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おつかれさまです、ユリリカ探偵社

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 前に置かれたホットココアから立ち昇る湯気。凛々花はそれを鼻から吸い込む。ココアの甘い香りに、つい頬が緩む。
「ちょっと心配しちゃった。でもただの呑み過ぎでよかった……検査かあ。パパ殆ど病気したことなかったからこんなこと初めて」
「ほんとよね。でも入院するとは思わなかったわ」
「うん……仕事はどうなるんだろう」
「それは、やっぱり兵頭さんにお任せしかないかしらね」
「そうだよね。兵頭さんならしっかりしているから大丈夫!」
 凛々花はうんうんと自分で納得しながら頷いている。
「あらあら、兵頭さんはいいわね。凛ちゃんにしっかりしててステキだって言われて」
「え!? ステキなんて言ってないよ!」
 顔を赤らませながら凛々花が反駁する。
「あれ? 兵頭さんが来たばかりのこと忘れたの? 毎日のように『おにいちゃーん、おにいちゃーん』って付きまとってて、腕にぶら下がって『すごいすごい』って、そして抱きついて『ステキっ!』って言ってたのまだ耳に残ってるわよ。そのあともよく言ってたじゃない」
「あ、あれは小学生のときの話でしょ。子供心にそう思っただけ。ち、中学生になってからは乙女としての自覚が生まれてやってないよ。熱っ!」
 凛々花は口をつけたココアを睨んだ。
「――まあ、でも兵頭さんは確かに信頼できるわよね。若いけどしっかりしてるし」
「でしょー。だから言ってるじゃん」
 機嫌が良くなったのだろう、凛々花のニコニコとした笑顔に百合はひと安心していた。
 そしてコップを呑み終えてテーブルに置いた凛々花を見て、優しく声をかける。
「じゃ、行きましょうか」
「うん!」
 姉妹は揃って元気よく立ち上がり、帰途へと急いだ。


 日が暮れたなか、自宅近くまで来た二人。
 角を曲がり自宅を見ると、一階の事務所に明かりが燈っている。
「兵頭さんだわ」
「パパのこと報せなきゃ」
 凛々花は家まで小走りし、慌てて事務所の扉を開けた。すると、呉波探偵社唯一の社員である兵頭進五郎がいるにはいたが、なにやら忙しげにダンボール箱に書類を詰めたり、バッグやスーツケースに私物を入れたりしている。
「何してるの兵頭さん」
「兵頭さん、なにこれ?」
 追いついた百合もただならぬ雰囲気を感じ取り、二人は知らず知らずのうちによそよそしい口調で問うていた。
「あ、ちょうど良かった。自分の荷物をまとめていたんですよ」
「なぜ?」
「あれ? まだ聞いてませんでしたか? 僕、この探偵社やめたので」
 手を休めて二人に向けたその顔は、申し訳なさげである。
「お二人が来てくれて助かりました。昨晩社長と呑みに行って別れてからずっと連絡つかなかったんですよ。事務所の鍵をお返ししたくて」
 スーツのポケットからキーを取り出してみせる。
「…………」
「…………」
 百合と凛々花は絶句した。そして彼を見つめた。
「(どうして……嘘でしょ?)」
 凛々花のかすれた声を、百合は微かに聞いた。
 そんな二人の様子に気付かぬのか、兵頭は再び黙々と手を動かし続ける。
 申し訳なさそうなのは表向きの顔で、内心はさばさばと解放された喜びに溢れているのではないか。
 きびきびと手を動かして片付けている彼の様子に、凛々花はそんな勘繰りさえしてしまっていた。
 やっと、すべての荷物の整理がついたのか、兵頭が顔を上げ、二人を交互に見遣る。
「そんな、急すぎるよ……」
 凛々花が頬を引き攣らせ、やっとのことで搾り出したその声も、やはり引き攣っている。
 兵頭は静かに頭を下げた。
「申し訳ないです。社長によろしくお伝えください。あ、あとこれ、ポストに入っていました。僕がやる予定のものだったんですが、どうやら郵便が遅れて資料が今日配達されたようです。一件だけ残してしまって申し訳ありませんと社長にお伝えください。いまのところ、これ以外に残務はありません」
 封筒を渡された姉妹は、何も言葉を発しようとしない。
 兵頭は居た堪れなくなったのか、すぐに言葉を続けた。
「お二人……百合さん、凛々花さん、お元気で」
 いまや綺麗さっぱりとなった彼のデスクの上に鍵を置くと、荷物を抱えて事務所を出て行った。
「聞いた? あたしたちのこと『さん』付けで……ずっと『ちゃん』だったのに……」
 凛々花が呆然とした様子で呟くと、自分の部屋へと歩き始めた。
「……けじめをつけたのよ」
 妹の背中を見ながら、百合は凛々花の言葉に小さく答えるしかなかった。

