おつかれさまです、ユリリカ探偵社
続いて聞こえてきたのは、肉と肉がぶつかる音? いや違う、骨と骨がぶつかるような鈍い音だ。
必死に身を竦めていた凛々花が、恐る恐る音のする方向に顔を上げると、もはや音はやみ、かすれた声だけが聞こえてくる。
周りをゆっくりと震えながら見渡すと、自分と兵頭以外はみな体を不自然にくねらせたまま横たわっているのだった。
「死んでるの?」
「はは、生きてるって多分……でもちょっとやりすぎたかな。なにしろ凛ちゃんが襲われていたもんだから」
兵頭が額の汗を拭う。ヒューと外国映画の俳優のような気取った仕草を見せると、凛々花のそばに寄った。
「大丈夫? 怪我は?」
「兵頭さん、あたし――」
凛々花は涙がいっぱいに溜まった眼元に手を寄せ、涙を拭い拭いすると、突然兵頭に抱きついた。
スーツ越しに鍛えられた兵頭の肉体の頼もしさを感じると、一気に凛々花の気が緩んだ。
「わああああああん、怖かったああ!!」
「け、怪我は?」
突然抱きつかれた兵頭は戸惑いながらも、凛々花の体を気遣った。
「うん、大丈夫……」
「良かった。最初あの女の人と知り合いのように話していたから安心して目を離していたんだよ。そしたら、いつの間にか地下室のほうへ連れ込まれる場面になっててさ、間に合わずにドア閉められて。そのドアも頑丈そうだったから、バールを借りられないか売ってるところを探してたんだよ。とりあえず怪我がなさそうでよかった」
「でも、なんで兵頭さんが?」
「うん、まあちょっとな……実は君のお母さんに言われて探してたんだよ」
「え!? お母さん!?」
凛々花が動揺する。
「そう。先日、百合ちゃんが相談に来ていてね。凛ちゃんがなにやら不穏な動きを見せて、そのうち何かとんでもないことしでかすかもしれないからどうにかしてくれって。それで俺が見張るようにお母さん、いや社長に今日言われたんだよ」
「社長って?……どういうこと?」
「いや、実は僕も応募してから知ったんだが、今度僕が就職した探偵社、君のお母さんの会社だったんだ」
「ええっ、そうなの!?」
「ああ、凛ちゃんのお母さんの旧姓、白月って言うんだな」
「うん、そう……で、お母さんに言われて?」
「そう、百合ちゃんが何より凛ちゃんを心配していたし、白月社長も、凄い心配してたよ」
「そう……お姉ちゃんそうだったんだ……でもママのは嘘でしょ! 心配なら何で今まであたしたちを放っておいたの。男と逃げたんでしょ」
「男? 社長にはいないようだがな。その辺のいきさつはよく分からないけど」
「ふんっ! どうせ逃げられたのよ」
「ははは、それは僕にはわからないけど……そうだ、それよりも何でこんな危ない目にあってるんだ」
凛々花は説明した。探偵の仕事を始めたこと。うまく収入が入ったことで調子に乗り始めたことを。
それを聞いて兵頭は言い聞かすように話す。
「探偵という仕事も危険なものだよ。最後に社長と呑みに行ったとき、社長が言ってたんだ。ある仕事で危険な目にあってから、娘達に被害が出るのを懼れるようになって安全な仕事しかしなくなったとね……実は、これは言っていいのかわからないけど、お母さんの探偵社は危険な仕事もしてるらしいんだよ。まだ入社したばかりの僕には教えてくれないが……いろいろ苦労も多いみたいだし。で、それを知って、社長の、ああ凛ちゃんのお父さんの呉波さんの気持ちもわかってきたかな」
兵頭の言葉を聞いて、凛々花は何かを考えているようだ。そんな凛々花に兵頭は尋ねる。
「そうだ、彼らをどうする?」
「どう?」
「うん、怪我がない以上傷害罪は適用されないけど、連れ込まれてるから暴行罪にはなる筈。でも、暴行罪の場合、通常は被害者が申告しないと立件しづらいものなんだ。つまり凛ちゃんが訴えないと彼らは逮捕されないってこと。ちなみに彼らとは知り合いなの?」
「ううん、知り合いってわけじゃない。あ! そうだ! 兵頭さんのせいだよ」
凛々花はぷくっと頬を膨らませる。
「兵頭さんが残していったあの女の人の採用調査をしているときにばったり本人に顔をあわせちゃっただけ。そのときは普通の人だと思って、こんなに危ない人だとは思わなかった」
「そっか。話していた内容ちょっと聞こえたが余罪ありそうだな。どうする? できれば告訴して、いろいろ警察に調べてもらったら他に被害者が出なくて済むんだが。ただ、そうすると警察に関わらないといけない」
「関わる?」
「つまり、取調べとかあるし、いろいろ面倒だってこと。告訴しないなら、俺もちょっとやりすぎたし、このまま逃げたっていいが」
兵頭は犯人の服を探って、携帯を取り出した。
「このままこいつの携帯で警察と救急車呼んで立ち去るか、それとも告訴はしないで、俺の彼らへの正当防衛を証言するにとどめるか、それとも凛ちゃんが告訴するかだ」
「ごめんなさい。あたし、どうしたらいいんだろ。告訴する勇気がないし……いろいろと面倒なことに巻き込まれたくないよ。証言するのも怖いかも……」
凛々花はひとつ大きく息を吐いた。
「……逃げたい。この場から逃げ去って、もう二度と関わりたくない。ねえ、どうしたらいいの?」
うめき声を出した犯人の一人にビクと体を震わせて凛々花が言った。
「そうだな……僕は告訴した方がいいと思う。確かに警察に関わって俗に言うセカンドレイプみたいに辛い目に遭うが、犯人は一度告訴されれば、また告訴されて更に重い刑を懼れて再犯を思いとどまる。それが抑止力になるんだ。しかし告訴しないとずっと報復を恐れて生活をしなくちゃいけない。僕がずっと凛ちゃんの傍で守っているわけにはいかないだろ」
「あたしはそれでもいいよ」
「うん、でもまあ聞いてくれ。法律は規制のためや人が従わなければいけないためだけにあるんじゃない。使うためにもあるんだ。刑法を作った人は、力ある者を欲望そのままに行動させないために、つまり正義をこの社会に実現させ、凛ちゃんみたいに可愛い少女を守るために法律を作ったと言ってもいい。せっかく作ってくれたこの法律を使わないのは勿体ないと思わないかい?」
「でもセカンドレイプが……」
「それについては、専門のケアスタッフも居るし、僕も手伝えることがあるならサポートとケアをする! 凛ちゃんの力になるよ」
「本当にっ!?」
凛々花は顔を真っ赤にして兵頭の顔を見つめている。
兵頭はそんな凛々花に生真面目な視線を返した。
「そうだよ。僕は凛ちゃんに家族同様にお世話になったから、会社をやめてからもずっと何とか恩返ししたいと思っていたんだ」
「ありがとう……兵頭さんがそう言うなら……」
凛々花は顔を伏せ、頬を綻ばせた。
「よし、それがいい。君には守ってくれる人がいるんだ。だから心配するな」
ポンっと凛々花の背中を叩く兵頭の表情は力強さに満ちていた。それはかつて呉波沙直に希望を語ったときの、大切な人を守るという目的を達成した喜びと誇らしさゆえなのかもしれない。
§
警察署から出てくる人影。それは凛々花、兵頭、百合の三人だった。
作品名:おつかれさまです、ユリリカ探偵社 作家名:新川 L