おつかれさまです、ユリリカ探偵社
「そんなことしたい? 人の私生活に首を突っ込むなんて怖いとか思わないの? よく思われないわよ」
「平気平気。他人の私生活覗けるなんて興奮モノじゃん。それに人生はスリルあってこそでしょ!」
「若いって怖いわ……現実は一度何かあったら取り返しがつかないって理解できない? わたしは深夜アニメでスリルを味わえば充分かな」
「そんなの現実じゃないじゃーん」
凛々花が口を尖らせる。
「そうね。でも、最近の尋常じゃない本数によって話のヴァリエーションが豊富になったから、スリルを味わえるだけじゃなく、哲学的要素を扱ったアニメから人生を顧みることで無限の思考実験――」
「朝から深夜アニメ論じちゃってるよ! さすが声優志望のオタクだわ……」
凛々花は、うわ引くわぁ、と上半身を反らし、これ以上近寄るなとばかり片肘を突き出しガードの態勢をとる。
大袈裟なポーズをとる妹に、百合は思わずクスリと笑みがこぼれた。
そんな会話をしているうちに、二人が到着したのは桜並木学園の校門である。ここを通り抜けて右へ行くと高等部、左へ行くと中等部の校舎がある。
「じゃね、凛ちゃん。女の子なんだから下品なことお友達の前で言っちゃダメよ」
「はぁ〜い♪」
「あら、可愛いお返事。ちいさいときの凛ちゃんみたい」
「!?」
まるで幼児のような言い方だった。母親に甘えるような声を無意識に出したことに凛々花自身が驚き、あっと開けた口の前にすかさず掌を思いっきり広げていた。
「どうしたの、顔紅いわよ。あら?凛ちゃ――」
何かに気付いて言葉を掛けようとする姉を待たず、凛々花は中等部の校舎へと駆け出す。
「凛ちゃん、正面から見たら……」
なにやら後ろから声が聞こえるが、顔を紅くしたまま一目散に走る。
『女の子なんだから下品なこと――』
凛々花はこれとまったく同じ言葉を昔聞いた覚えがある。あれは小学校の、そう、確か三年生のとき、朝家を出るときに母から言われた言葉……。
「『はぁ〜い♪』って返事まで、あのときと全く同じじゃない!」
まだ母が家に居たときの自分を思い出すと、顔が歪んでいく気がする。
「もう忘れていたと思っていたのに!」
こみ上げてくる遣る瀬無い気持ちを振り切らんと走り続けた。そのうち疲れてふうふうと息も絶え絶えにスピードを落とし、もう姉は見えなくなっただろうかと後ろを振り返ったとき――。
どすっという鈍い衝撃。
と同時に頓狂な『んがっ』という声にならない呻き。
呻くさなか、凛々花は自分でもこれは決して可愛くないなと思いながら、同時に平衡を失う感覚に襲われ、気付けば冷たいアスファルト上に膝を揃えて横座りしていた。
頭がずんと重い。凛々花は鈍く痛む頭をおさえて、誰に言うともなく文句を言った。
「イッターイ!」
「いててて……」
自分の前に、首をおさえている男子生徒がいる。その彼が振り向き様に口を開いた。
「なんだ呉波さんか」
「なんだとは何だっ! 失礼だろっ!」
見れば、太い青フレームの眼鏡をかけた左京という名のクラスメイトだった。
(うわ……コイツか……)
三年間勉学に勤しみ、素行にも注意を払ってきた凛々花は、クラス内にこれといって親しい男子はいない。それは左京についても例外ではなかったが、実際には深く関わるべきでない男子生徒としてマークしていた人物なのである。
というのも、昨年の三学年のクラス編成後まもなくの頃、ある授業が始まってすぐに凛々花のお腹が鳴ってしまったことがある。
『授業に集中できないだろ』
そのとき、ぼそっと隣から声をかけてきたのが左京だった。
(なに? もしかして聞かれた?)
無視すれば自分のお腹の音など有耶無耶になるかもと思ったとき、
『これ食べる?』
と、焼きそばパンを差し出してきた。
『い、いらないわよっ!』
面食らった凛々花は当然断った。いや面食らわないでも断るつもりだったが。
(なにこの人。優しさのつもり? しかも女の子に焼きそばパンなんてデリカシーなさ過ぎでしょ。要注意人物!)
このとき左京への烙印が、決して取れぬ焼印の如くくっきりと押された。
進学のためにと、素行に注意を払っていた凛々花はそれ以来彼とは必要時以外話さず、慎重に距離を保っていたのだった。
「あ、いや。突然後ろからど突かれたから変な奴に絡まれたのかと思っただけだって。ほら、大丈夫?」
左京が手を差し出す。凛々花から要注意人物と目されていることなど当然知らない。
「う、うん」
凛々花は素直に手を取って立ち上がった。
「あっ!」
小さな叫び。
払われる左京の手。
凛々花は払った自分の手で胸を押さえた。心がざわつく。必要以上に、そして意味不明に。
(何これ!?)
凛々花は戸惑った。今迄男子と手が触れたくらいで動じたことはないのに不思議だった。
ただひとつ考えられるとしたら、それまで男子と距離を置いていた凛々花が、先週進学が決まって以降来たる女子高生ライフを人並み以上に楽しもう、恋だって当然よ、と考え始めたことかもしれない。
(あ、一応お礼を言うべき!? ありがとうとか?)
立ち上がったものの下を向いたまま迷っている凛々花。だが、不審な視線を感じて顔を上げた。見れば、左京がメガネの奥を光らせて、凛々花の両耳のあたりを凝視している。
男子としては少し小柄な左京の背丈は凛々花と同じくらいなので、真正面から凝視されてる形になった。
「なによ?」
あまりにじろじろと見てくる彼の不審さに、凛々花はお礼のことなどとっくに忘れ、怪訝な表情を浮かべた。ジト眼がより一層薄くなり、上下の睫毛が近づく。
「呉波さんの髪型……ツインテール初めて見た。結構可愛いな」
(結構可愛いな!?)
近づいていた上下の睫毛が、ともに小刻みに震えて交差する。
その複雑で無数な交差を、左京の眼が無意識に追う。
(結構可愛いな結構可愛いな結構可愛いな凄い可愛いな!?)
もう一度、いや数度、『結構』が『凄い』に変わるほどに心の中でリフレイン。
凛々花の両眼が見開かれた――綺羅と、ほんの一瞬間だけ。
この世とも思えないほどの美しさ? いや、幻か……?
「――!?」
左京は自分が見たものを疑うように両眼を瞬(しばた)き、凛々花の眼をあらためて見つめた。が、最早そこには普段の彼女のジト眼があるだけだ。
一方凛々花の胸は、最早ざわつくというレベルではなく、波打っていた。
(これって男子から初めて言われた言葉じゃない!?)
ちなみにこの左京という男子は、焼きそばパンの件のように深謀遠慮とは程遠い、思ったことをすぐ口に出す懼れ知らずな面がある。通信簿にも、担任からわざわざ『深謀遠慮さを身につけましょう』と書かれたことがあるほどだ。
「そ、そう? 今日はちょっとお洒落してみようかなっとね」
至って平凡な左京に恋愛感情はなくとも、そわそわと視線を外しながら答えるところはやはり年端の行かぬ女の子、凛々花であった。
そんな凛々花を左京はさらに見続けてくる。しかも今度はツインテールの二つの結び目を交互に念入りに、だ。
(なんなのよぉ〜! もうこんなんじゃ動けないじゃない!)
「それはいいんだけど、左右で高さ違ってないか」
作品名:おつかれさまです、ユリリカ探偵社 作家名:新川 L