでロクヨン、ハチキュウ、9ミリに続いて四種類目の銃を使えるようになる。でも新規だからセッティングが面倒で面倒で。そっちは新規じゃないから楽だろ』
「でも、充分試験で詰めてなかったらしく、殆ど新規のようなものですよ。梅崎さんの話によると、試製機の担当員が簡単にセッティングして投擲可能なのを確認しただけで、実際はノーコン状態だって言ってました。手榴弾なんて使わないだろうって楽観的だったらしいですね。白兵戦が現実味を帯びて使えるようにしようっていうことになって」
『M67とMK3両方か?』
「はい」
『M67には気をつけろ。この前一度握らせたら変な持ち方してたぞ。指の動きから確認したほうがいいかもしれない』
「了解です。ちょうどこれからそれやらせるところなんで確認してみますよ。あ、ゴールデンウィーク中は斉田さんどこかに出かける予定ですか?」
『ああ、実は女の子を誘ったら、初めてデートすることになってな。前から気になってた娘だったから、今はちょっと緊張気味だわ』
「マジっすか。いいなあ、どこで知り合ったんですか?」
『洞見は知ってるか? 食堂のとなりの売店の娘。美緒ちゃんって言う娘なんだけど』
「あ……ああ、知ってますよ。あの凄いかわいい娘じゃないですか。良かったすね。うまくいくよう応援しますよ」
『まあその彼女がいま帰省してるから、デート行くのもゴールデンウィーク後半だけどな。ああ、洞見はゴールデンウィークは?』
「……実は母が亡くなったので、葬式に行く予定なんです……」
『そっか、入院していたおふくろさんか……癌だったよな?』
「はい。もう少し生きてくれるかと思ったんですが……」
『仕方ないさ。うちも母が多発性骨髄腫で治しようがなかった。今は死亡原因は癌が殆どだ。逆に言えば癌になったら諦めて、生きているうちに少しでもその人とたくさん思い出を作ることに専念したほうがいい――スマン、移民した洞見に言うことじゃなかったな』
「いえ、いいんです。決断したのは自分ですから」
『俺は小さいときだったから母のことはあまり憶えてないんだが、洞見は葬式に行ったら何時間も顔を見て、そしてたくさん泣いてこい。これで最後なんだから』
「はい、そうします。斉田さんに話して少し気が紛れました。じゃ」
理斗は電話を切ると、悲しさを紛らわすようにすぐに作業を再開した。
「そういえば、どういうふうに握るんだろう」
手榴弾を握らせたことがなかった理斗は、すぐに確認したくなり、M67をひとつ取り出すと、コントローラーを操作して機兵に握らせた。
「ん? どこが悪いんだろうな」
ピンを抜く動作も問題なさそうだ。
と、電話がなった。理斗は機兵を一時停止させ、電話に応対する。
「ゴールデンウィーク中に緊急の訓練?……わかりました、忌引は不可能なんですね、了解です」
みるみるうちに表情が堅くなっていく。