アザーウェイズ
理斗の命令によって、機兵は回れ右をすると。こちらへ向かって歩き始めた。
「おっと」
機兵が小銃を腰だめに構えたままなのに気付き、理斗は慌てて射撃管制システムを解除する。すると機兵はバッテリパック横の小銃架に上向きに装着した。
「全速!」
と、即座に駆け足の態勢になり、かなりの速さで丘を駆け下りてくる。平地であれば時速三十キロメートル程度と、陸上競技選手の短距離走とそう変わらぬが、標準装備のままこのスピードを維持してバッテリーの続く限り走り続けるのだから、かなりの踏破能力といえよう。
『戻れ』の指示はコントローラーの位置にまで戻るように設定されているので、山本士長が驚いている間に機兵は装甲車の近くまでやって来ていた。
理斗は山本をもうすこし驚かせてやろうと思った。車を降り、後部のドアをあける。
「乗車」
機兵が車に乗り込んできた。
「器用っすね」
山本が眼を丸くして驚愕してる。
彼の性格はわかりやすい、と理斗は思う。
「動作よし、なにも問題なさそうだ」
満足げな理斗を見て、山本士長は双眼鏡をしまい、エンジンをかけた。
『洞見一曹。移動準備整ったか?』
後方の高機動車に乗って見物していた小隊長の声が、無線のスピーカーから響く。
「はい」
『よし、移動するぞ』
「じゃ、行きますか。あー腹減りましたよ」
山本の言葉で理斗も空腹であることを自覚していた。
この日は実に忙しく予定が組まれていた。
理斗と山本の乗車した軽装甲機動車演習場から出て、公道を走り始める。その前方には小隊長などと一分隊が乗ったいかつい外見の兵員輸送用の装輪装甲車がアスファルト上の埃を舞い上げながら走っている。後方には分隊を乗せた高機動車が二台続いていた。
四台の車両は国道を走り続ける。途中で駐車場の広いコンビニに一連の車両が入って行く。後方の車両もそれに続いた。
「ここで昼飯らしいっすね。何喰おうっかな〜」
山本士長がいそいそと財布を取り出すと、理斗も財布を出し、中身を不安げに覗き込んだ。それは、ここ最近昼食時に良く見られる仕草だ。
理斗は不図、チャット相手の紗奈の顔が思い浮かんだ。彼女とチャットするようになってから、使う金額が増えていく一方だったのだ。
どやどやと隊員たちが車から降りてきて、コンビニに入っていく。
「洞見一曹! 時間ないですよ。早くしないと」
先に駐車場を歩いていた山本が振り返っている。理斗は急いで助手席のドアをあけて降りた。
軽めのサンドイッチ二個だけという袋をぶら下げて、理斗はコンビニの自動ドアを出て駐車場を見遣った。
数台の大型トラックやトレーラーが並ぶ広い駐車場にあっても、四台の自衛隊車両は異彩を放っている。
戦争のない、平和な一風景であるべきなのに、その一角だけが戦時下のようではないだろうか。
つい二年前まで東京に住んでいたころは、こんな光景は見たことがなかった。勿論、駐留しているアメリカ軍施設の近辺ではアメリカ兵はいるのだろうが、少なくとも東京では、通学や買い物、そして休日のショッピングなどの日常において決して見たことのない光景だった。
車に乗り込み、サンドイッチを食む。
「不味いですか?」
理斗の表情を山本が気にかけた。
味が感じられないのは、自分が移民してからの国際情勢の急変振りに戸惑っているからなのか。
「……お疲れですか?」
山本士長が再び問いかける。
「いや、最近急にきな臭くなったと思って……」
山本士長はペットボトルの水で食べ物を流し込むと、フロントガラスの先の景色を見ながら真剣な表情になった。
「日本が国防軍に改編すると言ってから、周辺国がまた一段とうるさくなりましたもんね〜。あとは、新しい海洋海底資源とエイワースでひと悶着ありましたし」
「それでも急変過ぎだよね」
「因縁ですよ、因縁。やっぱりなんか面白くないことがあれば昔の因縁にかこつけて鬱憤を晴らすんでしょうね」
「満州事変や日中戦争か」
「八十年以上昔でも日中戦争、太平洋戦争での日本の行動がそれだけ憎いんでしょう。でも、尖閣なんて明治維新のころまで遡って主張してるんだから、こりゃあと三百年経たないと日中韓のしこりはなくなりませんよ。ほんと全ては因縁です」
「因縁か」
東日本で因縁とは無縁な生活を送っていた理斗は、まだ肌身に感じることのできない奇妙な違和感を持って山本の言葉を聞くしかないのであった。
昼食休憩を終えた車列は、再び国道を走り、演習場から最も近い砂浜へと到着した。
そこには、既に海上自衛隊のエアクッション揚陸艇(LCAC)が砂浜に乗り上げ、待機している。
午後はこのLCACに車両ごと乗り込み、つい先日中国軍が上陸した直島に上陸するという訓練であった。
「けっこうデカいな……」
理斗はLCACを見たことがない。いや、ホバークラフトさえも見たことがなかった。遠くからでもなかなか迫力がある。平べったい形状で左右の両端に大きなファンとエンジンを積み、車両を載せる中央部分が広く何もないので、余計に幅広さを感じさせるのだ。
大型トラックが二台、いや三台は乗せることができるだろうか。
小隊長と、海上自衛隊の幹部が打ち合わせしているのを遠めで見ながら、こんなものが車両を積んだまま海上だけでなく砂浜でも移動出来るのかと、理斗は驚嘆していた。
LCACが船体の前部を倒し、伸ばした舌のような部分に山本はゆっくりと慎重に車を動かして乗り上げたが、やはり段差では大きく前後左右に揺れた。理斗は後席を振り返った。機兵は、その機体には小さすぎる椅子に腰掛けているので収まりは悪いが、タイダウンベルトで縛ってあるので、とりあえずは大丈夫そうであった。
車両を定位置に停めたあとは、船室に移動だ。
舞い上がる砂。そしてガスタービンエンジンのすさまじい音に、船室内の理斗は思わず身をすくめる。
次の瞬間、ぐっと体を持ち上げられる感覚に襲われ、一瞬平衡感覚を失う。
「なかなか面白いな」
LCACが初めての他の隊員もみな同じように感想を言った。
しばらくその感覚を楽しみ、次第に慣れてきたころに理斗はふと窓の外にレジャーボートがいくつも見えるの気付いた。
「来週はゴールデンウィークか……」
理斗は、週末のボートの多さについ羨ましそうに口に出してしまっていた。
「洞見一曹は帰省するんですか?」
「あ、ああ……」
山本の質問に、理斗は言葉を濁した。相変わらず笑顔で話しかけてくれる彼に、母の見舞いの件を話すのは憚れたのだった。
「どこですか?」
だが山本は朝からずっと一緒だった気安さなのか、気兼ね無しに質問をかぶせた。
「ああ……実は東日本なんだ……」
「あ、そうなんすか? 一曹、移民だったんすか? すると帰省じゃなくて帰国っすね。カッコウイイすね帰国って」
山本は、さばさばと何も気にした様子を見せない。彼の気安い反応に、理斗は出身を気にしていた自分がバカらしくなったのか、心の緊張がいつのまにか解けていた。
「ああ……ま、国には両親がいるだけで」
「そうなんすか? ご両親は移民する気はなかったんすか? 独りで移民じゃ寂しーすよね。あ、ご兄弟は?」