アザーウェイズ
理斗は実際に機兵が攻撃されたらどう対処するべきなのか迷いつつ、ゴーグル内で沼の雲間の陽射しに光る水面を確認すると、一度ゴーグルを上げてコントローラー上の液晶モニターに表示されている地図にさっと眼を走らせた。ゴーグル内にも地図は表示できるが、景色や機兵の各種表示などと重なって見づらいのだ。
約二百メートル進んだときだった。機兵の通信機能に異常を示した。
「あっ!」
思わず叫んだ理斗に、隊員数人が振り返る。
迂闊だった。衛星通信用のマスタースイッチをオンにしていたのだった。
自分が起動する場合はいつもオンにしていたため、その癖とこの場の緊張にすっかり忘れていたのだ。
「すみません、ちょっと様子を見てきます」
咄嗟に小隊長に申し出る。
「異常か? よし山本ついていけ」
「いえ、一人で大丈夫です。すみません、わたしのミスです。まだそんなに遠くありませんし、すぐに戻ってきます」
自分のミスが恥ずかしい。こんなことで山本に同行してもらうのは申し訳なく思う。一人で行ってさっさと片付けてしまいたい――。
「しかし……」
そう言って身を乗り出した山本を手で制すると、理斗はさっと身を翻し、機兵のあとを追った。
ゴーグルを上げたままナビで機兵の位置を確かめ、木々の間を抜けていく。
新緑が繁茂した森の中は思ったよりも薄暗い。というよりも陽は傾き始め、また強い風が上空に雲を招いてもいた。
地図で見るとすぐ近くに感じたのだが、いざ森に分け入ってみるとかなり遠くに感じられて、理斗は独りで来たことを後悔し始めた。
「ちきしょう、こっちに呼ぶか――二号機戻れ」
立ち止まって音声指示を出し、またコントローラーで操作もした、がしかし、反応した様子はない。
諦めて再び早足で移動し始めると、汗が腋につうと流れていくのがわかる。
ようやく機兵の後姿を見つけたとき、理斗は何よりも頼もしい戦友にめぐり逢えた嬉しさを感じた。
すぐに機兵のもとに寄り、通信マスタースイッチを切り替えたときである。
(しまった! 囲まれている!)
明らかに敵の気配だった。
思わず叫びそうなほどに動転し、理斗は危うく錯乱しそうなほどであった。
(どうする! 攻撃するか?)
すばやく身を屈めてまわりを見渡すが、敵の姿は見えない。気配は確かにするが、視界にあるのは木々だけである。
しかし、自分の判断で発砲していいのか? もしかしたらこれで日中の戦端が開かれる切っ掛けに!? 自分のせいで?
様々な考えが一瞬のうちに頭に浮かんで理斗は迷った。
そしてその迷いが、敵に隙を与えてしまったことを感じ取っていた。
パンッ!
一発の銃声。
そして間髪をいれず、周囲から連続した小銃の掃射音が鳴り響いた。
空気を切り裂き、鋭利な音を耳に残して飛び去っていく銃弾。
「二号機兵! 回れ右!」
動くことを願った刹那に、キュンというアクチュエーターの響きとともに機兵が向きを変える。
理斗は機兵の首っ玉に飛びついた。そして必死にしがみついて叫ぶ。
「走れ!」
理斗と機兵の行く手では、木の幹が銃弾に砕け散る。
次は自分がそうなる番か。
第二次世界大戦後、最初の戦死者として――。
「全速っ!」
理斗は掃射音に負けないありったけの声で叫んだ。
理不尽な攻撃。日本が、俺が、何をしたって言うんだ。
風音がするほどの速さで木をよけ、起伏を跳ねながら走り続ける機兵。
尋常な人間には決して真似のできない速さだった。
理斗は振り落とされないようにと、必死にしがみついた。腕でカメラをふさがないようにという考えが頭をよぎったが、そんなことをしなくても一番掴みやすい首につかまり、背中のバッテリーパックに覆いかぶさるようにするしかなかった。
前方から襲い来る小枝や葉に身を切られるような疾走のさなかに、突然宙に浮いたよう感覚。
機兵がギャップを前に、大きく跳ねたのだ。
「くっ」
次の瞬間には着地する――理斗は衝撃を予想して身構えようとする暇もなく、下から大岩でもぶつけられたような全身に衝撃を感じ、顔をガツッと強く機兵のヘルメット後頭部に打ち付けていた。
鼻から下が砕かれたような鋭くかつ鈍い痛み。
「くそったれがっ!」
理斗は口中に血の味を感じながら罵る。
やっと、木々の奥から聞こえてくる銃声が小さくなっていく。そして前方に味方の車両が木々の間に見えてきて、やっと理斗は生きた心地がした。
「敵がっ!」
藪から突然現れた理斗が叫ぶまでもなく、味方全員は先の銃声を聞いて銃を構えていた。
精鋭らしく隙のない見事な陣形と銃を構えている気迫に、理斗はこれほど頼もしさを感じたことはなかった。
機兵をとめ、理斗は転がるように機兵の背中から地面に転がり落ちると、小隊長に叫んだ。
「敵です! 銃撃されました」
「怪我は?」
「ありません!」
「いやまて、洞見一曹、前歯が……ないぞ」
小隊長は理斗の血だらけの口の中を覗き込んで言った。
その後、敵は理斗たちを追うことはなかった。中央即応連隊に少人数で戦いを挑むほど愚かではなく、寧ろ進んで避けて行動したようであった。島民の目撃によると、島の東北部の海岸に姿を現し、駆けつけた高速艇に乗り込んで引き波のようにあっという間に去っていってしまったということだった。
「敵は、ス、ス早い動きでした……」
理斗は前歯が一本欠けて、すかすかと喋りにくそうに山本に言った。
小隊は念のため島内をパトロールを続ける。
今頃になって、上空を海自のヘリコプターが飛んでいる。
「陽動に長けた部隊だったのかもしれません。。機兵がまさか出るとは予想もしていなくて、驚いて早々に退却したのか、それとも既に目的を達したのか……」
山本はハンドルを握りながら、ぼそっとこぼした。
彼の視線の先には、島民が引越しの荷物をトラックに積んでいる。
先日の上陸から既に島民の避難は始まっていたが、今日の上陸で慌てて引越しを急ぎ始めたものもいるのだった。
隣の井島は戦前から岡山県と香川県で境界が定まっていない箇所があった。最近、香川県側に人がいないことをいいことに、中国軍は井島を事実上占領している形になっていた。もうしばらく経てば、直島も住民が居なくなって中国軍に占領されてしまうかもしれない。
山本の言葉を聞きながら、理斗はそんなことを思っていた。
じくじくと痛む口を押さえていると、山本が言った。
「なんであのときわたしが付いていくのを断ったんですか? 今度から遠慮しないでください、同じ自衛隊員なんですから」
「ああ、済まない……」
エリートであるはずの彼の遠慮ない言葉が嬉しく思う。
自分が移民だという想い、まだこの国の国民に成りきれていない想いがあの遠慮を産んでしまったのかと理斗は密かに後悔していた。
第三章
理斗は勤務後に自衛隊病院の歯科へと自転車を漕いでいた。
直島の上陸事件の後、政府が強力に中国側に抗議した効果があったからなのか不明だったが、ここ数日は中国軍は領空領海侵犯ともに目立った動きを見せずに、自衛隊内も慌しい動きはなかった。理斗も落ち着いて歯の治療に専念することが出来ていた。