 人は生きる為には食べねばならない
 食べるから生きてゆける
 そう、明日も力強く生きるには
 この夕餉を無理にでも食らわねばならないのよ

 わたしは明日をどう生きるつもりなの
 打ちひしがれるつもり?
 ちがう

「はあ、でもやっぱり食欲湧かないかも」
 食事の用意をしながら、真剣な顔で吟じる百合。両頬をパンパンと叩いて強いて笑顔を作る。
「でも、食事って便利よね。家族に話しかける万能の言い訳よ」
 自分の部屋へ行ったまま出てこない凛々花を呼びに、階段を上って行った。
「夕飯よ」
 コツコツとドアをノックしながら声をかける。
「…………」
「ひとりで食べるのは寂しいんだから一緒に食べましょう」
「…………」
「黙ってないで返事して。心配してるんだから」
「…………」
 百合はうむむと暫し思案ののち、ふと何か思いついたようだ。
「明日もお父さんのお見舞い行くでしょ? ちゃんと食べて元気なところを見せないとお父さんに心配かけちゃうわよ」
「あたしは食べなくなっていつも元気よ、お姉ちゃんと違って」
 最後の言葉にむっとした百合は、拳を握り締めながら堪え、声を押し殺した。
「くっ……わたしが心配だと言っても返事しなかったのに」
 しかし妹の返事に調子付いた様子で、更に言葉を続ける。
「お父さんね、凛ちゃんが去年からぐっと背が伸びたのを随分喜んでたわよ。ほら凛ちゃんがわたしに追いつきたい追いつきたいっていつも言ってたのを、お父さんも応援してたじゃない。スタイルもオトナっぽくなってきたなあって。凛ちゃん食が細いでしょ。最近沢山ご飯食べて順調に成長してくれてるみたいだからこれからも楽しみだって、この前わたしに嬉しそうに言ってたわ……あの、ひ、兵頭さんのこの残念だったわね、忘れるためにも、気分転換に食べない?」
 怒りを堪えてうまく言えただろうか。
 百合は自分の言葉を顧みつつ妹の反応を待った。
 何か物音がしたようだった。百合は戸に耳をつけて中の様子を探ったが、結局何も反応がない。
「何よ心配で呼びに来たのに。いいわ。別に一人で食べるのが淋しいわけじゃないしっ」
 ずかずかと階段を降りていく。
 もう食べてしまおうと椅子に座った途端、階段を降りる足音が聞こえてきた。そしてドアをあけるなり凛々花が口を開いた。
「あのね、兵頭さんのことなんて気にしてないから。お茶入れたり、お弁当作ったり、肩揉んだり、あんなにいろいろ家族同然にしてあげていたのに、薄情な奴だよ」
 凛々花はぐっと握りこぶしを作った。
「ママもアイツも勝手にうちを出て行けばいいんだよ」
 そう言い放って椅子に座り、すっと背筋を伸ばした。
「いただきます!」